昨日、なに読んだ?

File36. 同時に開く本

K・チャペック『長い長いお医者さんの話』『郵便屋さんの話』、M・ウエルベック『地図と領土』、ピーター・ブルック『なにもない空間』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。 【浅生鴨(作家)】→→松原俊太郎(作家)→→???

 どこまでが本当なのかはわからないが、映像の規格について、おもしろい話を聞いた。
 最近の映画やCMでは4Kという規格で撮影されることが増えているのだけれども、将来的に映像機器が進化して、8K、16Kと解像度が上がっても、もともと4Kで撮られている映像を4K以上の解像度にすることはできないらしい。ところが、フィルムで撮られている昔の映画は、その時々の最新技術でリマスターすれば、どんどん解像度を上げて行くことができるというのだ。そういえば、確かに最近、4Kリマスタリングと銘打たれたブルーレイが売られているのを見かける。なるほど、と僕は膝を打つ。
 当面必要のない無駄な情報や多くのノイズを含み、そのせいでどうしても扱いづらくなりがちなアナログと、今必要なものだけを残し、全体をすっきりと梳くことで、軽く扱いやすいデータにするデジタルとの違いはそこにあるのだろう。
 翻って、書物はどうなのだろうと考えてみる。紙の本にしても電子書籍にしても、読み手の眼前にある文字に違いはない。当たり前だが、同じ文字が同じように並んでいる。もちろん文字をどのように表示するかの違いはあるが、文字を読んで想像をするという読書体験には、あまり差が無いように感じる。読書の解像度はアナログでもデジタルでも変わらないのだ。
 あえて違いを探すならば、紙の本には重さがあることと、あとは汚れるということくらいだろうか。長い時を経た紙の本は、日に焼け、カバーが捲れている。小口が擦り切れ、虫食いがあり、ページにはコーヒーの染みがつく。
 ところで、昨年末にしばらくプラハに滞在したことで、いま僕の中には何度目かのチェコブームが来ていて、ときどきチャペックを読み直している。おなじみの童話はどれも子供の頃から何度も読んでいるのだが、このところ『長い長いお医者さんの話』(中野好夫訳、岩波少年文庫)や『郵便屋さんの話』(関口明子訳、藤本将画、フェリシモ)を読んで、ふと感じたことがあった。次々に登場する面倒な患者たちも、長旅を続ける郵便屋さんも、そこに書かれているものは何一つ変わっていないのに、これまでとはどこか違った風景が僕の中に浮かぶのだ。たぶん僕がチェコという国を、プラハという街を知ったからこそ見えてきた風景なのだろうと思う。
 それはフィルムを最新技術でリマスターするのと同じことなのだろう。年齢を重ね、経験や知識を得れば得るほど、読み手が世界を知れば知るほど、物語は豊かさを増すのだ。読書の解像度を高める秘密は、アナログかデジタルかという技術の問題ではなく、読み手自身の中にあるのかも知れない。
 近々パリへ行く予定ができたので、なんとなくフランスの小説でも読もうかと思い、チャペックを机の脇へ寄せて、ウエルベックの『地図と領土』(野崎歓訳、ちくま文庫)を開いた。芸術家ジェドの半生を淡々と描く物語なのだが、そう単純な話でもない。アートとビジネスが語られ、架空の芸術作品が解説され、メタ構造として著者が作中に登場し、猟奇的な事件さえ起こる。全体的にどこか意地の悪い書きぶりがおもしろい。インスタレーションと演劇の話題が出てきたところで、僕の頭にふと「演出家はいつも詐欺師だ」というピーター・ブルックの一節が浮かんだ。念のために書棚からボロボロになっている『なにもない空間』(高橋康也・喜志哲雄訳、晶文社)を引っ張り出し、パラパラとページをめくっているうちに、気がつくとこちらを読み始めていた。正直に告白すると、ブルックのシェイクスピア論はまだよく理解できない。演劇に関する僕の解像度はかなり低いのだ。
 ともかく、こうして今僕の机の上には三冊の本が同時に開かれている。
 あ、そうかも。紙の本と電子書籍の違いがもう一つあった。同時に複数の本を開いて眺めることができるのは、紙の本ならではの利点かも知れない。旅に持って行くには、重さのない電子書籍のほうが便利なのだけれども。

 

 
 

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