絶叫委員会

【第128回】「いいところ」と「いい話」

PR誌「ちくま」6月号より穂村弘さんの連載を掲載します。


 前回、「いいところ」と「いい話」の違いについて書いたが、その続きである。文章における「いいところ」とはあくまでも表現上の輝きであり、それに対して「いい話」とは内容そのものの問題。つまり、両者は非対称な位置にあると思うのだ。
 具体例を挙げてみる。先日、人間発電所と異名を取った名プロレスラー、ブルーノ・サンマルチノが亡くなったが、以下は彼についてのウィキペディアの記述から。ちなみに文中の「馬場」とは同時代に活躍したジャイアント馬場のことである。

 1970年代以降はカツラを着用しており、試合中に相手レスラーから頭部を掴まれることを極端に嫌っていた。その当時、既にトップレスラーとして不動の地位を確立していたサンマルチノに対しては、暗黙の了解として御法度の技が存在した(カツラが外れる怖れのあるヘッドロックなど)。もっとも、この頃全日本に登場したサンマルチノに対し、馬場は遠慮無く脳天チョップを放っているが、これによって2人の友情が壊れるようなことはなかった。
ウィキペディア「ブルーノ・サンマルチノ」より

「馬場は遠慮無く脳天チョップを放っているが、これによって2人の友情が壊れるようなことはなかった」が「いいところ」である。注意したいのは、友情が壊れなかったから「いい」わけではないということだ。「カツラ」と「脳天チョップ」と「友情」を結びつけたところが「いい」のである。
 それに対して、「いい話」とは例えば次のようなものだ。

 キャデラックを愛車としていた。来日した際に、馬場が巨体を窮屈に押し込めて車に乗り込む姿を目撃したサンマルチノは、自分が当時乗っていた67年式キャデラックを馬場に船便でプレゼントした。その心意気に感動した馬場は、生涯、車を買い換える際は常に同じ色・型のキャデラックを選び続けた。
ウィキペディア「ブルーノ・サンマルチノ」より

「いい話」である。こちらはいわゆる友情物語で、私も感動した。だが、何かが不安だ。「いい話」に感動する心とは、ちょっとしたきっかけで負の感情に反転する危うさを含んでいるんじゃないか。感動しやすい人は裏切られたと思いやすい人でもある気がする。
「いいところ」には、そのような不安がない。その良さはサンマルチノと馬場の友情の行方とは関係がない。云い換えれば、それはより高次元の愛に立脚しているのではないだろうか。「いいところ」的な感覚を共有することは世界平和への道だと思う。
 最後に「いいところ」の例をもう一つ。

(当時はインターネットなどなく、日本でカツラが脱げたとしてもそれがニューヨークに報じられる可能性はまったくなかった)。
ウィキペディア「ブルーノ・サンマルチノ」より

 内容の真偽とは関係なく、全体として冗談のようにも見える本気感が「いい」。

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