piece of resistance

28 甘納豆

なんでそんなことにこだわるの? と言われるかも知れないが、人にはさまざま、どうしても譲れないことがあるものだ。奥様とは言わない、本に書き込みはしない、ご飯は最後の一粒まで食べる、日傘は差さない……等々。それは、世間には流されないぞ、というちょっとした抵抗。おおげさ? いやいや、そうとは限りません。嫌なのにはきっとワケがある。日常の小さな抵抗の物語をつづります。

 悪名高いブラック企業に勤めて四年目の姉には、基本、休日がありません。
 土日も働きます。祝日も働きます。お正月も働きます。まさしく馬車馬のように。
 残業に追われて終電帰りをした翌日、始発で会社へ行くことも珍しくないのです。
「こんな生活、五年以上は続かない」
 それが入社当初からの口癖で、つまり、姉は五年はどうにか続ける気でいるのでしょう。
 もちろん家のことは何もしません。八割以上の時間を仕事に浸食されている姉にとって、重要なのは残りの二割をいかに有用に使うかということです。五分の時間に十分の価値を与えるために、姉はたいてい二つのことを同時に進行させています。
 朝食をとりながら新聞を読む。歯磨きをしながら足つぼマットを踏む。トイレで用を足しながら会議の資料に目を通す。スマホで誰かに仕事の連絡をしながらパソコンメールでほかの誰かに仕事の連絡をする。
 私生活に彩りや潤いをいっさい求めず、機械仕掛けの「ながら人間」になりきることで日々の繁忙をどうにか凌いでいる姉は、年に一度や二度、溜まりに溜まったストレスを爆発させます。ここで爆発させなければ取り返しのつかない大爆発が待っている、というようなぎりぎりの瀬戸際で。
「私、今週末は会社に行かない。甘納豆を作るから」
 姉の宣言は私たち家族をそわつかせます。ああ、ついに作るのか。甘納豆のレベルまで溜まってしまったのか、と。

 金曜日の深夜、終電で会社から帰るなり、姉は気分を出すために割烹着をひっかけ、長年愛用している和菓子のレシピ本を開いて、甘納豆作りにかかります。
 まずは小豆を洗ってザルにあげ、水と一緒に鍋に入れて中火にかけます。途中で何度か差し水をしながら二十分ほど茹でると、いったん豆をザルにあげ、軽く水で洗います。祖熱がとれたら再び水に浸して火にかけ、こまめに差し水をし、アクをとりながら一時間かけて煮ます。そのあいだじゅう姉は台所を一歩も出ず、卵を見守る雌鳥のように豆の一粒一粒をじっと見つめているのです。
 煮上がった豆は三十分ほど落としぶたをして冷ましたのちに、ザルにあげて湯を切り、グラニュー糖で作った蜜に漬けこみます。
 一日目の工程はここまで。
 今朝まで目が吊りあがり、顎関節症で口の開かなかった姉の表情には早くも変化が兆しています。
「今夜はいい夢が見られそう」

 昼過ぎにようやくベッドから這いだしてきた翌日も、姉の甘納豆作りは続きます。まずは蜜ごと豆を火にかけて沸騰させたのち、ザルで蜜をこし、豆と別にします。続いて、蜜にさらなるグラニュー糖を加えて沸騰させ、火を止めてからその中に豆を戻します。
 二日目の工程はここまで。
 再び八時間以上置かねばならない鍋のそばから姉がなかなか離れないのは、豆への愛着が深まっているからだけではなく、私たち家族を信用していない心の表れです。
 この段階ですでに豆はほどよい艶を帯び、もはや甘納豆と呼んでも支障はないような、いかにもスイートな風情を漂わせています。
「おっ、美味そうだねえ」
 以前に一度、父が一粒つまみ食いをしたところ、姉はその胸ぐらをねじあげて「吐け、ジジイ!」「出せよ、ハゲ!」と迫りました。
 たとえ豆との対話によって姉の瞳がやわらいできていたとしても、油断は大敵。超過労働の鬱積を舐めてはならないと私たち家族は学んだのでした。

 ついに最終日の三日目も、作業自体にさほどの変化はありません。
 まずは前日の豆を蜜ごと火にかけ、沸騰したら弱火にします。二十分後、豆をザルにあげて水気を切り、平らかに並べます。そのまま豆が乾くまで四、五時間寝かせたら、もう出来あがったも同然です。
 もうお気づきでしょうが、煮てはザルにあげて寝かし、また煮てはザルにあげて寝かし――甘納豆作りはこの単調なくりかえしです。「本当にここまでくりかえさねばならないのか」という不安と闘いながら、作り手は豆と対峙しつづけます。「こんなにまでして甘納豆が食べたいか」という心の揺らぎに打ち勝った者だけが完成の栄誉を手に入れるのです。
 姉は打ち勝ちます。豆にグラニュー糖をまぶす最後の工程に入ったとき、その瞳は勝者の歓喜にぎらつき、長らくくすんでいた肌には蜜のような照りが戻っています。
 ここでようやく私たち家族も賞味が許されるのです。
「店で買ったら、早いのに。こんなに手間暇かける意味があるのかしらねえ」
 長く台所を占拠されていた母の心ない言葉も、姉はどこ吹く風と涼しげに聞き流し、費やした時間もおかまいなしに一気に豆をほおばります。
 私は知っています。姉にとって甘納豆づくりの醍醐味は、その非効率性にあることを。意味があるのかないのかわからない時間に身を浸す、それ自体が彼女の目的であることを。

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