ちくま学芸文庫

『古代の鉄と神々』解説

7月刊行のちくま学芸文庫『古代の鉄と神々』(真弓常忠著)より、上垣外憲一氏による文庫版解説を公開いたします。本書の初版刊行が昭和60年のことですが、その後著者の学説を裏付ける考古学的発見もありました。本書で提唱されている論点のポイントや魅力を紹介します。

 『古代の鉄と神々』が、ちくま学芸文庫から再刊されるとのことで、筑摩書房から解説をとのお話があり、喜んでお引き受けした。著者の真弓常忠先生には、先生が住吉大社宮司をされているとき、住吉大社に伺って、古代製鉄についていろいろとお話を伺ったことがある。
 真弓先生はその時、泉南で得たという「高師小僧」、つまり低湿地に生ずる褐鉄鉱の塊(子供の頭のように見えるのが小僧の名の由来であろう)を見せてくださって、私の質問に答えてくださった。
 先生の古代製鉄に関する説は、この『古代の鉄と神々』に先立つ『日本古代祭祀と鉄』を読んだ時から承知しており、私の古代史に関する著作に大きな影響を受けたと自認している。同じ学生社から、『古代日本 謎の四世紀』(平成23年)を書くにあたって、特に神武天皇の『古事記』、『日本書紀』の記述が鉄にかかわる部分が多いと気づいて、真弓先生からお話を伺おうと思って住吉大社を訪問したのであった。
 高師小僧の語源は、百人一首「音に聞く高師の浜のあだなみは」の高師浜であって、今日も大阪府高石市にその名を残している。高師浜は、もちろん大阪湾に面しているが、大阪湾は、古い呼び名で「茅沼(ちぬ)の海」とも言い、神武天皇の伝説では、神武天皇の兄である五瀬命が敵の矢で傷を負ったとき、その血を洗った「血の海」、血海=「ちぬ」と呼ばれたことにその地名は由来するという。
 なぜ高師小僧が大阪湾に面した地に産するか、ということと、なぜ大阪湾が血の海と呼ばれたかは、真弓常忠先生の本書、『古代の鉄と神々』を読めばたちどころに了解できるのであるが、そうでなければ、古代史に自分は詳しいと自負している人でも、到底理解できるものではない。
 『古代の鉄と神々』の論点の核心は、日本の弥生時代には褐鉄鉱を原料とする「弥生製鉄」が存在したこと、そしてそれは、日本の地方の古い神社の祭祀から証明できるということである。一般に、日本の製鉄遺跡は早くて五世紀で、六世紀のものが多く、弥生時代にはごく例外的なものを除いて製鉄遺跡が発見されない。従って弥生時代には日本列島内ではごく少量しか製鉄は行われていなかったというのが、考古学界のこれまでの定説である。
 それに対して、本書の主張は、遺跡が発見されないからと言って、製鉄が盛んに行われなかったという証明にはならない、褐鉄鉱は融解温度が低く、それを鍛造すれば鉄器は製作でき、それが弥生時代には沼地に生ずる褐鉄鉱を用いて盛んに行われていたとするものである。
 高師小僧と同様の沼地に生ずる褐鉄鉱の塊は日本の各地で発見される。それが高師浜の名を冠するようになったのは、そこが都に近い、代表的な高師小僧の産地であったから、と言える。大阪府南部、泉州の山には鉄分を多く含む地層がある。それが雨を受けて流れ出し、その鉄分を含んだ川水が、河口付近、海に近く茅の生える沼沢地で滞留し、そこでバクテリアの働きで鉄分が茅の根元に凝集して、鉄のイオンの色、赤色を呈する。それが血の色の海、血海(ちぬ)の語源なのである。高師浜もそのような鉄分の流れ込む沼沢のあった海辺であり、子供の頭のような褐色の鉄塊、高師小僧の産地となったのである。
 いまでは、珍しいもの、単なる愛玩物であるが、弥生時代においては、農業生産の根幹となる鉄器の原料として、最も重要な鉱物原料だったということなのである。
 「すず」は今日では錫に当てられて、マイナーな金属の名称にすぎなくなっているが、古代においては、金属一般、特に鉄を指して言う言葉だったというのが、真弓常忠説であり、地名、神社の神名などの説明を多くの古社の例を引いて行っている。
 その中でも最も根幹をなす考察は、諏訪大社の「鉄鐸」を用いた神事は、鉄鐸=すず=鈴を振り鳴らすことで、沼沢地に生ずる褐鉄鉱の盛んな生成を願ったもの、とする説である(本書「三 鉄輪と藤枝」)。諏訪大社のような、出雲神話にも登場する地方の重要な神社の神事には、弥生製鉄と結び付けて説明できるものが多々あるという。
 同様に、金属精錬と神社の関わりを説いたものに谷川健一『青銅の神の足跡』があるが、青銅以上に重要な、古代国家にとっても最も重要な金属であった鉄と日本の古社の祭祀の関わりを説明する本書の重要性は、『青銅の神々の足跡』を超えるもの、と言わねばならない。
 日本の神社の中でも最も重要な社、伊勢神宮についても、その五十鈴川の名前について、「鈴」は鉄であり、この川で鉄原料が採取されたことに由来するとしているのは卓見である。大和朝廷にとって最も重要な神体山、三輪山についても、三輪山は鉄の産地であり、そこから流れる伊勢神宮と同じ名前の五十鈴川が鉄資源を含んでおり、それが、三輪山の神聖性の根源である、とするのも、神職にある研究者としては、まことに革新的な説と思われるが、それは真弓常忠先生の真骨頂である。「祭祀学」という言葉を本書で使っておられるが、「古代祭祀」の考証を実証的に綿密に重ねていった結論であって、私は全面的に賛意を表するものである。
 皇室の祖神である「ホノニニギノミコト」のホは、穂の意味に解されて、皇室の祭祀が稲作と関わりの深いことと説明するのが普通である。しかし、本書において、天孫降臨神話に現れる神名、たとえばホアカリノミコト(火明命)を、製鉄にとって最も重要な、火が明るく(つまり非常な高温で)燃え盛る状態を表すとして、製鉄神と解するのも私には素直に理解できる。稲作に最も重要な農具が鉄で作られること、そこに皇室の祖神の性格を読み取るのである。従って、本書の古代祭祀において製鉄を重視することは、皇室の祖神の性格が、稲作ではない、と言いたいのではなくて、「稲と鉄」が皇室祭祀の両輪であることを、主張していると言い換えることができる。
 皇室の祖神の大本、イザナギノミコトについても、鉄鐸の「鐸」がサナギと読まれ、イザナギ、イザナミの語源である、と本書ですることにも、私は賛成である。先にあげた『謎の四世紀』では、神武天皇の出自について、皇室祖神のイザナギを祀る淡路国一宮の主祭神がイザナギであることと、近くで発見された鉄の鍛冶工房遺跡、五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡との関連で私は考えた。イザナギが鉄にかかわりのある神である、という点で私は真弓先生に賛成である。
 本書の最初の刊行(昭和60年)が、五斗長垣内遺跡の発見(平成13年)にはるかに先行するものであることは、本書の先進性を物語って余りある。考古学が、真弓先生の祭祀学を後追いしているのである。
 本書の提出した仮説で、いまなお論争となるであろうことは、銅鐸の用途が、沼地の褐鉄鉱の生成を願う鉄鐸と同様の神事のためであったという点であろう。私は、個人として真弓常忠先生に賛同するものであるが、多くの人々が議論に加わって、銅鐸祭祀の真の姿の解明を行ってほしいと願うものである。
 手近にある地名、近くの神社の社名、神名の起源が、本書を読んで、なるほど、と明らかになることは、私を含む読者が体験することである。それによって、まず本書の信頼性を確認し、地方の伝説、地名と鉱産物の関係の解明を進めるならば、謎多き日本の古代社会の姿が次第に具体的に浮かび上がってくるであろう。その期待を記すことで本書の解説を結ぶこととしたい。
 

2018年7月9日更新

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上垣外 憲一(かみがいと けんいち)

上垣外 憲一

1948年長野県生まれ。東洋大学助教授、国際日本文化研究センター教授、帝塚山学院大学副学長等を経て、現在大妻女子大学教授。『雨森芳洲』で1990年にサントリー学芸賞(社会・風俗部門)を受賞。著書に『鎖国前夜ラプソディ:惺窩と家康の「日本の大航海時代」』(講談社選書メチエ)、『勝海舟と幕末外交:イギリス・ロシアの脅威に抗して』(中公新書)、『古代日本 謎の四世紀』(学生社)などがある。

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