ちくま新書

現象学という哲学の視点から、医療ケアを考える

超高齢社会を迎え、病気を患う人々の増大が見込まれています。医療ケアが社会全体の課題となるなかで、私たちは「病気」を、そして「ケア」をどのように考えれば良いのでしょうか?
現象学の視点から「病いを患う人をケアするとはどういうことか」を捉えなおす7月のちくま新書の新刊、『医療ケアを問いなおす』の「はじめに」を公開します。

 私たちは、ひとたびこの世に生まれたからには、病気を避けて通ることができない。むろん、幸いにも大病を患わずに生を全うする人もいるかもしれない。しかし一生のあいだに何の病気にも罹らずに亡くなる人はほとんどいないだろう。
 わが国の社会は高齢化の道を突き進んでいる。平成29年版高齢社会白書(内閣府)によれば、わが国の65歳以上の高齢者人口は、2016年10月1日現在で3,459万人に達し、総人口に占める高齢者の割合(高齢化率)はすでに27.3%、国民の4人に一人以上が65歳以上の高齢者である。しかしさらに、「団塊の世代」が75歳以上となる2025年には高齢者人口は3,677万人となり、高齢化率は30.0%、国民の約3人に一人が65歳以上の高齢者である未曾有の超高齢社会を迎えると見込まれている。
 一般に、人は高齢になればなるほど、病気に罹りやすくなる。社会の高齢化は、国民の医療や介護の需要の増大を意味するのである。このため、厚生労働省では、団塊の世代(約800万人)が75歳以上となる2025年を目途に、「高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)の構築を推進」しようとしている。
 むろん、病気に罹るのは高齢者だけではない。しかし、超高齢社会を迎え、病気を患う高齢者の増大が見込まれるわが国においては、今後、病気を患う多くの人々を、病院などの医療施設だけでケアすることは不可能である。まさに、病気を患う多くの人々を、地域全体で支えてケアしていく「地域包括ケア」システムの構築が不可避の課題であるわけである。
 このことは、わが国の社会全体が、「地域ケア社会」へと移行していくことを要請されている、ということを意味する。とすれば、この「地域包括ケア」システムの構築、「地域ケア社会」への移行という課題は、病院などの医療従事者のみならず、地域ケアにかかわるすべての人々、いや地域社会に暮らすすべての人々に関わる大きな課題であると言っても過言ではないはずである。

†本書の視点――現象学
 そのために私たちは今後、何をどうしたらよいのだろうか。医療や介護のシステム、そしてそれらを支える法や経済、社会のシステムの整備・拡充が重要であることは、言うまでもない。そうした方面での考察は、すでにこれまでにも少なからずなされているし、ちくま新書の本シリーズ「ケアを考える」でも今後なされていくことだろう。けれども本書ではそれらとは少し別の視点から、病気を患う人のケアについて考えてみたい。それは、そもそも病いを患うとはどういうことか、病いを患う人をケアするとはどういうことなのかを、「現象学」という哲学の視点からあらためて考えてみる、というアプローチである。
 現象学は、20世紀初頭にドイツ系の哲学者フッサール(Edmund Husserl, 1859-1938)によって創始され、ドイツの哲学者ハイデガー(Martin Heidegger, 1889-1976)やフランスの哲学者メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908-1961)らに受け継がれて、現代哲学や現代思想のみならず、社会学や宗教学、人類学などの諸学問にも大きな影響を及ぼした現代哲学の一大潮流である。看護学においても、1970年代からアメリカで、また1990年代以降、わが国においても現象学への関心が高まり、現在、看護研究や看護実践の分野で、現象学の知見や方法に基づいた「現象学的研究」や「現象学的アプローチ」がさまざまな形で盛んに試みられている。
 現象学を専門とする哲学研究者である私も、そうした流れのなかで、これまで「ケアの現象学」に関する科学研究費補助金による研究プロジェクトを、現象学や看護学の研究者たちと、数年にわたって遂行してきた。さらにこの活動を受けて2016年からは、医師も研究メンバーに加え、これから必要性が増大すると見込まれる地域医療・在宅医療に焦点を絞った「医療現象学の新たな構築」という科研費プロジェクトを行っている。本書はそうした背景のもと、現象学という哲学の視点から、そもそも病いを患うとはどういうことか、病いを患う人をケアするとはどういうことなのかを、あらためて見つめ直し、そのことを通じて「医療ケア」を問いなおそうとする一つの試みである。

†患者を一人の人間としてトータルに〈みる〉
 そこで、本書には「医療ケアを問いなおす」というタイトルをつけたが、本書の試みの特徴を明示するために、「患者をトータルにみることの現象学」という副題を添えることにした。この副題を選んだ理由は二つある。一つは、本書で明らかになるように、「病いを患う」ことは、たんに身体的な疾患に罹ることではなく、心理面を含め、心身の全体にわたるトータルな経験であるため、たんに病体を診るだけでなく、患者の心身をトータルにみてケアしなければ、「病いを患う人をケアする」ことにはならず、十分な医療ケアにはならないと考えた、ということである。「患者の心身をトータルにみる」というときの〈みる〉は、「診る」だけでなく、「見る」「観る」「看る」なども含みこんでおり、「みる」とひらがなで表記するしかない。いずれにせよ、「病いを患うとはどういうことか」、「病いを患う人をケアするとはどういうことか」を改めて見つめ直すことで、「医療ケア」を問いなおそうとする本書は、必然的に「患者をトータルに〈みる〉」とはどういうことかを考えることになると思われたのである。
 この副題を添えたもう一つの理由は、これからわが国において展開が見込まれる地域医療・在宅医療においては、患者を特定の疾患をもつ患者として診るだけでなく、その患者の日常生活での様子(たとえば、どのような構造の家に住み、日常どのような生活をし、家族や地域の人びととどのようなつながりをもっているのか等々)も含め、トータルに〈みる〉ことがきわめて重要になってくると考えたからである。
 私は、ある病棟勤務の医師が、患者の退院直後にその患者の自宅を訪れるのに同行した経験があるが、そのときこの医師が、自宅での患者の表情が入院中とは全く違って生き生きしているのに驚いた、自宅に伺って初めて、その患者の視点からその人の生活が見えてきた、と言っていたことが強く印象に残っている。本論で述べるように、医学という学問そのものは、患者を一人の人間としてというよりは、一個の人体として、しかも人体に生じた医学的疾患にのみ注目して診る傾向を本質的にもっているのであるが、たとえ医師や看護師が患者を一人の人間として、身体だけでなく心理面も含めて〈みる〉ことに努めたとしても、病院の病棟や外来で患者に接するだけでは、患者が日常どのような生活を送っているかも含めて、その患者をトータルに〈みる〉ことは難しい。しかし、地域包括ケアが今後進められていくわが国では、地域や在宅において患者をトータルにみる目が、以前よりも一層重要になるだろう。
 以上からすれば、「患者をトータルにみる」ということには、患者の身体だけでなく心理面も含めてトータルに捉えるということと、患者を日常生活のさまざまな文脈のなかで具体的に捉えるということの少なくとも二つが含まれていることになろう。しかし、それは具体的にはどういうことなのか。どのような点に着目すれば、これらの意味で患者をトータルにみることになるのだろうか。このことを、現象学という哲学の視点から根本的に考え、「医療ケア」を見つめ直してみようというのが、本書のねらいである。

†本書の構成
 本書の構成について、述べておこう。
 本書は、現象学という哲学の視点から、患者をトータルにみるとはどういうことかを考え、医療ケアを問いなおそうとするのであるから、まず、「現象学」とはどのような哲学かを、本書での考察に必要な限りで明らかにすることが、本書の最初の課題となる。
 しかし、本書の読者の多くは、哲学の専門家ではなく、医療や介護に従事されている方々、地域ケアに関わっている方々だと想定されるので、いきなり哲学としての「現象学」を紹介するのは適切なやり方ではないだろう。そこで、まず第1章では、「疾患」と「病い」という、医療人類学や看護学でしばしば用いられる区別に言及することから始めて、現象学への導入を図ることにしたい。
 この区別によれば、「疾患」は観察や数量的な検査データをもとに医学によって捉えられるが、「病い」は「疾患」を各々の患者がどのような意味合いで経験しているかという「意味」経験なので、数量的なデータにはならず、したがって医学の方法論によっては捉えられない。しかし、意味経験としての病いをも受けとめなければ、患者をケアしたことにはならない。実は、「病い」のみならず、私たちのさまざまな「意味経験」に注目し、それがどのような構造をもち、どのような成り立ち方をしているのかを明らかにするのが「現象学」という哲学の特徴である。したがって、「現象学」という哲学は、患者の「病い」を理解するための視点や方法を提供してくれることが期待されるのである。
 これを受けて第2章では、「現象学」という哲学について、とりわけ創始者であるフッサールの思想と、フッサール現象学を受け継ぎ独自の仕方で展開させたハイデガーとメルロ=ポンティの思想について、本書の考察に必要な限りで解説を行う。この章での論述は、第3章以下で述べられる具体的なことがらの、理論的なベースとなるものだが、難しいと感じられるようであれば、読み飛ばしていただいても構わない。理論的なベースはともかく、現象学的な考察の成果を実践に活かしたいということであれば、第3章以下を読んでいただくだけでも十分だと思う。逆に、これから「現象学」という哲学をベースにケアについて考察や研究を行いたいと考えておられる読者にとっては、この章の解説は――ケアに関心をもつ方々向けの現象学の良き入門書が存在しない現状のなかでは――、「現象学」という哲学への良き道案内になることと思う。
 第3章では、主として、フッサール現象学をベースにして書かれたトゥームズの『病いの意味』を手がかりにし、医学という学問の見方と患者の日常の見方との違い、ずれについて現象学的な視点から論じてみたい。それは、第1章で取り上げる「疾患」と「病い」の区別を、疾患を診る見方と「病い」を経験する仕方の相違として、改めて現象学的に明らかにすることを意味するのだが、そうした考察を通じて、医学的な見方だけでは見えてこない、患者が経験している病いの意味を理解することが、患者をトータルにみることに繋がることを示したいと思う。
 トゥームズは、患者が経験している病いの意味を理解するためには、患者の語りに耳を傾けることが重要だと述べる。それはその通りだと思う。しかし私はその際、さらにいくつかの視点をもつことが、病いの経験の理解には有効だと考えている。それでは、患者の病いの意味を理解するために有効な視点とは、具体的にどのようなものだろうか。第4章では、アメリカで主としてハイデガーとメルロ=ポンティの現象学に基づいて洗練された現象学的看護理論を展開しているベナーが、ルーベルとの共著『現象学的人間論と看護』において「現象学的人間観」として提示していることがらを参照しながら、患者をトータルにみるためのいくつかの視点について、具体例も交えながら論じてみたい。
 最終第5章では、ベナーらが看護の目指す目標として掲げている「安らぎ」としての健康の概念を手がかりにして、患者をトータルにみることこそが「安らぎ」の実現につながることを明らかにしたうえで、患者をトータルにみることが、患者も医療者も、ともに人間であり傷つきやすい仲間であることの自覚をも促すこと、そしてこの自覚こそが、患者に向き合い寄り添う医療ケアを可能にすること、さらに患者に向き合い寄り添う医療ケアが、医療者の安らぎにも繋がることを示したいと思う。

†一個の人間を理解するために
 以上のように、本書は「患者をトータルにみる」ということを現象学的に明らかにすることを通じて、「医療ケア」を問いなおす試みである。しかし、患者をトータルにみるための視点として本書で詳論される「現象学的人間観」は、患者観ではなく「人間観」であるかぎり、患者だけに当てはまるものではなく、患者の家族や、医師、看護師などの医療者、地域ケアに関わる多くの方々にも当てはまるものであり、さらに一般に、私たちの誰にも当てはまるものである。したがって、そもそも一個の人間をトータルに捉え、理解するとはどういうことなのかに関心がある方々にも、ぜひ本書を手に取っていただきたいと私はひそかに願っている。

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