丸屋九兵衛

第6回:伝統なんて、あっという間に捏造される。HINOMARUの深さはどれくらい?

オタク的カテゴリーから学術的分野までカバーする才人にして怪人・丸屋九兵衛が、日々流れる世界中のニュースから注目トピックを取り上げ、独自の切り口で解説。人種問題から宗教、音楽、歴史学までジャンルの境界をなぎ倒し、多様化する世界を読むための補助線を引くのだ。

 ゆずの素晴らしさが身にしみる今日この頃。
 それもこれも、RADWIMPS「HINOMARU」のおかげである。だって、ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」はスッとぼけた語り口が面白く、「ストーリーテリングの妙」みたいなものはあったから。

 もちろん表現の自由はある。
 それを承知の上で書くと……なんだろう、この「HINOMARU」という曲の歌詞は。「RADWIMPSというバンドは、ヴォーカル野田洋次郎が書く歌詞が見どころ」と聞かされていたのだが、これでは古文+現代文の間違い探しではないか。わたしは特に「僕らの燃ゆる御霊(みたま)」という部分が気になっている。「僕らの」「御霊」……?
 参考までに記しておくと、カールスモーキー改め石井竜也の3枚組新作『龍』に収録されている曲「神器」も、「伝えられしは命の炎」「攻めてみよ 神が目を醒ます時」と擬古文バリバリだ。そのくせ、途中に「言葉じゃなく 心で誓う」という気の抜けた一節が出てきたりして、古文の徹底度は野田洋次郎よりさらに低い。しっかりしてよ。

 それにしても。
 日本人よ。愛国心と思しきモノを鼓舞する時、こんな安っぽいファンタジーの予言書みたいな口調になるのはなぜだ? 「HINOMARU」に限っても、「古(いにしえ)より」とか「受け継がれし」とか。もう少しで「選ばれし者」が顔を出しそうではないか。
 ……と、思うところはいろいろあるが、野田洋次郎の古文リテラシーに関しては既に各所で指摘されているので、わたしがやらずとも良い(英語力に関しては、わたしが突っ込まねばならんかも)。

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 ここからが本題である。
 今回、わたしが注目したのは、そのHINOMARU、つまり日章旗に対する思い込み、というか誇大妄想だ。
 曰く「古(いにしえ)よりはためく旗に」。
 ……君の「イニシエ」はいったい何年前だ?!

 まず、「日の丸」こと日章旗に対する事実関係の確認を。
  1870年(明治3年)=「日本船の目印」に認定さる
  1999年(平成11年)=法的に「国旗」と制定さる
 というわけで。応仁の乱を「先の大戦」と呼ぶ我々京都人からすると、日の丸なんぞ、まだまだ青いのだ。何よりもただ青く、燃え盛るのだ。

 ちなみに。“皇族くん”こと法学者タレントの竹田恒泰が「日本の伝統的家族制度」の基礎と考えているらしい「夫婦同姓」というシステムが日本で採用されたのは1898年(明治31年)のこと。これまた青いのだ。

 あれやこれやを含めて。君たち、集団催眠か何かにかかってないか?
 日本という国家、そしてその「伝統」が、本当に千代に八千代にさざれ石のいわおとなりて苔のむすほどの太古から続いてきたと思い込んでいるような。
 その多くが、明治維新以降に再定義されたもので、長くて150年ほどの歴史しかないというのに。

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 そもそも国家というものが、いかに移ろいやすく曖昧で、不安定か。
 そのあたりを理解するには、ヨーロッパ史がヒントになるかもしれない。

 まずは英国史の一大転換点である1066年のノルマン・コンクエスト。
 ことの起こりは、フランスのノルマン貴族ウィリアム(ギョーム)によるイングランド侵略だ。もともと彼の一族は、フランス北部に住み着いちゃったバイキングで、実効支配を後付けで承認されたフランスの地方貴族。「北欧(ノース)の男(マン)ども」だからノルマンである。
 ウィリアムはその地位に飽き足らず、イングランドの前王エドワード(この人はアングロ・サクソン)と遠縁の親戚であること他を口実に、イングランドに侵攻して見事に王位を獲得。ウィリアム征服王と呼ばれるようになる。さらに、12世紀後半になると彼のファミリーはフランス内でも所領を拡大。フランス王国の半分を支配する超有力貴族であり、同時にイングランドの王族でもあった。
 やがてフランス内の領地は失うが、現在のエリザベス2世に至るまで代々、イングランド王位はノルマン王朝の子孫が受け継いでいる。イングランドとは「アングロ(・サクソン)ランド」の意味なのに。
 国家とは、国土とは、いったいなんだろうね。

 そんなノルマン系イングランド王家を国内から追い払ったフランスが、そののちに辿った道。これまた興味深い。
 フランスといえば、1789年のフランス革命により世界で初めて「近代的な国民国家」を生み出した土地である。その国民国家としてのフランスの統合の象徴、さらには「フランスという概念の本質」とまで呼ばれるのがフランス語。16世紀以来、行政と宮廷における公用語だった……が、1789年の革命当時、フランス人の50%はまったくフランス語を話せず、流暢に話せる者に限れば人口の12%程度。パリを含む北フランスでも、都市部でしかフランス語は使用されていなかったとか。結論として「ほとんどのフランス人はフランス語など話さない」という状態だったらしいのだ。それぞれが勝手に、ピカルディ語、シャンパーニュ語、ロレーヌ語、ブルゴーニュ語、プロヴァンス語、ラングドック語、ガスコーニュ語、等々を使っていた。誰も過半数を占めえない、複雑にして美しく、混沌として多様な言語地図。
 しかし、北フランス都市部を拠点に成立した市民革命政権は、地方言語を蹂躙・抹殺し始める。王政時代は公用語でこそあれ国民に無理強いなどなかったフランス語を、公教育の中で使用を強制し、それをナショナリズムの基盤とする国民国家を作り上げたのだ。
 国民とは、国語とは、いったいなんだろうね。

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 わたしの持論を書いておく。
 国家・国民・国語とは、歴史の流れの中で翻弄される土地と民衆、言語や文化の相互作用により、その時々のタイミングで成立しているもの。永遠でもなければ固定されたものでもない。

 当然ながら、「固有の領土」も存在しない。その時々の実効支配や他国とのアレコレが領土を決定するのであって、「固有の」は幻想である。固有の領土が尊重されていれば、アメリカという国家はそもそも誕生していないはずだ。
 こう書くと「アメリカは特殊な例」「日本とは違う」という声も出よう。
 人間万事ケース・バイ・ケース、国ごとに違いはもちろんある。だか、世界史資料集の地域年表概念図(なんと呼べばいいのかわからん)みたいなやつに「日本だけはずっと日本」などと表記されているのを見ると、この国の歴史が伝説と妄想で塗り固められた聖域と化していることに危惧を覚えるのだ。

 今の日本に繋がる国家というか政治組織というか集団というか、そんな系譜は遅くとも聖徳太子の頃にはあったろう。だが、その支配領域は非常に狭く、今の日本の範囲とは比べるべくもない。古代のスコットランドやウェールズが決して「イギリス」の一部ではなかったのと同様に。
 中世に入っても長らく、日本の領域は「東は陸奥(むつ。現在の宮城県あたり)、西は遠値嘉(おちか。長崎県五島列島の小値賀島)まで」*と認識されていたのだ。
 北海道や沖縄が日本の範疇に入ってきたのは、随分と最近のことである。

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 そんな「新規獲得された日本」こと沖縄出身の参議院議員が、RADWIMPS「HINOMARU」に関してこんなことを言っている。

右も左もない。
愛国心なんて言葉も関係ない。
でもHINOMARUを見たとき、なぜか本能的に、そう意味もなく、高まる気持ちがそこにある。
https://ameblo.jp/eriko--imai/entry-12383097334.html

 本能 this、本能 that。

 中国が長い歴史の中で周辺民族を取り込んで中華という概念を広げてきたのと同じく、日本もその領域を拡大してきた。その過程で領土化されたのが沖縄だ。だが歴史が少しでも違う方向に転んでいれば、沖縄は独立したままだったかもしれない。中国の一部になっていた可能性もあるし、台湾との島嶼連合もありえたろう。
 そんな沖縄に生まれた沖縄系沖縄人(100% Uchinaanchu, I presume)の体内に、日本国への忠誠心が遺伝的にプリセットされている……わけがなかろう。それは後天的学習――刷り込みとも言える――によるものであって、本能とは関係ない。喩えて言うなら、映画『プロジェクトA』に出てくる香港水上警備隊のドラゴン隊長(ジャッキー・チェン)がヴィクトリア女王に忠誠を誓うのと同じだ。
 もちろん、そのドラゴン隊長(香港人)が中国ではなく大英帝国を、スペイン南端に位置するUK領ジブラルタルが住民投票でスペインではなくUKを選択したように、希望する帰属先を表明する自由はある(それが叶うとは限らないが)。だが、それは「本能」という言葉に象徴される「血で規定されるナショナリズム」とは正反対のものではないか。

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 話をRADWIMPSに戻す。
 あの歌詞には、野田洋次郎の幼時体験が反映されている……とする、興味深い記事を読んだ
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/rondan/CK2018062802000260.html

 それを簡潔にまとめたツイートを引用すると……

(略)異国の地で味わった父からの抑圧、それゆえの「祖国」への憧れ、そして帰国してのイジメという新たな抑圧。そして「僕にはホームがない」という絶望的な欠如意識が、根源的で永遠なる「日本」への憧憬に誘導したと。これは大正期社会運動家の国体論だよ。
https://twitter.com/akisumitomo/status/1013614692651053056

 ああ、憧憬に基づく妄想(ファンタジー)なのね。「HINOMARU」の歌詞がファンタジーの常套句っぽいのも道理である……と、自身が幻想文学野郎であるわたしが言うのはツラいのだが。
 だが、自由民主党の「なでしこ復活」議員こと杉田水脈(スイミャクじゃないよミオだよ)が、伝説の短編パロディ映画『愛國戰隊大日本』にのめり込んだ結果、あんなふうになってしまったという話を聞いて、わたしが思うのは……

 みんな、日本に関して夢を見すぎじゃないか?

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【注釈】
 日本の領域は「東は陸奥(むつ。現在の宮城県あたり)、西は遠値嘉(おちか。長崎県五島列島の小値賀島)まで」*=実際の日本列島は北東から南西に向かって斜線を描くように伸びているわけだが、古代~中世では「東西に長く伸びた形状」として認識されていた。よって、東北地方が「東の果て」、九州が「西の果て」。また、「北の果ては佐渡ヶ島、南の果ては土佐」とされていたようだ。

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