漫画みたいな恋ください

第6回:主な仕事が昨日の日記

2018年5月22日~5月26日

日記にはまった鳥飼さん。売れるタイトルについてのご意見もお待ちしています。

5月22日(火) はれ
 7時半起床、子供が食べたいというおにぎりと、茹で卵、あとはリンゴを剝いて食べさせ子供を見送ったあとまたベッドへ。昨日のネームが編集さんにウケが良かったのとすでに充分原稿を進めてある余裕からか何度も二度寝を繰り返し、これではいかんと思いながらも午後3時過ぎまで惰眠を貪ってしまった。
 睡眠不足のためもあるのだろうけど私が二度寝をやめられないのは夢が現実より面白いからである。起きて実生活に楽しそうな予定のないとき、現実は簡単に夢の魅力に負けてしまう。
 無理やり体を起こして着替えを済ませ仕事のメールをチェックしてから近所のコーヒー屋さんまで歩いていく。700円もする有難いコーヒーを啜りながらメールのひとつにあった案件、この日記のタイトルを考える。頭に浮かぶ色々な単語を端から携帯のメモに書き落としていくが中々引きの強いタイトルが浮かばない。どうでもいい話だが売れるタイトルには常に濁点が含まれているらしい。結構有名な話だと思うが真偽はどうなのだろう、本当はどうでもよくない話だったりする。
 仕事場に着くとすぐに原稿の仕上げ。今日は月にふたつある締め切り日のひとつで夜7時ごろにちょうど仕上がったその原稿を「SPA!」の編集者が受け取りに来た。原稿の確認をしながらいま雑誌で特集しようとしているらしい梅雨時期特有の病気について教えてくれるがはっきり言ってありがた迷惑だ、私はもともと病気にまつわる情報が苦手なのである。テレビなどでも健康番組になるとすぐにチャンネルを変える。情報そのもの自体が病原のような気がしてしまうのだ。
 私のこの病気や死への異常な恐怖心は物心ついてからずっと自分を脅かしてきた。20代はじめからどこかが痛むたびに卒倒しそうな恐怖を携えて癌検査を受けてきた。逆に言うとそれ以外のこと(将来への経済的な不安など)をそこまで怖がったことがない。人によってはそれは幸せに見えるだろうか。

 2年くらい前、まだ彼氏とは友達(同業者ということで言えば大先輩なのだが)だったときに近所の縁もあり、数カ月に一度下北沢あたりでご飯を食べていた、ある夜に、何のきっかけでか、自分が本当に恐れていることはなにか聞かれたことがあった。
 病気や死を何よりも恐れている、ということは別に性的でもなんでもないことだし実際付き合うようになったのはその1年以上もあとのまったく別の経緯からだったが、私はこのときの相手の、私の答えを待つ表情や空気感をいまも良く覚えていて、それを白状するのになぜか必要以上の躊躇と興奮を感じた自分自身のことも覚えていて、つまりある意味ではこの人に深入りする発端はこの会話にあったのじゃないだろうかと考えている。
 この人は私と正反対に死や病といった自分の身体の終わりについて全く無頓着である。若い頃はそうではなかったらしいが、その恐怖に耐えることが苦痛で、恐怖そのものを手放す方法を自ら構築して身につけたらしい。その方法とは端的にいうと、死や病を率先して待つというスタイルである。驚愕だった。私はこの人のこういう極端な合理性に惹かれていたりする。
 自分には到底真似できない、と思いつつも元来流されやすい性格であるためかこの彼氏と付き合う以前より、私は病気や死ぬことを怖がらなくなった。
 体が丈夫とは言えない私はよくどこが痛いとかこれは重病のせいじゃないかと口に出しては不安になるのだが、この人はそのたびにそれは激痛かどうかを聞いてくる。そして悪くなること以外はすべて良くなっていくものである、という冗談のような真理を聞いているうちに、本当に怖かったことは少し怖いものでなくなってきたように思う。
 話を元の編集さん情報に戻すと、カビの多いこの時期こまめに部屋やエアコンのフィルターに溜まったホコリの掃除をしないと怖い病気になるらしい。そんな情報は記事にせずとも昔から母親にずっとうるさく言われてきたようなことだし掃除しないと怖い病気になるなんて脅しには心底うんざりだが、今週中にフィルターの掃除だけはしようと思った。
 帰宅してわかめときゅうりの酢の物と豚肉豆苗炒めをつくった。白いご飯と、子供はそれに昨日買ってきた茶碗蒸しも一緒に綺麗に平らげた。
 本日火曜日の出来事は以上、実に平日らしい平日だった。

5月23日(水) 雨
 肌寒い、天気が崩れたのがずいぶん久しぶりな気がする。
 前の日と同じように朝起きて子供の朝食だけつくり登校とともに再びベッドへ。こんなことを繰り返していては昼夜逆転してしまう、不健康だ、しかしこの乱れた生活時間をしばらくのあいだ続けてしまっている私はいまむしろ規則的に暮らしているとも言える。「不安定を持続すれば安定になる」(古谷実『ゲレクシス』2巻)、尊敬する私の先生も漫画にそう書いていたし。
 午後に起き上がり、軽く朝食をとってから仕事場へ行く。今日はアシスタントさんはいない、かわりに先月会った例の漫画の翻訳家兼研究者ライアンさんとその知人であるキュレーターのSさんが自分の原稿を見に来た。Sさんはホノルル美術館で仕事をしており、3年後の2021年に日本の女性漫画にまつわる展示を計画されていて、その片隅に私の作品を紹介してくれようとしているのだった。光栄である。
 Sさんとライアンさん、ふたりの外国人男性から丁寧な日本語で、日本の漫画の黎明期から現在の歴史までを詳細に教えてもらった。私の知らない偉大な日本人漫画家やその作品について彼らは異常なほど精通している。その知識量に圧倒されながら、ありがたい講義を受けるような気持ちでひとときを過ごした。

 夕食の時間前に彼氏からうちにご飯を食べに来る旨連絡があった。今日は気持ちと時間に余裕があったので、大葉をたくさん入れた餃子をつくることにした。
 1パック半ぶんの皮にタネを包んで焼いているうちに彼氏が来た。私に言われてピアノを練習している息子にレゴブロックを差し入れてくれる。新しく発売されたという、髪型や服を自由にデザインしてオリジナルの人形をつくれるセットである。子供が「あーありがと」と、小四以上でも小四以下でもない反応しかしないのが、そばで餃子を焼きながら気になってしょうがない。
 せっかく彼女の息子におもちゃをプレゼントするという柄にもない行動をしてくれた彼氏にとってはかなり物足りない反応だったのではないか。息子、もっと喜んで見せんかい、と口惜しく思うがものをもらった反応にまで口を出すのは私の仕事ではないだろうと思ってそのままにしておいた。
 食事をしながら私は彼氏が子供の感謝具合にがっかりしてるのじゃないだろうかと引き続き気にしている。息子はそれよりも私の顔色を気にしてか、私のつくったものには味あるよー、おいしいよーと大きめに反応したりする。彼氏は何を考えているのかわからないが、少なくとも私の用意した食事についてありがたがったり反応したりすることはいままでどおり、ほとんどない。だからつまり、私が気に病む必要はないということで、いいのでしょう。
 子供が寝たあと、彼氏とテレビを見ているうちに物理法則の話になった。道路を走っているトレーラーに後ろから走って来た乗用車が乗り上げるというシーンがきっかけだった。
 時速80キロで走っているトレーラー車に追いつくべく80キロ以上でそこに乗り上げた瞬間その車は160キロ以上の速さで飛んでいってしまうのじゃないか、と彼氏は言う。一度考えだすと物理が苦手な私は、動いている車に物や人が静止していられるということ自体が理解できなくなってしまった。
 なぜ私は高速で移動している電車に立っていられるのだ。そんなことは皆、中学や高校できちんと習ってきたはずなのに、私はそれが理解できてない。近代人として初歩的すぎる質問を彼氏に繰り出しながら話は地球の自転が止まってしまったらどうなるのか、ブラックホールに吸い込まれ押しつぶされる物体が外側からは止まって見えるという説や、霊や転生は物理的にどうありえるのか、という壮大かつ根拠も解も私たちでは到底見出せないような果てしないものになった。私はこうやって自分の知らないことや考えもしなかった見解を、それが当てずっぽうなものであっても語られ教えてもらうことが好きだ。そういう情報が好きというより、それが目の前の人から直に私に語りかけられることが、良いのである。相手が付き合っている男性だったりすると、なおのこと良い。
 自分では想像もしなかった脳内世界が、自分のすぐ近くに、触れられる肉体の中で成立しているのを感じられることがたまらなく好きだ。自分とまったく違う思考や興味が異次元的に広がっているその人の意識の一部分が、自分に関心を向けていることに無限のときめきを感じる。それは奇跡的で、とてつもなく怖いことでもある、と思う。
 壮大な話をしすぎたのか、そのまま彼氏はうたた寝してしまった。私は大量の餃子で満たした腹に2缶目のビールと柿の種を放り込みながら、配信ドラマの続きを観て夜の残りを過ごす。雨の止んだ2時ごろ私に起こされて眠そうな顔をしたまま、「また土曜日に」と言って彼は自宅に帰っていった。

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