漫画みたいな恋ください

第8回(最終回):日記やめたい

2018年5月31日~6月4日

ご愛読ありがとうございました。鳥飼さんの恋の結末は、単行本で見届けてください。

5月31日(木) 雨
 いつものように昼に起きて掃除、洗濯。最近は二度寝が長引くのを避けるために子供が出てからはソファーで寝るようにしている。
 洗濯が終わるのを待って、一度職場へ行き、荷物を置いて昼ご飯を食べにひとり三軒茶屋まで歩く。今日はマクドナルド、そう決めていた。マクドナルドの前に行列ができるようになったのはいつからだろう。ここでも渋谷でも二子玉川でも、マクドナルドの前には行列ができている。昔は行列してまでものを食べたりするものか、というプライドがあったのだが最近はそういう矜持みたいなものはどんどんなくなり、それよりもなんとしても、いまはマクドナルドのものが食べたいのだった。5分ほど並んで購入したハンバーガーとポテトを職場までの帰り道、歩きながら完食した。
 今日もアシスタントさんたちに混じって作画の続き。指示した背景の間取りが既出のそれと矛盾があるとの事で私たちは頭を悩ませた。こういうことが、うちの仕事にはよくある。開き直って言うことではないのだけど、私には物語をつくるための綿密さが欠けている。そういう詰めの甘さがのちの自分とアシスタントさんたちを苦しめるのだと知りつつ、勢い任せで進めてしまうときがある。
 自分の漫画に欠損が見つかるたび、必ず頭をよぎるのは彼氏のことだ。作品の綿密さ緻密さ整合性においてこの人は業界最高レベルにあると言っていい。そんなあの人が見たらきっと軽蔑するに違いない(進んで見ることもないと思うが)。描いているテーマもそれ自体が口論を生む程度には好かれていないうえに、構成にも絵にも胸を張れるところがない、自分の漫画は穴ぼこだらけのような気がしてしまう。
 なんとか辻褄を合わせる逃げ道を捻り出したあと、そのことは忘れて原稿を進めようとするがどうしても自分の仕事の未熟さに頭が向いてしまい気分が暗くなる。落ち込みながらも手は動かさないといけない、描く、描く。稚拙でも描く。
 誰かと自分を比べるとてきめんに精神がまいるのが私の弱点。それをすぐに忘れてしまうのがもっと大きい弱点。
 今日はいつものようにみんなで楽しく話をしながらの仕事はできなかった。

6月1日(金) くもり
 昼にいつものコーヒー屋さんまで歩いて出かけ、サンドイッチとアイスコーヒーの朝食をとる。
 今日はアシスタントさんがいない日で、金曜だから夜にはひとりになるので原稿は夜からやることに決めてここでは「SPA!」の連載の次回ネームのためにプロットを練ることにした。本当ならばこれが最終話になるところだったが前回の打ち合わせの結果、一話増やすことになった。こちらのほうの漫画は「ダ・ヴィンチ」のとは違って超現代劇なのですらすら描ける。
 物語を書くとわかることだけど、私たちは言葉以外のものや背景に、暗黙の共通言語のようなものを強く持っている。当たり前みたいな話だけど実は面白いことで、私たちは利用するインフラや電子機器やコンビニや駅やスターバックスや花柄のワンピースやなんやかやを通して、思った以上に人物の機微や感情の揺れ、苛立ちなどを受け取ることができる。漫画やドラマの中に空白を埋めるように切り取られた背景や小物が描かれるけど、そういうものから無意識に私たちは意味を受け取っているし、描くほうもある程度は無意識にそれを委ねていたりするのだ、と思う。
 SFというのはその当たり前にあるものを取っ払ったうえで共感を得ようというのだから、相当難しいことなのだ、と、始めてしまった以上どうにか終わらせねばと足掻いているいまはよくわかる。

 プロットは昔の思い出を辿るくらいのスムーズさでできあがったので、帰宅。
 このあと、耳鼻科に行った子供がどこかに保険証をなくしたというので大いに叱る。叱るというより怒鳴りすぎて喉が痛い。それまでは世間話をしたり小遣いをやったりして機嫌よく振舞っていたのに、子供のちょっとしたミスでおじゃんになってしまう。怒らない母親でありたいのに、我慢ならずに怒ってしまう。本当はいつも機嫌よく優しい母親像というのが自分の中にあって、それは誰なのかわからないが自分の母親ではないことは確かで、時によって他の子のお母さんだったり道端で見かけただけの気の優しそうなお母さんだったりして、自分はそのようにありたいかというと実はそうでもなく、よくよく考えるとそれは、相手(この場合自分の息子)が求めているであろうと私が勝手に判断した誰かの姿であることに気づく。
 あの人のようでいてほしいんでしょう、そうじゃなくて悪かったね。そんなふうに思って勝手に負けたような自分に苛立ち、本当はそんな人と比べられたくないのに比べられた、と相手を責める気持ちまで生まれてしまうのだった。
 これは彼氏に対しても、本当のところ、まったく同じ心理状況ではないか。そう考えると、私は人に誰かと比べられることをとにかく恐れていて、それを回避するためなのか、自分から率先して比べられている自分をつくりあげ、まず先に自分が比べて見せ、その結果に腹を立てているのだ。これはかなり衝撃の発見だった。事実に気づいたはいいがこの先どうやってこんなめんどくさい気持ちと折り合いをつけていけばいいのか、いまのところ皆目見当がつかない。
 子供のことについては、子供の問題に自分の劣等感を絡めるのはなるだけやめるようにしたい。というか、どんな問題にも、いちいち自分を紐づけて考えるのをやめるようにしたい。自分のすべての元凶がそこにあるような気がしてきた。参った参った、と観念しながらもどこかでその新発見に興奮している自分もいるのだった。

6月2日(土) はれ
 昨日は仕事のあといつもの近所のバーに行って話が盛り上がり帰ったのが三時ごろ。昼間になって起床。眠る前に猫缶を切らしていて、猫はそれをにゃあにゃあと要求するので、代わりになるようなツナの水煮缶を家中探したがなく、止むを得ず楽しみにとっておいた高級カニ缶を半分餌皿にあけたのだがお昼になってもまったく口をつけていないようだった。
 残念なようなホッとしたような気分でとりいそぎコンビニまで猫缶を買いに行った。ついでにアイスコーヒーも調達。前日の日記を書いて、夕方の約束のためにゆるゆると支度を始める。

 今日は仲のいい漫画家の友達と、サウナに行って夜までのんびりする予定なのだった。どうせお風呂に入るからと化粧もほとんどせず、新宿三丁目にあるスーパー銭湯「テルマー湯」に行った。広い館内は落ち着いた雰囲気で、お風呂が数種と岩盤浴、サウナに食事処や仮眠室も併設されている巨大リラクゼーション空間。スタッフは皆礼儀正しく、お客さんは一様に用意された南国調の館内着に身を包み、手ぶらでお風呂や食事を楽しんでいる。「人工の天国」、一言で表すならそんな感じだった。
 連れてきてくれた彼女とは知り合って2年くらい。どこか浮世離れしたようなこの人には最初会ったときから不思議と波長が合うような感じがあって、数カ月に一度くらいはこうやって出かけたりしている。この日は夕方5時半から約5時間、サウナや冷水浴や寝湯や食事を共にしながらずっと話が尽きることがなかった。ふたりとも占いが好きなのでだいたい会うと占いや風水などの話をする。
 こういう話は苦手な人も多いので、おおっぴらに語り合える人は貴重なのだ。私が占いを好きな一番の理由は、その根底に人はそれぞれにまったく違う価値観のもとに行動している、という前提があることだ。同じ状況に居合わせても取る行動や発言が皆違うことは当然だけど、なぜ人が自分と大きく違う対応をするのか、または似た行動をする人がいるのか、不思議に思ったことはないだろうか。感じ方自体が違うのか、発し方だけが違うのか、他人との、その距離のグラデーション。そういうことは星占いなどを細密に見ているとそれぞれ縦横に軸が据えられ、その体系上では色々な人と自分の座標が明らかになる。
他人に対して、根本的に分かり合えないという諦めと、それでも理解し合いたいという欲が同じ分量くらいで常に稼働している私にとって、これはとても興味深く腑に落ちるものだった。だから私は占いが好きではあるけど、タロットや易のような、神秘性や偶発性に依る占いにはじつはそんなに関心がない。生年月日や、顔の造作など、誰が見てもある程度同じ結果を一つの体系から得られるものが好きなのだ。
 体系的だからといって、もちろん科学的な根拠はない。だから一応、だ。暫定的に、人と自分を、適切な距離を保って配置して考える一助になる。そうしないと他人に対してすぐに、なぜ自分と同じように考え行動しないのかと不満に思ったりしがちだから。
 大きなお風呂に浸かりながらこの日彼女と話したのは「蟹座っていないよね」ということだった。先述の理由で知り合いのほとんどの生年月日を把握しているつもりの私だが、身のまわりに蟹座の人が不思議なくらい見当たらない。聞いてないだけで本当はいるんだろうか。
 12星座にはそれぞれを象徴する動詞が当てられている。私は獅子座でI will、隣の彼女は水瓶座でI know。蟹座の人はI sense、だそう。ちなみに同じ占い好きの彼女は私とちがって、オカルト的なものや神秘性みたいなもの、もっと個を超えた宇宙的なことにより関心があるように感じる。部分的には自分と同じようで、違う所がたくさんある彼女と話しているのがとても楽しい。
 何度もサウナと冷水浴を繰り返しているとほんとうに体も頭の中も、無重力の中にいるような不思議な感覚になる。これ以上ないくらいサッパリしたお風呂上がりの体で、猥雑な夜の新宿ゴールデン街辺りを歩いているのが新鮮だった。
 帰り際に、今度は池袋の別のスーパー銭湯に行く約束をして、彼氏の家に帰った。

6月4日(月) はれ
 猛暑。絶対に30度超えている。彼氏の家から自分の仕事場に帰るのに運動不足解消のため40分かけて歩くことにしてたけど今日はさすがに無理、干からびてしまう、大人しくタクシーで帰る。
 きのう日記を書けなかった、彼氏と朝までケンカをしていた。寝たのが朝だから一日が全然終わらなかったのだった。

 私のことをお姫様みたいと彼は言った。
 どこかに行くのにも誘われるのを待ち、誘ってくれないと不機嫌になって機嫌を取られるのを待つ私はちやほやされたがりのお姫様みたいだと。
 ついでにこの日記のこともあれこれ言われた。彼氏のことを書いているから事実確認という名目上、編集さんを通じて彼氏にこの日記、ここまですべて目を通されている。私の気持ちを書くのが日記なのだから、一方的過ぎたり勘違いがあるのは当たり前なのだ。だからこそ最大限の想像力と共感を持って彼氏のことを書いてきたつもりだし、編集さんとのあいだで配慮もしてきたから読まれることにそれほど抵抗はなかった。それでも気に入らないところが何個もあったって言うのでそれはほんとうにどうしていいのかわからない。
 でも彼は物書きだから、私の日記が私の作品である以上、それを訂正しないでと言った。
 私は相手が何かしてくれるのを待っているだけで、でも自分ばかりが何かをしてあげてる気持ちでいて、そんな自分のことを可哀想に思っていて、だから不満が尽きないんだと彼が言った。
 一方的な感情と、それを言い訳するように取ってつけて見せたような卑屈さ。それが私の日記を通して彼が感じたことだという。
 不満が尽きないから我慢していることを察してもらおうというのが伝わって、それが相手をうんざりさせるんだって。
 そうやって理屈で説明されると自分の悪いところがありありと目で見えるようだった。

 この人になにか自分の問題を指摘され出すと、私はいつも思考が止まってしまう。目が大きいのだ、目が大きい人の言うことに人は飲まれやすい。
 自分の欠点を言葉で丁寧に指摘され続けると頭がクラクラしてきて本当に許してくださいという気になる。そもそも不満を口に出したのは私のほうからで、自分で蒔いた種の結果がこれ。私も負けじと引っかかる言葉や矛盾を指摘して反発するけど、感情が刺激されると理論が止まるから理論的な態度を崩さない人には理屈では敵わない。
 私はそれでも、お姫様みたいと言われたことがどうしても気に入らなかった。お姫様というのは何かをしてくれた人に対してこれつまんない、要らない、ほかのちょうだいって平気で言っちゃう人じゃないのか。私は彼氏に何かをしてもらうのが好きだけどしてもらった以上は全力で嬉しがる。この人はご飯をつくっても嬉しそうでもなくありがとうも言わない、だからそんな人に何かするより私が彼のしてくれたことに全力で乗っかって喜ぶほうが全体としては建設的だと思っていた。
 まともに反抗できたのはこのくらいだったけどそれも私の勘違いで、私がお姫様然であることには変わりがないと言われた。何を言っても飲まれる。何かを言う気力がなくなっていく。私が悪いならそれで許してほしい、最初から私が間違ってた。洗脳、と頭に浮かんだ。

 私何が言いたかったんだっけ。車で出かけるとか出かけないとかそんなやりとりで私が優柔不断になって委ねる態度で彼をイライラさせて、その機嫌を直してもらうためにまず自分の機嫌をなんとかしてもらおうとしたのだった、それが間違いだった。人の機嫌を直したいなら何をおいてもその人の気持ちに寄り添うべきで、間違っても自分の機嫌を先に直してもらおうなんて考えてはダメなのだ。
 そしていつでも先んじて自分の機嫌をなんとかしてほしいと思うのは、常に私が彼に対して何かを我慢している気でいるせいなのだ。
 こんな関係は長くは続かないよ、彼がそう言うが私もまったくその通りだと思った。
 返す言葉もなかった。
 時間が経ち夜が白けていくうち体がもうギブアップのようで気持ち悪くなってしまった。しんどいです。謝らないと決めていたのに私は耐えきれずごめんなさいと言い、すぐさま「謝る必要はない」と言われた。
 朝になってから彼氏の家のベッドで横になり頭を鎮めながらいまの感情に焦点を当てるとただ一言、しんどい。それだけ。
 日記やめたい。書いても書いても愛なんか伝わらない。ここまで何万字書いた、それが一体何を生み出した。編集さんに電話してこういうことがあって日記やめたいですと話すか話さないか、仕事しながら今日夜7時まで考えた。職場では一言も喋らなかった。それでいま、電話じゃなくて結局日記に書いている。発散するみたいに一方的に。
 お姫様なんかじゃないと抵抗していたはずの私はいまになってお姫様でなにが悪い、と思っている。
 お姫様みたいにちやほやされるのが大好きだからこれ以上ないくらい楽しんでみせたるわ見とけよ。
 そんなこと言う勇気もない、別れるのが怖い、会っても嫌われるから怖い、彼氏のこと考えるのしんどいけど脳みそ生きてるかぎり考えてしまうからもう消えてしまいたい。
 いまわかった。私が日記に何万字も書きつけてきたのは、愛を上回る不満と不安だった。

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