確認ライダーが行く

第10回 桜の確認

 振り返ってみれば、母と桜並木を歩いたのが、この春、もっとも花見らしい花見だった気がする。
 ちょうど桜が咲く頃、関西での仕事があったので実家に寄った。
 父、82歳。母、74歳。娘のわたしが47歳。3人でテレビを見ながらの夜ごはん。5時半なので、正確には夜ではなく夕方である。こんな時間に夕飯を食べている状況をおもしろがっているのは娘だけで、老夫婦には、いつも通りの食卓なのだった。
「堤防の桜、今、満開やで」
 と、母が言った。
「ワシ、まだ見てないなぁ」
 と、茶をすする父。
「じゃあ、明日、ふらっと歩きに行こうよ」
 と、わたしが言い、花見の話がまとまるのだが、そのメンバーに父は入っていない。父の「ワシ、まだ見てないなぁ」は、ただの感想として、妻と娘に受け流されており、詰まるところ、女ふたりで気楽に行きたいのだった。
 翌日、わたしと母は連れ立って花見に出かけた。
「じゃ、お父さん、ちょっと行ってくるから」
 玄関で、母が父に声をかけていた。「うん」と返事があったのかもしれない。わたしは、スニーカーを履き、もう外に出ていた。
 堤防の桜は、母が言ったようにちょうど見頃。桜並木は2キロほどつづいていただろうか。
 のどかだ。シートを広げ、お弁当を食べたり、昼寝をしたりしている人々がいるが、混んでいるということもない。
 桜のトンネルをくぐりながら、ふたりでどうということもない会話をする。最近、父がテレビのコマーシャルで見たものを食べたがり、まるで子供だと母が呆れていた。
「おーい」
 反対側の土手から声がかかる。母の友人たちが宴会をしているようだった。おいで、おいでと、みんなが手招きしていた。母は笑顔で手を振り返し、わたしは頭をペコリ。
「その娘さん、益田ミリさんのほう?」
 と、その中のひとり。母がそうだと答えると、
「朝日新聞、いつも読んでるよ~!」
 川向こうからの声援。今度はさきほどより深めに頭を下げるわたし。
 再び、母とふたりで桜並木を歩いて行く。わたしが戻っていなければ、母もあの宴会に参加していたのだろう。
 
 毎年、春がくると、東京の桜の名所と呼ばれているところへ出かけずにはいられない。
今年は千鳥ヶ淵と、目黒川沿い。どちらも人であふれ返っていた。「立ち止まらないでくださーい!」という警備のアナウンスを浴びながら、
「今年もなんとか見られた……」
 もはや確認のように桜を見上げていたのだった。
 人生で、あと何回、桜が見られるだろう?
 大人たちのセリフに、子供時代のわたしはポカンとしていた。  
 え? 何回でも見られるよ? 学校の行き帰りにもあるし、校庭にも咲いている。なんなら、一度家に帰って、また見に行ってを繰り返せば、何百回でも見られるよ?
 やがて月日は流れ、〈あと何回〉の意味もわかるようになり、そして、母とふたりで桜並木を歩いた春。
「お父さん、一緒に来たいって素直に言われへんのやろな」
 と、わたし。母がなんと答えたのかは忘れてしまった。
「でも、お父さん来ると、気つかうしな」
 わたしがつづけると、「そうそう」と母は笑っていた。