昨日、なに読んだ?

File39. 死とニヒリズムを考えるときに読む本

中島義道『明るいニヒリズム』、マルティン・ハイデガー『存在と時間』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。 【永井陽右(NPO法人アクセプト・インターナショナル代表)】→→横田創(小説家)→→???

 子どもの頃から本に漠然とした苦手意識があり、全然本を読んでこなかった。というのも、勉強嫌いだった私には教科書こそが代表的な本であったからだ。大人になって必要な本はしぶしぶ読むようになったうえ、世の中には教科書とは似ても似つかない面白い本もあるということも知ったが、今も本が大好きというタイプではない。とはいえ、そんな私にも定期的に読み返す本がある。二週間ほど前にも一人深夜に読み返していた。
 もう六年ほど前になるが、大学に入学した後、私はひたすら死について考えていた。大学一年次に比類なき人類の悲劇と形容されていたソマリアを知り、ソマリアをどうにかしなければと行動し始めた。それと同時にガキなりに死について真剣に考え始めた。というのも、考えれば考えるほど死というものがたまらなく怖くなったのだ。死とは何か? どうすれば死を克服できるか? といった問いは、リアルな問題として私の目の前に存在していた。
 一つヒントになるのが哲学だと思った。そうして文学部の「感性と死の問題に関する導入」というゼミ授業への他学部生ながら参加を決めた。参加者は10人ほどでほとんどが文学部哲学科の生徒、しかも3年生や4年生が多かった。私は哲学なんぞ全く知らないし哲学用語だって一つもわからなかったが、御子柴善之先生が「哲学とは自分を通して考えること。永井君は今まさに哲学をしているのです」と堂々と言ってくれた。私は全力で哲学をしようと決めた。
 そのゼミで輪読したのが中島義道の『明るいニヒリズム』(PHP研究所)だった。哲学科の学生にとっても難しい本で、何度も何度も時間をかけて読み込んだ。その中で、自分として、客観的世界は精巧な仮象にすぎず生きている意味・価値・目的はないというニヒリズムを克服するのではなく、「すべてが無意味であること」に誠実であることの大切さを理解した。過去も未来もなく、〈いま・ここ〉しか存在しないということをどこまでも突き詰めて思考する先にはどこか清々しい明るさがある。
 ニヒリズムに興味をもった私がその後に読み感銘を受けたのがあまりにも有名なハイデガーの『存在と時間』(原佑・渡邊二郎訳、中公クラシックス)だ。「人はいつか死ぬ、しかし当分は自分の番ではない」ではなく、死を正面から直視し自覚するということによって生まれる主体性がある。原則として人生に意味・価値・目的がないとしても、その人生を〈いま・ここ〉で終わらせることができないのであれば、その主体性こそが自分が生きる理由に関係してくるように思えるのだ。
 おそらく私はいつか死ぬ。そしてこの世界に意味はない。ならば〈いま・ここ〉で私はどう在るべきなのか。自己が自己であることを、自己から自然的に獲得することはできない。その中で、死と向き合いつつ自己を根拠づけるということ。これこそが人間が人間らしく生きるということなのではないか。私はいつも決まってこの2冊を読み返し、何をするべきかを考える。

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