丸屋九兵衛

第7回:真夏のヴィーガン・ヴァイオレンス! 緑色ゼノフォビアvs肉食セルフィッシュ

オタク的カテゴリーから学術的分野までカバーする才人にして怪人・丸屋九兵衛が、日々流れる世界中のニュースから注目トピックを取り上げ、独自の切り口で解説。人種問題から宗教、音楽、歴史学までジャンルの境界をなぎ倒し、多様化する世界を読むための補助線を引くのだ。

 「フード・ファディズム」という言葉がある。
 ええかげんな情報に踊らされ、「あの食べ物は体にいい」「あの食品は健康に悪い」と騒ぐこと、の意味だ。科学的根拠とは無関係に。

 最近でいうと、最強のフード・ファディズムは「グルテンフリー」狂想曲だろう。厳密な意味でグルテン耐性がない人(セリアック病)は人口の1%と言われてるんだが、世に飛び交う「小麦は今すぐやめなさい」系の言説が人々の痴性を刺激してやまないようだ。
 これは一つの疑似科学。マクロビオティックの開祖なぞは「タバコは植物だから体にいい」と言っていたみたいだし、健康志向のストイックなヴィーガンの中には「体に悪い砂糖が、植物から生まれたものなわけがない!」という排他的(?)発想の人もいる。どちらにしても、科学を超越すること、ヴィン・ディーゼルの如し、である。
※ヴィン・ディーゼル主演&制作の映画には、科学や常識を無視した展開が多い。絶対零度の下を行く気温の惑星など。

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 だが、いまヨーロッパで起きているのは、むしろ「フード・ファシズム」だ。

 完全菜食主義者の肉屋襲撃が多発、政府に保護要請 仏

 上記は7/12の日本版CNNに躍った見出しである。
 曰く「フランスの肉屋の業界団体は12日までに、完全な菜食主義者団体による店舗への『テロ』にも等しい深夜などの襲撃が今年多発しているとして内務省に対し保護措置を講じるよう要請した。襲撃の関与者の逮捕も期待している」「魚屋を含め、店の窓ガラスが割られたり店頭に肉反対のスローガン字句がスプレーで描かれ、血液を模した液体で汚されたりするなどの被害が出ている」「肉屋の業界団体は実際の被害件数はより多いとし、過去半年間で肉屋、魚屋やチーズ店の100店以上が標的になったと主張」

 和訳がいくぶんぎこちないが、そこは許そう。とにかく、チーズ店も襲撃するということは、乳製品も認めんということ。だから、訳文中の「完全な菜食主義者」がヴェジタリアンではなくヴィーガンを指すことがわかる。実際、英語で検索すると'extremist' vegansや'militant' vegans、さらにはvegan violenceという言葉が見つかるのだ。
 凄いなあ。イスラム教徒が仏像を破壊するのがテロなら、菜食主義者が肉屋を襲撃するのだってテロだろう。正義の押しつけ、ここに極まれり。白色テロならぬ緑色テロか……。

 ここで、「このヴィーガンたちが何を目標としているか」について少し考えてみたい。
 つまり「動機は何か」ということだ。それは、1「動物がかわいそう」なのか、2「肉食者たちの健康を案じてあげている」のか。あるいは3「地球環境に配慮している」のか。
 1「動物がかわいそう」の可能性は高いが、こういう人間に限って他の人間に対する人間らしい感情は持ち合わせていないらしい。別の事件で死亡した肉屋について「正義が下された」と宣言したヴィーガンもいるので、2「肉食者たちの健康を案じてあげている」は考えにくかろう。
 3「地球環境に配慮している」だとしたら笑い草である。人類による環境破壊の起源は農耕の発明。なのに、その「諸悪の根源」こと農業に寄り添う食習慣である菜食主義を聖旨のごとく他人に押しつけるとは……なんたる勘違い聖戦野郎! ちゃんちゃらおかしいわい、ということだ。とはいえ、今になって農業をやめても、ボロボロになった生態系が元に戻るはずもなし。我々はこのまま農耕と牧畜、そこに狩猟(漁業を含む)を加えて、食料をなんとかするしかないのだが。

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 80年代のTVドラマ『俺がハマーだ!』を思い出す。
 主人公は暴力刑事スレッジ・ハマー(これでも人名)。映画『ダーティ・ハリー』以降の「過激な刑事」キャラクターを極端にカリカチュア化した存在である。
 ドラマ中で、彼はこう言うのだ。
 「ドーナッツを食べるとリベラルになる。気がつくと、バリー・マニロウを聴くようになり、銃所持に反対するようになる。だから俺はグラノーラを食べるんだ!」

 こんな話を持ち出した理由。
 それは、今回の肉屋襲撃事件が『俺がハマーだ!』同様に、単純なステレオタイプの逆を行く展開だからだ。
 ステレオタイプでは、「右寄り/反知性派/肉&ジャンクフード(ドーナッツを含む)」vs「リベラル/知性派/“ヘルシー”な食生活、時に菜食主義(グラノーラも)」となろう。さらに、前者は暴力的でアグレッシヴ、後者は理性的で受け身がち、と見なされることもある。そんな後者に分類されるであろうヴィーガンが、肉屋(前者に属する職種である)をアタックとは!

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 かくいうわたしは、とても肉食寄りだが野菜を適度に食べ、炭水化物を低く抑えた食生活をしている。ま、思想面と知性面の判断は皆さんに任せるがね。

 そんな肉食中心者の目で、日本のヴェジタリアンたちがSNS上にアップしている写真を見ると……深刻なタンパク質不足が案じられてならない。
 わたしの体重、つまり63kg前後を例にとろう。
 さて、63kgのホモ・サピエンス(わたしとて姿形だけは人間である)が1日に必要とするタンパク質は、わずか63g。体重の1000分の1でいいのだ。kgをgに変えればいいだけだから、簡単である。
 しかしわたしは、いつだってウェイトトレーニング・シーズン(少なくとも心掛けは)。子供のタンパク質摂取量の基準値が大人より高いのと同様、筋トレ中の大人も、取るべきタンパク質は多くなる。基本は体重の500分の1。つまり、先ほどの通常モードの2倍だ。これを「育ち盛りモード」と命名しよう。すると126gである。
 このタンパク質126gを摂取するためには、何をどれくらい食べればいいのか?
 肉で言えば630gである。一言で「肉」といってもいろいろな肉があるが、タンパク質の含有量はたいてい20%前後だ。なんにしろ、630gも肉を食べると、そのぶん摂取カロリーも跳ね上がる。このジレンマを回避するためにプロテインドリンクというものがあるわけで……。
 閑話休題。
 育ち盛りモードでは計算がややこしいので、「63kgのホモ・サピエンスが1日に必要なタンパク質は63g」の通常モードで考えてみよう。
 「タンパク質含有率が高い植物だってある!」という声もあろう。その代表格……というか、事実上唯一の候補は大豆だ。大豆製品で最もプロテイン満タンなのは、きな粉(35g/100g)。しかし、きな粉を一日あたり200gほど食す成人男子(いや、老若男女を問わず)もそうそういないだろう。次点は油揚げの18.6g/100gだが、それだけで63gのタンパク質を取ろうとすると338gも食べることになる。完食可能か?
 もちろん、人は肉のみにて生きるにあらず、そして大豆のみにて生きるわけでもない。とはいえ、日本人の主食とされる稲は白米換算で6g/100g、玄米にしたところであまり変わらず7g/100g。玄米を力いっぱい240g食べてもタンパク質は16.8g。あと46.2gはどうする? ここも大豆製品で考えるなら、納豆(16.5g/100g)を280g食べればOKだが、納豆は100g単位で食べるものだろうか?
 大豆ですらこれなのだ。もっと野菜然とした野菜を中心に「お野菜が好きです❤」みたいな食生活をしている人となると、絶望的である。人間たちはわたしと違って1日3食かもしれないが、それでも万年タンパク質不足は免れないのではないか?

 「ヴィーガニズムは人間生活と相いれない」。
 この断言は、「ニューヨーク市にあるコロンビア大学メディカルセンターの栄養医学部門ディレクター」がタンパク質について語った記事からの引用である。この専門家は、こうも言っている。「ビタミンB12は動物(性タンパク質)にしかなく、われわれ人間にはB12が必要だ」。
 この先生のように「ヒューマンライフとヴィーガンライフ、両雄並び立たず!」とまでは言わないが、わたしもこれくらいは言い切っていいだろう。
 菜食主義、とくにヴィーガニズムは、むしろ不健康なのだ、と。

 ……ということは。
 もし、わたしが他人の健康に口を出すたちならば、肉食に傾斜した食事を推奨して回るべきだろう。
 だが実際のわたしはどうだ?

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 我が家では、コーヒー、そうめん、サッカーが嫌われる。これらは全て、死んだ父親が好んでいたものなので、親族一同全員から無条件で総スカンだ。そしてタバコも。
 そのわたしが、今は日本たばこ産業株式会社と組んでいる。

 5月から新たに始めた【丸屋九兵衛セミナー Rethink World:マイノリティ・リポート】というイベントは、日本たばこの人と知り合ったことがきっかけで、同社が銀座に持っているカルチャー発信スペース「Basement GINZA」で開催しているものだ。このスペースは地下1階で、1階にはPloom TECH(電子タバコの一種)販売店があり、2階は「RETHINK CAFE GINZA with Ploom TECH」。ここは、「ノースモーキングだがPloom TECH可」という飲食空間になっている。

 「ノンスモーカーなのに日本たばこと提携?」「君は嫌煙家じゃないのか?」
 そう言われることもあったが、だとしたらタバコと関わる全ての人と物を避けるべきなのか? わたしはそう思わないな。
 なぜなら、他人の趣味や嗜好や主義や生き方には口を出さず――それでいて没交渉となるのではなく――平和共存できるのがベストだからだ。
 Ploom TECHには、共生を助ける可能性がある。つまり、歩み寄りの余地がある。なのに「健康うんぬん」等を大義名分に、喫煙者を断罪し、関わりを拒否するとしたら……それは独善的というものだろう。

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 わたしが敬愛する作家、故アーシュラ・K・ル・グインの名作『闇の左手』には、こんな一節がある。
 「私が言う愛国心とは愛ではない。恐怖だ。自分とは異なるものへの恐れ。それは、憎悪、敵対、攻撃で表現される」。
 これは1969年に書かれた小説だが、この病理はまさに今の日本だ。単なるゼノフォビア(他者を嫌うこと、異民族嫌悪)が「愛国心」の名で通用してしまうのだから。
 さて、ゼノフォビアを抱えた人間たちがとる行動は、ほぼ二通りしかない。
 他者を「殲滅する」か「同化を強制する」か。

 後者の方が現実的なのだろう。
 歴史を振り返ると、他者に自分の流儀を押しつけ、同化を強いる事件は枚挙にいとまがない。オック語話者にフランス語を強制したり、ユダヤ人にキリスト教を強制したり。あるいは、仏教に改宗した不可触賤民に対し、ヒンドゥー教への再改宗を強制したり。
 そうした行為の動機(の少なくとも一部)が往々にして「これが正しい神だから」「こちらの方が気高い言語だから」という親切心だったりするから、さらに恐ろしい。

 わたしはヴィーガンたちの口を無理やりこじ開け、肉をねじ込んだりはしない。そんなことしたら、わけまえ減るやん!
 自分の流儀を押しつけて人を不幸にするより、これくらいの利己主義で生きていこうと思う。つまり、“live and let live”ということ。

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