漫画家入門

第2回 長い死体と滑車とサンダーバード

2018年6月11日~23日

大好評の「漫画家入門」、夏らしい怪談めいた話題が満載の回です。

6月11日(月)、12日(火)

 毎週月曜と火曜はゆかちゃんが手伝いに来る。このように2日続けて仕事の場合は、ゆかちゃんはいちいち帰らずに泊まりがけでの仕事になる。月曜の夕方ごろに来て、1日目はそのまま日をまたぎ午前4時ごろに仕事を終える。僕はそのまま眠くなるまで原稿を描いたりネットを見たりしているのだが、ゆかちゃんは寝る時間までの暇つぶしに僕の机の横にある60インチのテレビでゲームをするのが慣例になっている。
 以前はスタッフが自分の仕事場に寝泊まりするなんて考えられなかったのだが、独身になってからはどうでもよくなった。彼女はいい顔しないだろうが、離婚後、別居したてのころは掃除や洗濯までしてもらっていたのでかなり助けられていたのは事実だ。
 いまゆかちゃんが遊んでいるゲームはswitch版の「星のカービィ」だ。僕もファミコン版は好きだったが、最近のシリーズはあまり遊んでいなかった。最新作のカービィは仲間を3人まで連れて歩ける仕様のようで、それ自体は面白そうなシステムだと思うのだけど、ひとつだけどうしても気になる点がある。仲間がダメージを受けて体力が減っている場合、プレイヤーであるカービィが自身の体力を仲間に分けてあげることができるのだが、その方法が「口移し」なのだ。そもそも体力が胃の中にある食べ物なのか、もっとエネルギー的な何かなのかは明らかではないが、仲間とすれ違いざまに突然抱き合ってぶちゅっと体力を注入する。4人で敵をタコ殴りにしながら戦闘中も四六時中チュッチュチュッチュしている。自分の理解を超えた世界観にだんだん不安な気持ちになってくる。しかしゆかちゃんは楽しそうだ。
 それはそうと、僕は今日、免許を取るために学科の本試験を受けるつもりなのだ。いまは朝4時。鮫洲の試験場の受付は8時半からなので、8時前には家を出なければならない。せめて2時間くらいは寝ておきたい。しかし普段はいつでもどこでも寝られる自分だが、こういう場合に限ってまったく寝られなくなるのだ。僕は諦めてぼんやりとカービィを眺めることにした。

 鮫洲の試験場には時間通りについた。滞りなく受付を済ませてタバコを吸うために喫煙所に入ると、僕と同じく受験者であろう、いわゆる「DQN」然とした若者二人が「ドコ中ですか?」「〇〇君って知ってます?」などとローカルトークをしていた。僕は必死にアプリで試験勉強をしているというのに彼らは余裕である。「落ちても知らないぞ! ざまぁ!」と僕は心の中で叫んだ。
 受験者は50名ほどだった。試験の手応えは「悪くはないが、確信もできない」といった感じだった。ある程度は運だと諦めていたので、あとはのんびり発表を待とうと思っていたのだが、全然落ち着くことができず缶コーヒーを2本がぶ飲みしていた。
 合否発表のため受験生たちが再び教室に集まった。真っ青のモニター画面に合格者の番号が白字で表示されてゆく。教室のどこかから「よしっ」と小さく声が聞こえる。表示がなぜか番号順ではなくランダムなので年末の忘年会のビンゴ大会のような気分になったが、ほどなくして自分の番号も表示された。
 不合格者が席を立ち、とぼとぼと教室を出ていく。僕と同世代くらいの不合格者には同情しかない。教室に残った受験者は半分ほど。合格者の顔ぶれを見渡すと、なんと喫煙所にいたDQNたちもいた。僕はなぜか「負けた」と思った。
 試験官が免許発行までの流れを説明し始めた。説明が終わると合格者たちがポツポツと席を立ち教室を出ていく。僕は眠気でほとんど意味が理解できていなかったので、人の流れに任せて受付らしきものを済ませ、列ができている扉に並んだ。そこは写真の撮影室だった。思い返すとこの数日間一度も鏡を見ていないので、さぞひどい写りになるだろうと思いながら撮影してもらった。
 1時間ほどの待ち時間ののち、免許を受け取った。写真を確認するとやはり寝ぼけ眼の徹夜明け顔である。それはともかくとして、撮影の際に目が隠れないよう前髪を真ん中から分けたせいか、裏から見た亀頭のような髪型になっていた。あまりに亀頭なので感慨深くなって彼女に免許証の写真をメッセージで送った。
 すっかり1日が終わったような気分になっていたが、ゆかちゃんがまだうちで仕事をしている。「ようやくこれで思う存分仕事ができるぞ」と噓か本当かよくわからない気持ちを嚙み締めながら昼過ぎに帰路に着いた。外は真夏のような天気だった。

6月13日(水)

 今日は栗原くんと蘭ちゃんが来た。栗原くんは学生時代に車を運転していたようなので、車購入に向けて相談させてもらった。
 僕は当初、せっかくなのでバカでっかい車かバカちっちゃい車のどちらかにしようと考えていたのだが、実際の近所の道路事情を鑑みると小さい車が妥当、と思うようになっていた。ところが栗原くんは「軽ですか〜? 軽はダメですよ〜」と全否定する。僕が気になっている車をネットで画像検索して見せ、デザインの良さを説明するも、「軽はやめましょうよ〜」となかなか引いてくれない様子。仕方がないので腹筋ベルトを渡して使ってみてもらったところ、栗原くんが「ウォーッ」と言って悶えた。そのあと僕も装着して「ウォーッ」と言って悶えた。
 とはいえ、そもそも自分が車を持たなければならない理由はひとつもない。買ってもいい権利を与えられたから行使してみたいだけだ。少しばかりやけになっている。自分の良くないところだ。

6月14日(木)

 今日は出かける予定がなかった。のんべんだらりと仕事をした。僕はここ数年、仕事中のBGMはYouTubeのゲーム実況が主で、ほぼ24時間仕事用のiMacが動画を垂れ流している。しかしたまには気分を変えようとiTunesの画面に切り替え、ライブラリを眺めていた。
 ふと稲川淳二の項目に目が止まった。自分のiTunesライブラリには結構な曲数の稲川淳二が読み込まれている。ミュージシャンではないとはいえ、アルバム枚数で言えばほかのアーティストやバンドよりも圧倒的に多いのではなかろうか。同世代の人ならほぼ間違いなく稲川淳二を知っているくらいの知名度だろうが、実は人知れずいままでにかなりの数の怪談CDが発売されている。
 初めて稲川淳二の怪談CDを手に取ったのは15年近く前。僕が学生のころはチョコエッグをはじめとする食玩ブームで、コンビニには様々な種類の食玩が置かれていた。ブーム末期になると趣向を凝らしすぎた商品が現れはじめ、稲川淳二の怪談CD付き食玩もそのひとつだった。オカルト好きの少年だった自分にとって買わない理由はなかったのだが、いざ大人になって聴いてみると怖さ云々よりも喋り口調やリアクションの鋭さにいたく感動してしまい、当時趣味だったDTMも相まって、稲川淳二のリアクションだけを抜き取ってリミックスしたテクノをつくったりしていた。それからしばらくはまってしまって、既発のCDを買い漁り仕事中ずっと怪談ばかり聴いている時期があったのだ。
 これから稲川淳二を聴いてみたいという人は「MYSTERY NIGHT TOUR」というシリーズを押さえておけば間違いない。これは1年に1作程度のペースで発売されていて、それぞれ6話前後の怪談が収録されている。同名の怪談公演ツアーも行われていて、自分も10年ほど前に一度だけ行ったことがある。摑みどころのない客層に戸惑った覚えがあるが、いまにして思うと物販でグッズを買っておけばよかった。
 しかしこの数年すっかりYouTubeに染まっていた僕は、稲川淳二を追いかけるのを忘れていたのだ。ライブラリを確認すると『MYSTERY NIGHT TOUR selection12 「黄色いトンネル」』までは買っていたようだが、公式HPを確認してみたところいつの間にか『selection19 「女王の歩道橋」』まで発売されていた。慌てて買いそびれていた分をiTunesで購入し、なぜかiTunesで買えない『selection16』以降はamazonで注文した。
 いまちょうど購入したての『selection14 「長い死体」』を聴いている。非常にそそる良いタイトルだと思う。これまでの過去作にもたくさんお気に入りがあって、例えば「北陸の海岸」での夜の海の情緒が好きだし、「ねんねこ坂」の直球のホラー感も捨てがたい。しかしやはり食玩のCDで聴いていた「真夜中のエレベーター」「海に潜む者」あたりに思い入れがある。この2話はアルバム「怖いから聞かないで 極選」に収録されているのでいまでも入手可能だ。
 しかし僕はオカルト好きと言いながら心霊は基本的に眉唾だと思っているので恐怖は感じない。そうなると自分にとって怪談話というのはとことん無意味なものになってしまうのだけど、それは決して無駄ではない。なぜなら無意味というのは僕にとって最大の癒しだからだ。そして稲川淳二の怪談に通底している物悲しさや寂寥感が、仕事中のテンションにとても「合う」のだ。
 話は少しそれるが、時折取材などで「お仕事中にどんな音楽を聴かれるんですか」と聞かれることがある。大抵返答に困るし、怪談ですと答えたら向こうも困るだろう。もちろん音楽も聴くには聴くが、日常のBGMに求めるものとして、自分には音楽というのは少し騒々しすぎるのかもしれない。だから今日は1日怪談を聴きながら、のんべんだらりと仕事をした。

6月15日(金)

 飲み会に誘われていたので、夕方に彼女と待ち合わせて浅草橋に向かった。参加者は40名近くの大所帯だが、僕と彼女含め、そのほとんどが漫画家だ。意外と漫画家はこうして集まって飲み会をしている。参加している漫画家は新人から中堅、超有名ベテラン作家まで入り乱れていて、その場にいるメンツで漫画雑誌3冊はつくれるんじゃないかということもままある。そのたび僕はここにミサイルが落ちればいいのにと思う。
 今日の飲み会は屋形船だった。船が出港するとすぐに都会の夜景が見えてきた。眺めはいいが思いの外エンジンの音が大きく、会話するために声を張ったので僕はあっという間に喉が嗄れた。見知った顔も多く、いつも通りのどうしようもない世間話だ。居心地はいい。自分の知っている漫画家たちはみんなほとんど漫画の話をしない。みんな好きなことを好きなようにやっている人たちばかりなのは分かっているし、作品の中身についていまさら言及するのはどうも野暮な気がするので、僕としては助かる。
 初対面の若い漫画家の男性と席が隣になった。SNSをきっかけに人気が出たという今時な若い作家だ。僕の漫画を読んでくれているというので、気分が良くなって先輩風を吹かせたくなった。
 話の流れで「漫画家を先生と呼ぶ慣習に馴染めない」という話になった。漫画家あるあるだ。自分も昔は気持ちの悪い風習だと思っていた。しかし「出版社のパーティーで、名前をど忘れしてしまったり、そもそも誰だか知らない年配の漫画家と話さなくなくてはならない場合、とりあえず先生と読んでおけば角が立たない。だからそれでいいんだ」と教えてあげた。すると向こうが「さすがですね」と感心してくれた。僕が20年漫画家を続けて後輩に教えられる唯一のアドバイスがこれだ。
 二次会も終わり解散になった。三次会に流れる人もちらほらいるようだが、僕らは電車があるうちに帰ることにした。浅草橋のホームで彼女と二人で電車を待っていると、花沢さんが一両ほど離れたところにぽつんと一人で立っていたので声をかけて一緒に電車に乗った。終電が近かったせいか車内の乗客は少ない。シートに座り3人でポツポツと話していると、花沢さんが「え〜いにお君、もう帰っちゃうの〜?」と言うので、「花沢さんが帰らないなら付き合いますよ」と僕が答えると、「いや〜僕は帰るよ〜」と言って途中の乗り換えの駅で降りて行った。何が言いたかったんだろうか。
 家に着き、車を運転してみようということになった。幸いにも僕は下戸なので今日1日ジンジャーエールしか飲んでいない。僕の家からはどこへ行くにもまず環七に出なくてはならないのだけど、深夜なら交通量も少ないはずだ。彼女のベンツが僕の家の玄関先を駐車場代わりにして停まっている。彼女に助手席へ座ってもらい恐る恐る出発し、環七に出た。そして数十メートル進み、すぐ左に曲がり家に戻った。わずか数分のドライブである。今日はこれで十分満足だった。やはり車は速い。乗り物ばかり乗っていた1日だった。

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