荒内佑

第23回
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4th Album『POLY LIFE MULTI SOUL』が各方面で大絶賛!!! 今、もっとも注目されるバンドceroのメンバーとして多くの楽曲で作曲、作詞を手がける荒内佑が、〈日常〉とそこに流れる音楽の話を綴る大好評の連載。 更新は毎月1回、第4水曜日になります。

 
 毎年、甲子園はテレビでたまに見るんだけど、今年は一秒も見てない。噂によれば秋田の高校がすげえ強くて人気だそう。僕の母親は秋田出身で郷土愛がハンパないからきっと歓喜してるはずなんだけど、出身地を応援する感覚って東京モンには希薄な気がする。東京の奴で地元の高校を応援してるのって少なくない? 前にも書いたけど僕の地元はヤンキーっぽさが漂う府中市って所とハイソな国立市のほんとボーダーだった。だから、この相反するボーダー感ていうのが自分を形成する要素だなと思う反面、出身地への帰属意識ってのを薄めたと思う。どっちつかずというか。
 ただ、出身地や地元とは別に「縄張り」ってあるでしょう。地元とカブる場合もあるし、ちょっとズレる場合もあるけど主な活動圏のこと。縄張り争いとかはしたことないんで、「遊び場」くらいにしておくが、かつての自分にとって、それは吉祥寺と高校の部室だった。


 僕が通っていた高校は吉祥寺の駅からチャリで15分くらいのところにある都立高だ。この連載の看板イラストを描いてくれた柳智之とはそこで知り合い、バンドも一緒にやっていた。ここで強調しておきたいが僕は軽音に入るのが嫌で嫌で嫌で嫌で死ぬほど嫌だったのに、小中高の同級生である田畑くんことタバちゃんに本当にしつこく、死ぬほどしつこく、クソしつこく「ねぇ、ユウくん、軽音入ろうよ~」と誘われ、断るのがメンドくさくなったため入部した。しかし彼はいつの間にか日本語ラップにハマり、半年くらいで軽音に来なくなった。とはいえ僕に「さんピンCAMP」のVHSを家に行くたびに見せてくれたり、NITROとかブッダ周辺を教えてくれたのはタバちゃんなので感謝している。連絡くれ。
 軽音に居残った僕はその部室をなかなか気に入っていた。よくある話、僕は学校に昼過ぎに行くか、早いうちに帰るかのどちらかで――卒業はできたので授業にそこそこ出ていたはずだが――主に軽音の部室と吉祥寺の往復によって高校生活が構成されていた。なので、吉祥寺と部室はセットの思い出である。そのクソ汚ったない部室は、大学のサークル部屋(?)みたいなのをイメージしてもらえればいい。壁中グラフィティが描かれてて、壊れたアンプや楽器がそこら中に転がり、ゴミ捨て場から拾ってきたらしいマジで汚ったないソファがあった。そのソファの下にはコンドームや吸い殻が落ちている。なぜかここだけ治外法権だった。言うなればそこは、自分にとって吉祥寺から独立して存在する同じ軌道上の衛星である。
 影響を受けた先輩も何人かいる。一方的にライブを見たりするのがほとんどだったが、例えば現在、森元斎は哲学を、前里慎太郎はラップを、尾林星はかつてファンタスタスというバンドをやり、先日、自分のバンドのツアーに来てくれた。ちなみに髙城晶平やVIDEOTAPEMUSICは森元斎を介して知り合った。


 前述のパイセン達がたしか府中のドトール等を主な縄張りとするのに対して、自分たちのそれは吉祥寺だった。レコ屋ならディスクユニオン、タワレコ、バナナレコード。映画はバウスシアター。喫茶店ならボア、ボガ、ドナテロ、タリーズの屋上、エコー、サムタイム、ドトール、サンマルク、珈琲家族。
 2018年現在、ZARAが入っているビルはかつてタワレコだった。その前には通称「タワレコベンチ」と呼ばれるものがあり、併せて灰皿も置かれていた。そこで友達とダベり、ユニオンで中古CDを買い、珈琲家族で見せっこをする、というのが典型的な過ごし方である。こんな話をしたらキリがない。その灰皿はタワレコ正面にあったショップの店主(YOU THE ROCK★さん似)が管理してくれていた。珈琲家族のマスターは明らかに学校をフケている自分らを看過してくれた。ユニオンジャズ館の横にあるゲーセンは朝一で行くとなぜかタダでプレイできた。
 自分が今もやっているceroというバンドは高校を出てから始めた。練習、主なライブ、打ち上げもほぼ吉祥寺、メンツはちょっと変わったが、相変わらず高校の時と同じように活動していた。しかし、時間が経つにつれて珈琲家族がなくなり、タワレコが移転し、バナナレコードも閉店し、喫茶店で残ったのはドトール、サンマルク、サムタイム、バウスシアターも閉館。そういえば軽音の部室は、とっくの昔に改修工事されて無菌室に成り果てた。


 特に嘆いているわけじゃない。ガッコも街も変わるものだ。確かに僕も、ceroも足場を失った。吉祥寺が縄張りなんて今や到底言えない。バンドの規模はやたらとデカくなり、縁もゆかりもない山奥や巨大なライブハウスで演奏し、これを他人は唯一の成功譚のように語りたがる。音楽の影響関係を適当にまくし立てる。だが、こうして汚い部室や、人や、街の中で育ってきた。僕はそれが無視されたり、忘れられるのが我慢ならないだけだ。

 

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