ちくま文庫

ろくでなしの街

黒岩重吾『西成山王ホテル』(ちくま文庫)解説

8月のちくま文庫新刊、黒岩重吾『西成山王ホテル』収録の作家・花房観音さんによる解説を公開します。数多の作品で男女の愛憎を書いてこられた花房さんは、その先達ともいえる傑作短篇集をどのように読んだのでしょうか。ぜひご覧ください。

 地下鉄の動物園前駅の構内は、あらゆるところに「動物園前」という駅名に相応しく、愛らしい動物たちの絵が描かれている。まるで子どもたちの喜ぶ夢の国の入り口であるかのようだ。
 けれど地上に出ると、そこが夢の国とは全く対照的な世界であるとすぐに気づく。路上で人が寝そべり、昼間から酒に酔った人の怒鳴り声も聞こえてくる。自動販売機で売っている飲料の値段は五十円だ。通天閣のある、観光客だらけの新世界につながる線路をくぐるコンクリートの道は、行きかう人は多いのに、いつも湿りけがあり空気がよどみ、息苦しい。
 数年前、大阪府知事選を題材にしたドキュメンタリー映画で、この地域が登場し、カメラが誰に投票するかと道端にいる老人に問いかけると、「俺、選挙権ねぇもん」と言い放たれた。当たり前だろうと言わんばかりに。
 この辺りでは千円代の宿、いわゆるドヤが多くあり、最近では外国人のバックパッカーたちの利用も増えたが、まだまだあの映画に登場したような行き場のない人たちの住処だ。
 商店街を抜けると飛田新地に出る。数年前、飛田新地を描いたルポがベストセラーになって多くの人に知られるようになり、見学者も増えた。ピンクの照明の部屋で白いライトに照らされた女の子たちは、道行く男たちに張りついた笑顔を向けている。初めて飛田新地に来たときは、平成の時代にまだこんな場所があるのかと驚いた。もう全国の遊郭は、ほとんど失われてしまいつつあるこの時代に。
 けれど先日、久しぶりに天王寺公園に行くと、あまりにも様相が変化していた。二〇一四年に完成した、三〇〇メートルを超えるあべのハルカスという超高層ビルの出現と共に、足元である公園は鮮やかな緑の芝生になり、清潔感のあるカフェが出来て、親子連れが遊んでいた。数年前なら、この辺りは、独特の酸味と苦みの混じった臭いが漂い、行き場のない人たちのたまり場で、子どもが来るところではなかったのに。かつて天王寺公園を住処としていた人たちは、どこに行ってしまったのか。「排除」という言葉が浮かんだ。
 昔からあの辺りを知る人は、「天王寺公園だけじゃなくて、西成もずいぶん変わった。綺麗になった」というがやはり多くの人にとっては近寄りがたい街だろう。
 黒岩重吾がこの辺りに住んでいたのは、昭和三〇年代、「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものである」として売春防止法が成立し、施行された頃である。赤線が廃止され、社会の中で居場所のない人たちが、さらに行き場を失った時代に重なる。
 本書『西成山王ホテル』は、黒岩重吾が初期に描いた「西成もの」と呼ばれる一連の作品の中のひとつである。売春婦、ヤクザ、ヒモ、家族も仕事も捨てた者たちが集う場所は、社会の底辺ともいえる光景であり、そこに生きる人々を描いている。
 社会からこぼれ落ちた人間たち――愚かで、弱く、正直な男女の息苦しくなるような物語だ。男はもれなくクズで、女はクズを許すだめな連中ばかりで、読んでいて胸が痛むのは、自分にも覚えがあるからだ。かつてクズな男に貢いでサラ金に手を出し仕事も失った私は、自分は最低のだめな女だと思っていたし、未だに心はあの頃から動けず、ときおり自分を責めている。
 お前はどうしようもないだめな女だ、ロクな死に方をしない、まともに生きられない――と。

  ――南海電車の萩の茶屋駅に立つと西成天王寺界隈が一眼で見渡せる。汚れた街である――

 冒頭のこの「汚れた街である」という一文が、そこに集う人たちの末路を暗示させているかのようだ。その汚れた街に、黒岩重吾も住んでいた。

 「湿った底に」
 二十三歳の澄江は片足が悪い。一緒に暮らす母の康江は次々と男を家に連れ込み獣のような呻き声を発している。しかし澄江は康江と血は繫がっておらず、康江には咲江という実の娘がいた。三人の女たちは、それぞれ男を求めるが、愛すれば愛するほど安泰な生活が遠のいてしまう。
  ――康江も咲江も、どうしてこう男運が悪いのか――

 「落葉の炎」
 芦屋の大学教授の息子の啓文は、大学三年のある夜、神戸のナイトクラブで不二という名の女と出会い、彼女に惹かれていく。「私の生活の場に連れて行ってあげるわ」と、不二が啓文を案内したのは、西成だった。自分の知らぬよどんだ環境に驚く啓文は彼女を突き放す。
  ―― 刺戟の多いめまぐるしい現代では、打算と情欲に衣をきせた愛情が幅をきかしているようであるが、そんなものでは割り切れない愛情も多いのだ――

 「崖の花」
 あかねの母は芸者上がりの妾で、母の死後、愚連隊に入った兄の実とふたりで生きてきた。兄はあかねへの愛情ゆえに、暴力を振るい人を傷つける。そんなあかねの前に、異母兄の裕二が現れた。
  ――あかねは、自分で自分の感情が怖ろしい。自分の中に、どうにも押えられない激情の火種が埋っているのを、あかねは知っていた――

 「朝のない夜」
 売春防止法がまもなく施行される頃、飛田の廓ではたらく女たちは行先を探す。そんなとき、きん子は、客として自分の前に現れた男に、おそれを感じながらも惹かれていくが、紙屋の主人である吉岡の妾となる。
  ――きん子を笑わせてくれる男と一時間でも一緒に居たいのだ。きん子は、自分が笑っていないと、不安で、不安で仕方なくなる――

 「雲の香り」
 大学を出て商社に勤めていた高男は、ふとしたことから会社をクビになり家族とも離れ、西成で日雇い生活をしていた。高男は謎の老人と、薄幸な静江という女と出会い、一緒に暮らし始めるが、東京から来たひとりの美しい女により、眠っていた欲望が呼び覚まされる。
  ――高男はふと、自分が西成に来なければ、このような切ない情感を、一生味わわないで終るだろう、と思った。それは落魄者が寄り添いその融合の中におのれを投入する時だけに生じる魂と肉体の一致であるかもしれない――


 黒岩重吾の描く社会からこぼれ落ちた男女と、西成、飛田の光景を思い浮かべると懐かしさがこみあげてくる。あの鮮やかな緑の親子連れが遊ぶ芝生の天王寺公園や、天から見下ろすようなあべのハルカスよりも、ずっと人の熱い血と情を感じる。西成、飛田、新世界の付近は、私が大阪で一番好きな街だ。
 自分の中の弱さや愚かさを許してくれるような気がするから、私はあの街にときおり足を運ぶ。『西成山王ホテル』は、あの街の光景と共に、人を許す物語だ。
 ろくでもない、クズ男、だめな女、社会の底辺、愚かで弱い人々―本当は、この世の中にいる人間のほとんどは社会性を取り繕っているだけで、立派な人間などいない。いるとすれば、守られ恵まれた環境で無知なままで奇蹟的に生きてきた者たちだけだろう。要するに、つまらない、鈍感な人間だ。
 大阪だけではなく、日本のいろんな街が、どんどんきれいになるのを見る度に、窮屈になってうんざりする。社会からこぼれ落ちた人間の居場所を失わせることは、息苦しさしかない。
 『西成山王ホテル』を読んで、堕ちていくろくでなしに胸を痛めながらも、私は懐かしさにひたった。この時代を知らないのに、まるで故郷のように思えるのは、私もここに登場するろくでなしと変わらないからだ。
 いや、私だけではない。人間は、正しく生きられない、過ちを犯す弱くて愚かな生き物だ。それでも折り合いをつけたり、許されたりして、なんとか生きている。健全に、綺麗で、正しく、窮屈な社会に抗う力はないけれど、せめてこの物語の中に生きるろくでなしたちを愛することにより、自分を許せるかもしれない。

 この場所が失われてしまったら、私はどこに行けばいいのか。
 昔と変わらずそこにあり、「西成山王ホテル」にも登場する、パリのエッフェル塔を模した通天閣の光が、せめてもの救いのような気がして、行く度に足元からその光を見上げている。

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