上田麻由子

第21回・まぼろしの物語

『舞台「刀剣乱舞」悲伝 結いの目の不如帰』

「刀も夢を見るのか……」。剣豪として、また刀剣の収集家としても知られた、第十三代征夷大将軍、足利義輝。失われた室町幕府の威信を取り戻そうと奔走するものの、永禄八年、二条御所にて三好義重らが率いる軍に討たれる――そして「刀たちよ……」という、彼の最後の言葉に呼び寄せられるように、一振りの刀剣を手にした付喪神が顕現する。その名もなき刀に、語りかけるものがあった。「道半ばで果てた義輝の無念が、お前の力となる。その心がお前に宿り、強さとなる」。ともに悲願を叶えようと誘いかける声。排除すべき邪魔者の名前は、刀剣男士。

「刀ステ」というサーガ

 2016年5月に始まった舞台『刀剣乱舞』(「刀ステ」)。その第4弾(外伝も入れると5作目、再演を入れると6作目)となる『舞台「刀剣乱舞」悲伝 結いの目の不如帰』は、このシリーズが始まったときから、演出・脚本の末満健一のなかで想定されていたひとつの「結び」である。

 末満曰く「根幹となるストーリーのない原作」から、時に「二次創作」とか「末満本丸」と揶揄されるほどの作家性が刻まれた作品を生み出してきた「刀ステ」。ポピュラーカルチャーの文法をおおいに取り入れた歴史改変SF的な連作は、まさに「『刀ステ』というサーガ」と呼びたくなるほど複雑に絡み合っており、それでいて2・5次元というジャンルにおける最重要課題のひとつである(「刀剣男士」という)キャラクターで魅せることは、決して疎かにしない。その軌跡は、2・5次元という、いまだ足元のおぼつかないジャンルをどこまで押し拡げられられるかという飽くなき実験であり、この『悲伝 結いの目の不如帰』は、間違いなくその集大成だ。

 あらかじめ「賛否両論になる」と宣言されていただけあって、幕が上がるまでの期待と不安は、これまでにないものだった。事前に知らされているのは、登場する12振の刀剣男士と、足利義輝の時代ということだけ。初日にライブビューイングが行われるという異例の事態からも、何が起こるかわからないこの作品の物語そのものへの期待がうかがえる。本丸が燃え落ちるのか、それともどれかの(あるいはすべての)刀が折れるか――不穏な予感も漂うなかで、いざ展開された物語はそのようなカタストロフから想像されるような絶望や、そこからくるエンタメ的な興奮とはほど遠いものだった。むしろ、タイトルどおりの悲しみがひたひたと染み入ってくるような、静かで、それでいて重い、虚無感にわたしたちは囚われることとなる。

裏返される物語

 西暦2205年。そこで行われているのは、過去に干渉して歴史を変えようとする時間遡行軍と、その企てを止めようと、審神者によって刀剣から目覚めさせられた付喪神である刀剣男士たちの戦い――のはずだった。しかし悪と善というような一方的な関係性は、この「刀ステ」では遡行軍側に取り込まれ(そうになる)刀剣男士や、自らの野望のために未来から来た遡行軍さえ利用しようとする歴史上の人物などを使って、幾度となく相対化されてきた。そしてこの『悲伝』に至っては、ほかでもない刀剣男士の存在そのものが歴史の流れを澱ませ、絡ませることになる。

 刀剣男士という「心」を持った「もの」たちは、いかにあやふやな存在なのか。そのことをあらためて考えさせようとするかのように、この作品では刀剣男士たちの活躍の裏で、もうひとりの「審神者」が「刀剣男士」を生み出すまでが描かれる。足利義輝と、その呼びかけに反応するように刀剣から顕現した、のちに刀剣男士によって「鵺」と呼ばれることになる存在だ。名もなき刀の集合体として、混沌としたいくつもの意識を抱えていた「鵺と呼ばれる」は、自らを守り戦えという義輝からの命と名(時鳥)を与えられたことで、「俺という刀の物語」を得、時間遡行軍側でありながら、刀剣男士と同等の存在になる。

 ただ、刀は常に、持ち主を守るものであるとは限らない。劇中で、刀剣たちの「父」ともいえる古来の刀である小烏丸が指摘しているように、刀は時に武器に、美術品に、信仰の対象にとそのありようを変えてきた。なにより冒頭の「永禄の変」のシーンで、数々の刀剣を持ち替えながら敵を討っていったという義輝のいまわのきわの伝説が本作では裏返され、義輝が他でもない、愛情を込めて収集してきた六振りの愛刀によって命を奪われることは、刀剣が内在している、ある種の矛盾を示している。鎧や盾とは違い、刀というのはあくまでも何かを傷つけるものなのだ。

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