東京β

東京のランドマーク変遷史

東京タワーからスカイツリーへ

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『ALWAYS 三丁目の夕日』で描かれた建設途中のタワー

 2005(平成17)年に公開された映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台は「夕日町三丁目」という架空の町である。この夕日町三丁目は、東京タワーのお膝元に位置するが、都心の住宅街ではなく、騒々しい商店街といった風情である。映画の舞台は、高度経済成長が始まろうとしていた矢先の1958(昭和33)年である。

 町の人々は、おせっかいで騒々しくはあるが、和気あいあいと暮らしている。様々なトラブルが起こるが、近隣の住民同士で助け合いながら切り抜けていき、嬉しいことも近隣の皆で分かち合う。この映画の登場人物の1人である堀北真希演じる六子は、中学卒業後に青森から集団就職列車に乗って上京し、この町の自動車修理工場、鈴木オートに住み込みで働いている。

 この時代の東京は、急速な人口増加・都市化のさなかであった。当時の流入者の多くは、六子のように中学を出て東京で就職するために集団就職列車に乗ってやって来た若年地方出身者たちである。

 六子は、東京の大きな自動車メーカーに就職したつもりだったが、鈴木オートが町の小さな自動車修理工場でしかなかったことに失望していた。しかし、修理工場での仕事や町の人々とのふれあいを経て、次第にその仕事や生活に喜びを見出していく。六子同様、この物語の登場人物たちはみな、貧しいながらも未来に希望を見出す人々として描かれている。

 多くの観客を動員した本作には、「昔はよかった」と感じる世代の支持を集めた一方、過去を美化しすぎているという批判も寄せられていた。昔だからといっていいことばかりだったとは限らない。貧困家庭の割合も凶悪犯罪の件数も現代よりも遥かに多かった。

 本作が1958年を舞台にした理由は、この年が東京タワーの完成年であるからだろう。映画冒頭では、コンピューターグラフィックスで再現した建設途中の東京タワーの姿が映し出される。原作の漫画のエピソードをオムニバス的につなげた群像劇である本作を1つの物語として結びつけたのは、最後の場面に出てくる東京タワーだ。いつの間にか完成していた東京タワーを家族が見上げる。日本人が心を1つにして成し遂げた戦後復興を象徴するモニュメントとして東京タワーは『ALWAYS 三丁目の夕日』で描かれた。

完成した当時の東京タワー(1958年12月) ©毎日新聞社/時事通信フォト

東京プリンスと永山則夫事件

 東京タワー完成後の東京は、引き続き順調な都市化を遂げていく。東京の都市化と地方からの人口流入を象徴する事件を取り上げてみたい。

 1968年(昭和43)10~11月にかけて起こった連続射殺魔事件として知られる「警察庁広域重要指定108号事件」である。この事件は、高級ホテルの敷地内で始まった。犯人の永山則夫は、犯行当時、まだ未成年の一九歳だった。

 永山は、中学卒業後、青森から上京して働き始めた集団就職の一員だった。彼の上京は、1965(昭和40)年。『ALWAYS 三丁目の夕日』で描かれた時代から七年後のことではあるが、中卒、青森、集団就職というキーワードは、この堀北が演じた六子と重なっている。

 永山が上京する前年には、東京オリンピックが開催された。海外からの観光旅行客の増加に備え、国際的に通用するホテルの建設が急務とされたが、東京プリンスホテルが完成したのも、五輪開会式の約1カ月前の1964(昭和39)年9月のことだ。東京タワーの真下に作られた東京プリンスホテルは、当時西武グループの中でも最高級に位置づけられたホテルだった。

 渋谷のフルーツパーラーに就職した永山は、半年でそこを辞め、短い期間で職を転々とするようになった。当時の就職市場は、とにかく人手が足りないという売り手市場。物価の上昇も激しく、求人募集に書かれている給与の額もどんどん高くなっていった。特に六子や永山のような中学卒の働き手は、当時急速に勃興していたサービス業の安価な担い手として重宝され、「金の卵」と称されていたのだ。

 あるとき東京タワーの展望台に上った永山は、タワーの真下にある豪華なホテルのプールの存在を知り、いつかそこに足を踏み入れてみたいと考えた。

 1968年10月11日、渋谷の西武百貨店の隣にあった映画館のオールナイト上映を観た永山は、渋谷から東京タワーのある芝公園まで徒歩で歩き、かつてタワーから見下ろしたホテルのプールに忍び込んだ。そこで彼は、最初の犯行に及んでいる。

 永山は、拳銃を横須賀で米兵の車から盗み出した。その拳銃を手に入れたことで永山の地道だった人生は豹変する。夜中に忍び込んだ豪華ホテルのプールサイドで遭遇したガードマンの頭部に、2発の銃弾を撃ち込んだ。この殺人を皮切りに、永山は全国を逃走し、京都、函館、名古屋と逃避行の先で新たな殺人に手を染めていく。

 永山が唐突に見える殺人を犯した動機はどのようなものだったのか。

 ちなみに、永山が捕まる前、当時のマスメディアには連続射殺魔事件の犯人の動機を想像する記事が多く登場した。

 遺留品として彼が残したハンカチ、ジャックナイフはともにアメリカ製。犯行に使われた拳銃は、西ドイツ製の22口径レームRG10型。当時、犯人像について『平凡パンチ』は、アメリカ留学帰りの富裕層の子弟と推理した。同様に『週刊朝日』では、裕福な「ガンマニア」の快楽犯罪を想定していた。

 だが実際に捕まった永山の人物像は、その正反対だった。逮捕後の供述で永山は、自分の犯罪の理由を貧しさと結びついたものと話してる。ギャンブル好きの父親は永山の幼少時に失踪、母親と兄弟姉妹八人での生活は、困窮を極めるものだった。小学校の頃より新聞配達に明け暮れていた永山の幼少時代は確かに同情の余地がある。

 だが永山が吸っていた煙草は、〝洋もく〟のポールモールだった。見栄っ張りな性分だったことは、当時の永山を知るものたちの間ではよく知られていた。東京タワーに来て、高級ホテルのプールに足を踏み入れてみたいと考えたのも、こうした性格から生まれた行動なのだろう。

『蘇える金狼』とアメリカを通して見る消費社会

 東京に来てからの永山の生活は、消費社会への素直な憧れとともにあった。ジャズもビートルズもそのよさを理解できなかった永山だが、当時の若者たちのライフスタイルを真似て新宿のジャズ喫茶ビレッジ・バンガードでバーテンのアルバイトを始めたこともあった。

 恵まれた給料をもらっていたわけではないが、アメリカ製の道具や嗜好品で虚栄心を満たすことが可能になりつつある時代だったのだ。だが、永山が東京タワーの展望室から覗き見た高級ホテルの光景、つまり富裕層たちの生活は、すぐそばに見えてはいるが、決して手の届かないものであった。

 永山の凶行は、大藪春彦が一九六四年(昭和三九)に刊行した『蘇える金狼』の主人公・朝倉哲也の行動と照らし合わせることで見えてくる部分がある。

 朝倉は、昼間は冴えないサラリーマンだが、夜ごとにボクシングジムで体を鍛えるという二面性を持った主人公である。ある時、朝倉は銃を手に入れ、銀行強盗に成功する。以後の朝倉の世界は豹変する。奪った金を足の付かない金に換えるために横須賀に通い、ドラッグの売買などを行う米兵や暴力団と接触するようになる。さらには、勤める会社の幹部たちの弱みを握って恐喝を繰り返し、富や権力、そしてスポーツカーや女を手中に収めていく。

 横須賀、米兵、スポーツカー、こうした記号の先に見えるのはアメリカである。大藪の小説に共通するのは、アメリカに強烈な憧れを持ち、そこに同化しようとあがく主人公の姿である。ここでのアメリカとは、消費社会と言い換えることもできる。朝倉は何かを渇望し、飽くなき上昇に挑むが、最後には手に入れたすべてのものを惜しげもなく捨て去ってしまった。

 小説の中で、朝倉の考え方は以下のように描写されている。「朝倉は絶望には慣れている。希望を砕かれたときの苦杯を舐めるよりは、はじめから何も期待しないほうがましだと思っていた」と。

 永山の無差別殺人からも、理由や具体的な動機は見えてこない。見えてくるのは、朝倉同様の消費社会への強い憧れ、そこに同化したいという欲望のようなものでしかない。『ALWAYS 三丁目の夕日』の六子にとって東京タワーは、街が住人たちの努力によって活気溢れる姿に変わっていくその先に見えている、光り輝く東京の最高峰だったが、永山にとっての東京タワーは、決して手の届かない豊かな未来への絶望だったのだ。

モスラが国会議事堂ではなくタワーを壊した理由

 特撮の怪獣映画やドラマといったパラレルワールドにおいて、東京タワーは何度も破壊された姿を晒している。

 東京タワーを最初に破壊した怪獣はゴジラではなくモスラだった。ゴジラが当然壊しているだろうという勘違いは少なくないが、そもそも第1作が公開された1954(昭和29)年には、まだ東京タワーが存在していなかったのだ。

 モスラ以外では、1964(昭和39)年の『三大怪獣 地球最大の決戦』で、キングギドラが衝撃波で東京タワーを破壊している。ゴジラが東京タワーを破壊するのは、予想外に遅く、2003年公開の『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』でのこと。東京の都心部でのモスラとゴジラの戦いが描かれ、ゴジラは、レインボーブリッジやお台場のフジテレビを背に品川埠頭から上陸。モスラとの戦いの中で放射能熱線で東京タワーを焼き、タワーの上半分が焼け落ちた。

 最初に東京タワーを破壊した怪獣であるモスラに話を戻そう。東宝映画『モスラ』(1961年)において怪獣モスラの幼虫は、タワーをへし折り、そこに繭をつくる。『モスラ』には、原作小説があった。そこでモスラが繭をつくっていたのは、タワーではなく国会議事堂だった。

 原作小説『発光妖精とモスラ』を書いたのは、当時すでに純文学の世界で名を成していた40代の中堅小説家の中村真一郎、福永武彦、堀田善衛である。斜陽の時代にさしかかっていた映画界が、純文学界に助けを求めたのだ。

 原作においてモスラが繭をつくる場所が、東京タワーではなく、国会議事堂だったのには理由がある。原作でモスラの繭は、首相や「防衛長官」の指令の下、防衛隊による攻撃が加えられる。この構図に原作者たちの意図があった。『モスラ』公開の前年は、国会前を多くのデモの群衆が取り囲んだ、60年安保の年である。『モスラの精神史』の著者である小野俊太郎は、「日本政府自体が、自分たちの法的根拠を作る国会議事堂をみずから攻撃するという珍妙な状況が生じるわけである」とこの構図の意図を指摘する。さらには、却下されたシナリオ案には、モスラの繭退治のために日米安保条約を持ち出し、米軍に出動を要請するというアイデアもあったともいう。

 このような政治的な意図が込められたモスラが繭をつくる場所は、撮影の段階で東京タワーに変更されてしまった。その理由は、単に東京タワーがまだできて間もない東京のランドマークだったからなのだろうが、小野俊太郎は、また別の理由の可能性を指摘している。「東宝の映画制作者にテレビへの対抗意識があって、東京タワーが選ばれた可能性」である。

テレビ塔が恐れられていた時代

 映画産業の斜陽化がささやかれるようになったのが、ちょうど1960年代初頭のこと。映画館に足を運ぶことをやめた人々は、代わりに家でテレビを見るようになった。つまり、映画の斜陽化とはテレビの隆盛に伴うものだった。テレビの電波塔であり、象徴である東京タワーは、映画産業の敵として破壊されたのだ。

 とはいえ、テレビ番組に登場する怪獣たちも嬉々として東京タワーを壊していた。『ウルトラQ』(第16話「ガラモンの逆襲」1966年)に登場した怪獣ガラモンは、宇宙怪人が発する電波によって操縦されている侵略用の怪獣である。2体いるガラモンの内の1体が、東京タワーを揺さぶり破壊している。『帰ってきたウルトラマン』(1971~72年)に登場したノコギリンは、巨大化した宇宙クワガタだが、ウルトラマンに向かって放ったレーザーを、ウルトラマンが避けたため、背後にあった東京タワーを焼き溶かしてしまう。それに気がついたウルトラマンは、一瞬背後を振り返るもそのまま知らんふりをして戦っている。

『ウルトラマンタロウ』(第21話「東京ニュータウン沈没」1973年)の怪獣キングゼミラは、ニュータウンの地下で孵化した巨大ゼミである。地中でのさなぎ時代に人間がその頭上に団地を建ててしまったために、地上に出られなくなってしまったのだ。

 掘り返してみるとキングゼミラはさなぎから脱皮し、壮大な騒音を放ち始めた。一度はネットで捕獲されたキングゼミラだが騒音に困った住民たちが網を焼き切り、キングゼミラは都心へと飛来した。このキングゼミラの鳴き声は、東京タワーの電波障害を引き起こし、東京は混乱状態に陥った。電波障害の元となることと、やたら尿をまき散らすこと以外に特に悪意のない怪獣であるキングゼミラは、ウルトラマンタロウの温情により、最後は宇宙へと運ばれ、宇宙で心置きなく鳴き続けることになる。

 こうして並べてみると、東京タワーを破壊した怪獣には共通点がある。彼らは皆、電波やレーザーを自分でも発しているのである。

 コラムニストの泉麻人は、かつてはテレビ塔が、「悪の結社の象徴」のように使われることが多かったと指摘する。「あの時代の東京には、まだ開局して間もなかったTV局の電波塔が、ぼこぼこと尖えたっていた。まわりの家並みが低かったこともあって、麹町や赤坂、六本木の電波塔はひときわ目立つ存在であった。電波が流れる塔、というものに、いまよりずっと奇怪なSFじみたイメージを抱いているようなところがあった」(『青春の東京地図』)のだ。

 電波を発する巨大な怪獣たちは、彼ら自身もテレビ塔のようなものだった。当時は、テレビの電波塔そのものが、身近にある巨大で恐ろしいものの代表であり、目に見えない電波が、得体の知れない現象の代表だったのだ。

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