piece of resistance

30 言いまわし

なんでそんなことにこだわるの? と言われるかも知れないが、人にはさまざま、どうしても譲れないことがあるものだ。奥様とは言わない、本に書き込みはしない、ご飯は最後の一粒まで食べる、日傘は差さない……等々。それは、世間には流されないぞ、というちょっとした抵抗。おおげさ? いやいや、そうとは限りません。嫌なのにはきっとワケがある。日常の小さな抵抗の物語をつづります。

 私が日本に来て日本語の研究を始めて二十三年になります。
 日本語は難しい言語です。しかれど、いかにも味わい深い言語です。
 日本人は一つのことを言うためにいくつもの表現を用います。それを「言いまわし」と言います。日本人は言いまわしのスペシャリストなのです。
 今日、皆さんにご紹介したいのは、日本の男性が性交渉を語る言いまわしです。そのヴァリエーションを見ますと、彼らは驚くべきスーパースペシャリストと言えます。いかにも達人です。

 まず一番目に、日本の男性が用いる最もフォーマルな表現からご紹介します。おかたい表現とも言いまわせます。
 性交。いかにも、これが最もフォーマルでおかたい表現です。
 このように用いります。
「昨夜、私は彼女と性交をした」 
  しかれど、現代日本人が口語的にこれを用いるのは稀です。私たちは彼らの会話ではなく、小説の中でこれを見るでしょう。
 古い小説には「同衾した」「共寝した」等の表現も見られます。

 それでは、口語的に日本人はどのような表現を用いるのでしょうか。
 最もダイレクトなのは「セックス」です。
「昨夜、私は彼女とセックスをした」
 しかれど、よほどフレンドリーな関係でないかぎり、会話の中でこの表現が選択されることは多くありません。この表現は、いかにもそのまんまなのです。そのまんまをマイルドにするのが言いまわしのキーです。
 そこで、彼らは「エッチ」という表現を代用するのです。
「昨夜、私は彼女とエッチをした」
「エッチ」は広く「いやらしい行為」を指しますが、この場合は性交渉を意味します。彼が彼女と一緒に誰かのスカートめくりをしたり、望遠鏡で女風呂を覗いたわけではないのです。
 私たちは日本語の曖昧さに柔軟なる読解を求められます。

 もう少しばかりソフィスティケイトされた表現としては、「関係した」が挙げられます。
「昨夜、私は彼女と関係した」
 どのような関係かはダイレクトに告げず、文脈でわかれ、という日本人らしい表現です。
 似た表現は他にもあります。
「昨夜、私と彼女は男と女の関係になった」
「昨夜、私と彼女は一線を越えた」
「昨夜、私は彼女と事に及んだ」
「昨夜、私は彼女と交わった」
 性行為そのものを指す単語を用いずに、それとなくわかってもらうのが日本人は好きなのです。

 比較的ダイレクトな口語表現としては「寝た」が挙げられます。
「昨夜、私は彼女と寝た」
 ただ寝たのではなく、このフレーズは性行為をした事実を含んでいるのです。
 しかれど、難しいのは、時として本当にただの睡眠を指すケースもあることです。文脈でわかれ、です。
 たとえば、一緒に寝た相手が彼の母親や姉妹や娘の場合、もしくは溺愛している犬や猫やハムスターの場合は、彼が大人しく寝ているだけなのをわかれ、です。

 よりラフな口語表現としては「やった」が挙げられます。
「昨夜、私は彼女とやった」
 この場合、通常は一人称に「私」ではなく「俺」が用いられます。軽佻な若者、すなわちチャラ男です。いかにも軽い言いまわしです。軽くやったあとでバックレる(「しらばっくれる」の俗語)ことを「やり逃げ」と言います。
 軽佻な若者が軽さとともにワイルドさ、ペニスの硬度などを強調したい場合には、「一発やった」「ぶちかました」等が用いられることもあります。

 ざっとご紹介しましたが、調べればまだまだあることでしょう。たかだかセックスにこれだけの言いまわしがある日本語は、いかにも味わい深いです。
 しかれど、一つだけ、私が快く味わえない表現があります。
「昨夜、私は彼女を抱いた」
 もしも私の恋人がこの言いまわしを用いたら、私はやり逃げしたくなる。
「抱いた」という動詞使いは、いかにも一方的に男性が主導的すぎるのではないでしょうか。加えて、気障です。しょってる、という言いまわしもあります。二枚目ぶった表現は人をむずむずさせるのをわかれ、です。
 一番の問題点は正確性を欠いていることです。
「昨夜、私は彼女と抱き合った」
 いかにも、これが正解です。

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