ちくま学芸文庫

古典文学から日本人の死生観を辿る

9月刊行のちくま学芸文庫『日本人の死生観』(立川昭二著)より、島内裕子氏による文庫版解説を公開いたします。この本は、西行、兼好、芭蕉、一茶など12人の日本古典を採りあげ、現代にもつながる伝統的な日本人の死生観を考察したもので、国文学を専門とする島内氏が先達となって、深い教養と洞察をもって、本書の魅力を紹介します。「生き方」と「終(しま)い方」の極意とは。

 「日本人の死生観」という言葉は、折に触れて使われる言葉であり、日常の中で目にすることも多いが、この言葉の内実を解明し、具体的に記述するのは容易なことではない。
 死生観は、世界各地に遍在しているものである。そこに「日本人の」という枠組みを設定すれば、おのずと人生観や人間観の絞り込みができるとしても、古代から現代までの膨大な数の人間の生死を思えば、「死生観」をどこから、どのように抽出して、みずからの問題意識を明確にできるのか。
 人それぞれに、漠然とした死生観があるとしても、それらの個別の思いが、心の中だけに留まっている限り、他者からは窺い知ることはできない。けれども、古来からのしきたり、墳墓の形態、記録としての文書、文学作品、絵画や工芸など、形あるものに託されて、死生観は堆積し、多様性と共通性の双方を保持しつつ、現代に至っている。
 すなわち、死生観とは、時代の経過につれて変容する側面がある。そのことは、死生観の多様性として顕現してきた。けれども、時代による変容にもかかわらず、共通するものがある時、その淵源は何処に在るかが、究明すべき課題となる。しかも、淵源はたった一つとは限らない。いくつもある淵源の探索と、その変容過程の双方が相俟ってこそ、「日本人の死生観」の輪郭と内実が明確になる。
 本書『日本人の死生観』の場合、著者である立川昭二氏は、古典文学として蓄積されてきた作品群を抽出領域に見定めた。それによって、死生観の「淵源と変容の道筋」を眺望しようとしたのだ。実は、わたくしは本書の題名から、かなり難解な本ではないかという第一印象を受けて、一種「気後れ」のような感じを持った。だが、実際にページを開いて読み始めるやいなや、すぐさまそれは消し飛んだ。これほどストレートに読者の心に分け入り、共感と共鳴に満たされる本は、滅多にない。扉は大きく開かれたのだった。
 本書の充実ぶりは、目次を見ただけでも明白だろう。文学者の名前と、歌句や著作から切り出された珠玉の表現が、一筋に繫がっている。そこに登場するのは、現代人になじみ深い文学者たちがほとんどである。
 唐突な例になるかもしれないが、本書の方法は、藤原定家によって撰集された『小倉百人一首』を、わたくしに連想させる。『小倉百人一首』には、「詠み人知らず」の歌は入っていない。七世紀の天智天皇から始まり、十三世紀の順徳院まで、ほぼ時代順に、百人の歌人たちの名歌を収めたアンソロジーである。したがって、百首の歌はすべて、作者である個人名と分かちがたく結びついて、人々の心に入ってくる。和歌の配列は、そのまま「王朝和歌史」のエッセンスでもある。文学者名で章立てされている本書が、『小倉百人一首』と似ていると感じる所以である。
 本書を手にした読者は、どのように読み始めるのだろうか。まずは、お気に入りの人物を選んで、飛び飛びに読むのも楽しいだろう。けれども、「連続読み」することが、本書の真骨頂を最もよく理解する読み方になると思う。わたくしは、学生時代から『徒然草』の研究を続けてきた。『徒然草』は二百五十段近い多彩な章段からなり、どのページを開いても興味深い内容であるが、序段から飛ばさずに最終段まで連続読みしてゆくと、作者である兼好の精神形成と視野の広がりが、全体の流れの中から見えてくる。作品としての達成も、よく理解できる。
 『日本人の死生観』に登場するのは、歌人・俳人・著述家であり、広い意味での文学者である。本書における古典文学者たちの取り上げ方と配列は、ごく自然に構成されているように見えて、考え抜かれている。複数の文学者が、ほぼ時代順に登場する本書を連続読みすれば、一人の人間の精神形成とその変容を超えて、まさに日本人の死生観の生成と展開を辿ることができる。著者の壮大な企図が、連続読みによって見えてくる。
 本書を実際に読み進めている途上では、文学者その人の肉声を間近に聞くような親密感が全編に漂い、思想史の論述という堅苦しさはまったく感じられない。それは、誰もがその名をよく知っている文学者の著作から、原文が豊富に引用されているからであろう。原文の切り出し方は、長い場合でも十行を超えることはなく、立川氏による行き届いたわかりやすい解説と一体化しているので、ごく自然に原文の意味内容も理解できる。
 このように、本書『日本人の死生観』は、十二世紀初頭の西行から十九世紀半ばの良寛まで、七百年余りにわたる十二人の文学者たちの、死生観に関わる名文・名句のアンソロジーである。その一方で、本書が文学者ごとに章立てする方法論を選択したことで、おのずと、もう一つの大きな成果が浮かび上がってきた。すなわち、「日本人の死生観」とは、「日本人の生き方そのもの」に宿ることが、再認識されるのである。
 現代人にとって、日本の古典文学の中で人気が高いのは、西行であろう。芭蕉や良寛も、西行の系譜である。彼らの作品は勿論のこと、彼らの生き方そのものへの共感と憧れが、人気の高さを支えている。また、鴨長明の『方丈記』と兼好の『徒然草』は、人生いかに生きるべきかというテーマに正面から取り組んだ文学作品であり、一般に「随筆」と呼ばれるが、わたくしは、現代の批評文学に繫がる画期的な古典であると考えている。
 このように、人気の面でも、また文学史的な重要性に鑑みても突出した、西行・長明・兼好の三人が、日本人の死生観という、大きなテーマの中で冒頭部に取り上げられたことによって、本書に登場する文学者たちが有形無形な繫がりを持ってくる。ページを隔てて、異なる文学者たちの発想や価値観、美意識、人生観などが響き合うことを、読者自身が発見できるのは、本書を読み進めてゆく楽しみのひとつであろう。
 
 以下、本書の記述に対する私見を交えながら、述べてみたい。
 冒頭部に位置する三人の文学者の関係性を、文学史の中で把握すれば、次のようになるだろう。平安時代末期から鎌倉時代末期にかけて登場した西行・長明・兼好は、勅撰歌人、すなわち、勅撰和歌集に自作の和歌が入集(にっしゅう)する栄誉に浴した歌人である。彼らは、それぞれの人生のある時期を画して出家者となり、世俗から距離を置いたという点でも共通性を持つ。ただし、文学的な視点から言うならば、西行があくまでも歌人であるのに対して、長明は『方丈記』の作者、兼好は『徒然草』の作者であることが重要である。『方丈記』と『徒然草』は、散文を書き綴ることによって物事を評論する文学ジャンルを創出し、後世の人々の生き方の指針と言えるような影響力を及ぼし続けた。
 本書で、「長明には川を詠んだ歌が多い」と言及されているのは、おそらく立川昭二氏の胸裡に、「石川や瀨見(せみ)の小川の清ければ月も流れをたずねてぞ澄(す)すむ」という、当時評判となった鴨長明の名歌があるからだろう。「瀨見の小川」とは、下鴨神社の御手洗川(みたらしがわ)の異名である。下鴨神社出身の鴨長明の、その後の人生の変転と重ね合わせると、ひときわ心深い歌である。また、兼好の場合も、「かくしつつ何時(いつ)を限りと白真弓(しらまゆみ)起き伏し過ぐす月日なるらむ」という歌を詠み、死の到来も何時と定かでない、日々の倦怠を嘆いている。そのような徒然なる日々の無聊(ぶりょう)の中から生み出されたのが、『徒然草』であった。このような文学史の把握に基づいて、本書の冒頭部の三人の描かれ方をわたくしの言葉で集約して述べれば、以下のようになる。
 旅に生き、旅に死んだ一所不住の西行はみずからの死の情景を、「桜と満月」の中にイメージした。その和歌を出発点として、日本人の死生観を辿る旅が始まる。「ゆく河の流れ」に人生を見た長明は、「住まいのあり方」に主軸を置いて、自分自身の人生体験から、「三界唯一心(さんがいゆいいつしん)」という仏典の言葉を摑み取った。兼好は、死の到来という不可避の深淵に無常の本質があることをしかと見極め、それを眼裏(まなうら)に焼き付けてから踵(きびす)を翻し、「唯今(ただいま)の一念」、すなわち今という瞬間瞬間を生きる自覚によって、無常を超える新たな時間認識を獲得した。本書で、西行・長明・兼好の三人それぞれの個性と生き方をまず冒頭部に提示したことが、本書のその後の記述の沃土となったと言ってよいだろう。
 その後に取り上げられた九人は、厳密には時代順に配列されているわけではないが、すべて江戸時代の文学者・著述家であり、これが本書の大きな特徴である。つまり、本書の中心的な考察は、「近世における死生観の形成と変容」なのである。現代人に直結する多様な死生観は江戸時代に淵源を持ち、その淵源は、少なくとも、本書で取り上げられている九人の文学者に見出すことができるというのが、立川氏の主旨であろう。
 本書のタイトルは、「現代日本人の死生観の源となっているのは、どのような死生観であるのか」という問いかけである。それに対する回答が、江戸時代の人々の死生観だったのである。とりわけ、他の文学者たちと比べると、異色とも言えるような貝原益軒と神沢杜口(かんざわとこう)の二人を含めた点に、著者の本領が発揮されている。
 ところで、本書の四番目の芭蕉と、五番目の西鶴は、二人ともその生涯は七番目の貝原益軒の生没年の中にすっぽりと収まっている。だから、生年順に配列するならば、兼好の次には、芭蕉ではなく、貝原益軒が来てもおかしくはない。芭蕉が先であるのには、それなりの理由があると思われる。
 芭蕉には多くの弟子がいたが妻帯せず、一所不住の生き方を貫いた。だから、隠遁者的な風貌を持ち、「最後の中世文学者」として位置づけることも可能であろう。実際、西行・長明・兼好・芭蕉の肖像画は、墨染衣(すみぞめごろも)の姿で描かれ、脱俗的である。これに対して、西鶴や近松の場合は、新時代の到来を告げる体現者としての側面が強い。だから、兼好に直接繋がる江戸時代の文学者は、本書の配列通り、芭蕉こそが相応(ふさわ)しい。
 それにしても、兼好から芭蕉までの間に、三百年近い空白期間が横たわっているのはどういうことなのだろうか。この間にも優れた文学者・芸術家は何人も存在している。何よりも芭蕉自身が、『笈(おい)の小文(こぶみ)』の冒頭部で、「西行の和歌における、宗祇(そうぎ)の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり」と述べている。芭蕉には、中世を貫いて「風雅のまこと」を体現した人々の系譜がはっきりと見えていたし、その末席に連なるのが自分であるという自己認識も持っていた。
 けれども、三百年の空白期を設定することによって、本書は、ダイナミックな飛躍力を獲得したのである。もし、三百年の空白期を置かずに、この間も文学者たちを等間隔で配置していたとしたら、これほど明確な死生観は浮かび上がらなかっただろう。この三百年の空白期は、強靭なスプリングボードとなって、読者を一気に江戸時代へと誘い、死生観の新たな方向性を指し示した。
 西行・長明・兼好の存在感は比類ないものだとしても、本書の大きな眼目は、近世人の死生観における、新たな局面を描き出す点にあった。西行の生まれた平安末期は、すでに「末法」の時代であると認識されていた。源平争乱の時代を生きた長明も、そして鎌倉末期から南北朝の時代を生きた兼好も、彼ら三人が生きた時代は「乱世」だった。彼らが紡ぎ出した和歌と散文の流れは、伏流水となり、三百年の歳月を経た。
 近世の文人たちは、磨き抜かれた深層の純水を汲み上げて、みずからの死生観の苗床に注いだ。日々の生活から生まれる実感は、深い思索を経て、叡知に満ちた美しい言葉となった。芭蕉から良寛まで、近世の人々の言葉と生き方が、現代人の心を、限りなく潤し癒すのは、西行・長明・兼好の思索が浸透していることも要因なのである。
 芭蕉と同時代を生きたとは言え、西鶴・近松の二人となると、新時代の新しい生き方や価値観が前面に出てくる。その次に貝原益軒、さらには神沢杜口を配置することで、時代の流れは中世からの離陸を果たした。益軒と杜口は、本書の中でやや異色な存在であるが、彼らが入っていることが、本書の個性となっている。
 貝原益軒は『養生訓』がよく知られているが、各地への実地探訪を優れた紀行文として書き残している。益軒の紀行文『己巳(きし)紀行』には、『徒然草』第六段を踏まえて、聖徳太子の墓所について記述した箇所もある。思えば、「墓所の規模を小さくせよ」という聖徳太子の言葉を記した『徒然草』のこの段も、聖徳太子の死生観に兼好が強く共感したからこそであり、その箇所を心に深く刻印していた貝原益軒も、時代を隔てて彼らの死生観と一直線に繫がっている。
 神沢杜口は本書の中では一般的な知名度は最も低いかもしれない。けれども、森鷗外が『高瀬舟』の主な依拠資料としたのが、杜口の随筆『翁草(おきなぐさ)』所収の話であることに本書が言及していることで、杜口の存在が現代人に身近なものとなる。
 その後に、千代女と一茶という二人の俳人を配したのも、江戸時代の文芸の達成を強く印象づける。しかも、ここに、本書中唯一の女性文学者が登場した。全体的にみれば女性が千代女ひとりというのはいかにも少ないように思うが、実際問題として、現代人が江戸時代における女性文学者としてすぐに思い浮かべる人物としては、おそらく千代女なのではないか。しかも千代女を取り上げつつも、他の女性俳人へ言及することで、当時の文学者層の厚みと広がりを実感させている。そして、ここでも著者の視点は、彼女たちの「生き方」に向けられている。
 本書において、貝原益軒・神沢杜口・千代女の各章は、とりわけ読者の心を弾ませる生気に満ちた記述となっている。このような人生観を持ち、このような生き方をした人々が、江戸時代にいたのだという驚きは、読者の共感へと転じるだろう。
 最後の二人は馬琴と良寛である。この二人は、生き方も価値観も対照的であり、また時代順で言うならば、良寛が先で馬琴が後である。しかし、そのような配列ではなく、馬琴を先にして、本書の締め括りは良寛となっている。最後が良寛で締め括られていることは、西行に始まった本書の円環を閉じるに相応しい照応である。
 本書では、各章ごとに、そこで主として取り上げる文学者と関連する文学者や作品も、紹介されている。それが、各章の記述に広がりを持たせると同時に、死生観の相互関連性を照らし出す。そのような記述の中で、『徒然草』への言及がしばしば見られるのがわたしにとっては、何よりも興味深い。たとえば第三章の、人間の終焉の姿が「静かにして乱れず」であることが理想であるという兼好の言葉は、江戸時代の人々の死生観にも通じている。今更ながら、『徒然草』の浸透度が高いことに気づかされる。
 以上のように本書は、広い意味での文学者たちの著作によって、日本人の死生観を描き出す点に大きな特徴があった。和歌や俳句、そして和文で書き綴った著作の中にこそ、日本人の心性が書き留められている。それらは、作品を読み継いできた多くの読者たちの共感によって、人々の中に息づいてゆく。
 取り上げられている文学者たちは平安時代末期から江戸末期までであり、万葉時代も、近代以後の人物も、章立ての中には取り上げられていない。しかし、近代、さらには現代の文学者たちも随所に登場して、論述に厚みを持たせている。近代以前の死生観が、近現代の文学者たちとも深い水脈で繫がっているからであろう。
 本書は、単行本の刊行から二十年の歳月を経て文庫化された。今を生きるわたくしたちの心の糧となって、甦ったのである。本書からのメッセージは、確実に現代のわたくしたちに手渡された。そのことを喜びたい。

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