加納 Aマッソ

第5回「思い出 はなし出すなら 今以下のことをネ」

 上京した当時から、郷愁に駆られる、ということが極めて少なかった。大阪の真ん中に生まれ、懐かしむ自然もなければ残してきた恋人もいない。さらに何かあれば2時間で帰れる距離とあって、ふるさとに思いを馳せるという行為はなかなかに縁遠いものであった。
 それでは何とも、情緒のわからない奴だと言われそうな気がして、ずっと放ったらかしにしていた「地元」なんていう言葉を引っ張り出してみる。所ジョージが「思い出 はなし出すなら 今以下のことをネ」と歌っていて、そうやんな、過去は「今」に花を持たせるために適当に使うもんやんな、といたく共感していたが、一旦忘れる。過ぎてしまえば思い出はただ思い出であって、上下などない。そもそも語尾に「ネ」なんて付ける大人の言う事は信用してはいけない。
 しかし、やってみるとこれがうまくいかない。こんな事があった、と懐かしむまではいけるが、それが大阪という「郷土」と結びつかないのである。あそこのお好み焼き屋に行った時〜、では無理矢理だ。自分のことは棚にあげるが、そもそも私は大阪がそんなに好きじゃない。平気でズケズケ物言うし。ズケズケ。ズケズケでコテコテ。そもそもコテコテってなんやねん。ボチボチも。ズケコテボチ。
 あれこれ考えあぐねていると、ひったくり件数No.1の街に生まれた私は、人の思い出が欲しくなる。県民性というのは実に怖い。東京に出てきてすぐの頃に働いていたバイト先に、青森出身の高田という三つ下の女の子がいた。高田は青森を愛していて、事あるごとに「実家に帰りたい」と言っていた。冬になると「東京はあったかいねぇ。青森はもっと寒くて、この時期でも雪はめずらしくないよ、ずっと鼻水が出るから、みんな授業中、机の上にトイレットペーパーを置いてたよ」と教えてくれた。情景が浮かびあがる最高の地元エピソードだ。これがいい。目を閉じると、青森に生まれた私の前には、かつて見た裏庭の雪景色が広がっている。
 中学は2年が一番楽しかった。休み時間には、いつもトイレットペーパーを体に巻きつけてあかねちゃんとミイラごっこをした。あかねちゃんのペーパーはダブルだったからでき上がりが綺麗だったけど、しっかり巻きすぎるせいでほどくのに時間がかかっていつも先生に見つかった。でも先生の「古代で遊ぶな!」が好きで、それが聞きたくて次の日にはまた二人でミイラになった。一度、ふざけて塚田が投げたペーパーが窓の外に落ちちゃって、みんなで外を覗いたんだけど、雪が積もってて、どこにあるのかさっぱり分からなかった。そしたら翔太がぶっきらぼうに「ほら」って指差した先に、ペーパーが少しだけ動いたのが見えて、「おぉ!」「翔太やるじゃん!」ってみんな口々に言ったんだけど、翔太は勉強も運動もてんでダメで、おまけに愛想もない奴だったから、結局クラスメイトから「白の微妙な違いを見分けられる奴」という評価だけを受けて卒業した。3年は嫌だったな。みんな進路の話をしだすようになって、顔つきが変わってきた。トイレットペーパーでふざける子も次第にいなくなった。将来は東京へ行きたい、って言い出す子が増えた。東京の何がいいんだろう。みんなずっと青森でいればいいのに。青森はいいよ。ナンシー関も生まれたしさ。そうだ、私もナンシーみたいにエッセイやコラムを書こうかな。そしたら外にでなくて済むよね。外は寒いもんなぁ。あ、東京は寒くないのか。もうちょっと西の方がいいかな? 大阪なんてどうかな、うん、大阪はいいよね、楽しそうだもん。大阪の女の子はみんな、プリクラのボタンをハリセンで押すんだってね。面白いね。大阪、いつか行ってみたいなぁ。

 

           次回の更新は10月24日(水)です