漫画家入門

第3回 ダスキンと富田くんと食あたり

2018年6月25日~6月29日

アシスタントの「富田くん」の働き方が光る回です。

6月25日(月)

 泊まりに来ていた彼女が朝4時ごろ床についた。自分はまだ眠くなる気配がないので、ダラダラとNintendo Switchで遊んでいた。ゲームのローディング中、暗転した画面に自分の顔が映った。死んだ目をした中年がいる。ずいぶん髪が伸びた。髪を切ろうと思った。
 僕は中学生のとき、行きつけの床屋で不思議な坊ちゃん刈りにされて以来、自分で髪を切っている。仮に失敗しても、それは自分の責任なので誰も責められない。負の感情を抱えないための自分なりの防衛策である。
 人にその話をすると「器用ですね」と言われることも多いが、実際には自分で切れる髪型に切っているだけなので、髪型は1パターンしかない。切って、伸びて、また仕方なく切る。それを25年繰り返している。
 30歳ごろから基本的に金髪にしている。初めは「漫画家で金髪は目立つ」というちょっとした打算もあったが、いまとなってはただの惰性である。しかし黒髪にしたら仕事の関係者の中には誰だか気づいてもらえない人もいるかもしれない。
 洗面台にもたれかかるようにして手にした手鏡をたよりにザクザク切っていく。途中段階で毎回失敗するんじゃないかと肝を冷やすが、なんだかんだで最終的にはいつもと同じ髪型になる。特に短く切った部分は根元の黒髪と白髪が半々になったまだら模様が露出している。気まぐれで久しぶりに黒く染めた。なんとなく無難でつまらない気持ちになった。
 髪を切り終えソファーで寝ていると、彼女に午後3時ごろ起こされた。彼女が帰るというのでコンビニまでついて行くと、先週とは打って変わって夏のような暑さ。「黒髪似合うね」と言われたが、黒髪が似合わない日本人もなかなかいないと思う。早晩、金髪に戻すことになるだろう。

6月26日(火)

 朝10時にチャイムで起こされた。すっかり忘れていたが、今日はダスキンの雑草駆除サービスの作業日だったのだ。寝ぼけながらドアを開けると作業員が二人。30分ほどで作業は終わるという。僕は仕事部屋に戻ってゲーム実況を見ながら待つことにした。
 庭の雑草駆除のサービスである。庭といっても、極小の土地へ建ぺい率ぎりぎりに建てた家の庭なので、庭というより隣地との単なる隙間だ。7年ほど放置していたが、枯れた草とそれでもなお生えてくる新しい雑草が折り重なり、最終的に人が通れないほど鬱蒼としてしまったのでやむなく去年からダスキンにお願いすることにしたのだ。
 玄関横のちょっとしたスペースにも草が生える場所があり、毎年代わる代わる名も知らぬ草が生え、夏場になるとゆうに2メートルを超えるほど成長し玄関を塞いでいた。年によっては大麻の葉っぱに似た植物が生えていたりして少し不謹慎だなと思いもしたが、玄関先が青々としているのはそれなりに風情があった。しかし今年はもう草は生えない。
 ゲーム実況を流しながら寝落ちしていたが、再びチャイムで起こされた。前回で大まかな除草は済んでいたので、今日の作業は草を生やさない薬の散布だけだったが、費用は大体15000円と思いのほか高いなと思ってしまった。これまでは毎年冬になると、木のように太くなった玄関先の雑草だけは自分がノコギリで切っていたのだが、その手間と15000円のコスパを頭の中で天秤にかけてみたところ、よくわからなくなったのでやめた。

 

6月27日(水)

 突然ボードゲームが欲しくなった。日がなテレビゲームのことばかり考えている自分がこれ以上遊ぶとは何事かと思わなくもないが、将棋やモノポリーのようなアナログな遊びをしてみたくなった。一度思い至ってしまうと考えが止まらない。ネットで一通り調べ、デザインの良さとポピュラーさを基準に5種類ほどamazonで注文した。もちろん遊ぶ相手は想定していない。パワハラ覚悟でスタッフに強制するのが関の山だろう。
 しかしamazonの荷物は明日届く。どうしてもいますぐ何かで遊びたかったので、その気持ちを抑えるために仕方なくアプリをiphoneにダウンロードした。レベルが99まであるオセロゲームアプリである。レベル1から順に勝たないと高難易度には挑めない仕様になっていたので、それに従ってレベル1からクリアしていく。しかしレベル20あたりから負けが増え、レベル30を超えてまったく歯が立たなくなってしまった。残り60段階ほど試練が待ち構えていると思うと途方に暮れてしまう。なので早々に僕はAIに降参することにした。
 そもそもオセロにおいて、AIの本気に人間は敵わないことは自明だ。しかしレベル30ごときで拮抗しているということは、プログラムに気を遣われているということだ。思考の強さよりもプログラムによる「気遣い」の妙に平伏せざるを得ない。いっそ気が遣えるなら、試合中に「所詮人間の考えそうな手ですね」と罵倒してくれたなら、キリよくアプリをアンインストールできるのに。そう思いながらレベル30を何度も挑んでいた。
 10回ほど負けたあと、自分の思考に頼っているから負けるのではないかと思い至り、何も考えずに画面をタップし続けてみたところ、一枚残らず僕の黒い石はひっくり返され、盤面が白一色となって完敗した。僕の頭も同じく真っ白になったので、そっとアプリを閉じた。
 そういえば学生のころ、ゼミの友達のあいだで大貧民が流行った時期があった。その中に何かと勝負事に強いAという男がいて、負け込んでいた僕はそのあまりの強者ぶりに疑問を感じ、彼の所作をこっそり観察してみたことがあった。結論から言うと彼は他人のカードを巧妙に盗み見していた。本気で勝ちにいくためにはズルもするという彼の勝負への執念に、絶対に自分には真似できない芸当であるとこれまた僕は平伏したのだった。
 それ以降「勝負しなければ負けることもない」という消極的な理念でいままで平穏に暮らしてきたのだが、しかしamazonの荷物は明日届いてしまう。ダンボールにぎっしり詰まったボードゲーム の山が。墓穴を掘ることになりそうだ。負ける気しかしない。

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