漫画家入門

第4回 うなぎとマインクラフトと原稿料

2018年7月3日~7月6日

浅野家に行くたび、うなぎのかわいさに癒される身としては、とてもつらいものがあります。

7月3日(火)

「うなぎ」という名前の猫を飼っている。ひっくり返して見れば腹に白い毛も生えているが基本的には黒猫である。
 先に「リモコン」という名前の白い猫を飼っていた。ある年に妻の誕生日を記念してもう1匹飼おうという話になり、その日のうちにペットショップへ向かった。僕は黒い猫が良かったのである程度ネットで検討をつけてから店を訪れたのだが、いざ店で確認したその猫は子猫とは言い難い大きさの明らかな売れ残り猫だった。値段もその品種の相場で言えば3分の1ほど。店員に理由を聞くと「顔がちょっと……」とのことだった。確かに愛想がないというか目に感情が宿ってない。そこはかとなく運命を感じたので僕は即決だった。
 うなぎはいつも動きが緩慢で、高い場所に登ることはおろか、走るところすらほとんど見たことがない。人の邪魔はしないが寄って来ることもないので存在感は極めて薄い。気がつくと1メートルほど離れた場所に居たりするが、それ以上距離を詰めることはない。目を合わせようにも常にやや焦点があっていないので、僕のはるか後方にある宇宙を見ているような目をしている。正直もう一方のリモコンは、人に好かれる「媚び」を知っている猫だったので、2匹飼いをしていた時期はうっすらと飼い主側の愛着にも優劣があったように思う。
 離婚し別居する際にお互い1匹ずつ引き取ることになったのだが、話し合いの結果、僕のところにはうなぎが残ることになった。離婚では涙ひとつ流さなかったが、リモコンがいなくなった日だけは少しだけ泣いた。しかしそれも3日も経てばすぐに慣れてしまった。それから3年ほど、うなぎとは付かず離れずのやや気まずい距離感で24時間同じ空間で過ごしている。
 多少足りないところもある猫のせいか、うなぎは毛づくろいをしない。時折前足を舐めているのを見かけることもあるが、途中で目的を忘れてそのままの惰性で床を舐め続けていたりする。そのせいかいつも毛溜まりのようなものができている。ブラシで毛を取ろうにもキリがない。
 ゆかちゃんの提案で、一度動物病院でシャンプーをしてみたらどうだろうかという話になっていた。ひと月ほど前に予約を入れていて今日はその当日である。
 昨夜から泊まり仕事で来ていたゆかちゃんとともに、朝9時に病院に向かった。なぜこんなに朝早いかというと、シャンプーをする際に暴れないように鎮静剤を打ち、再び動けるようになるまで数時間かかるため引き取りが半日後になるから、らしい。そんなに大掛かりだとは意外だったが僕は言われるがままに従うしかない。うなぎは猫バッグに入るときもまったく抵抗しない。病院を訪れ、獣医から簡単な説明を聞いたのち猫を預け、病院を後にした。
 仕事場に戻った。僕もゆかちゃんも徹夜だったのだが、なんとなく寝る気にもなれないのでぼんやりした頭のまま漫然と二人で有名人を無差別にディスるなどしていた。すると30分もしないうちに先ほどの病院から電話がかかって来た。鎮静剤を打つ前に、念のため簡単な健康診断をするとは聞いていたのだが、レントゲンの結果が芳しくないという。どうやらうなぎは心臓肥大であるらしく、鎮静剤の使用は危険なのでシャンプーはできませんという話だった。
 爪切りやブラッシング等、シャンプー以外のできることはしてくれるというので、夕方に引き取るという約束をし、電話を切った。うなぎの状況をゆかちゃんに伝えたものの、二人ともシリアスになれない間柄なので、ぎこちなくヘラヘラしながらとりあえず夕方まで寝ることにした。ゆかちゃんはうなぎをお気に入りだったので内心ショックだっただろうが、僕も少なからず動揺していた。
 眠る前にiphoneで「猫 心臓肥大」と検索してみた。特にオス猫に多い病気で、具体的な症状がなくてもすでに心臓が肥大している場合は、余命は3~5年であるという。うなぎの心臓がいつから肥大していたのかはわからない。もともと元気とは無縁の猫ではあったが、いずれにせよこれまでのように「うなぎが死んだら剥製にしてドローンと合体させて飛ばす」などの冗談は言いづらくなってしまった。
 夕方、改めて二人で病院へ訪れ獣医から説明を受けた。レントゲン写真を見れば心臓肥大は素人目にも明らかで、周辺に水が溜まっていることも併せて気道が圧迫されているという。心臓を元に戻すことはできないので、具体的な今後の治療は薬で水を抜き、経過を観察するしかないようだ。何か質問ありますかと獣医に聞かれたが、それ以上のことを質問するのはどうもためらわれる。しかし僕も生まれつき胸の中央の胸骨が窪む漏斗胸のせいで慢性的に胸の圧迫感があるので、少しだけシンパシーを感じたりしていた。
 再び仕事場に戻り、渡された薬をうなぎに飲ませることにした。1日に二度、ピンク色のごく小さな錠剤だが、餌に混ぜて飲ませようとしてもうなぎは器用に薬だけ避けた。仕方なくヘッドロックの要領で押さえつけ、強引に開けた口へ薬を放り込んだ。相当に嫌だったらしく珍しく鳴いた。僕が手を離すと、そそくさと階下へ消えていった。今後どれくらいの期間この投薬は続くのだろうか。うなぎが死ぬまで続くのかもしれないと思うと途端に暗澹とした気持ちになってきた。
 ただでさえ気まずい関係性だ。これ以上嫌われるのも嫌だなと思っていたが、数分後には何事もなかったように戻って来て、僕から1メートルほど離れた場所で寝始めた。改めてこういう性格はうなぎの良いところだと思う。だから僕も何事もなかったようにいつもの仕事に戻ることにした。

 

7月4日(水)

 夕方、税理士さんが諸々と溜まった資料を受け取りにやって来た。以前は「毎月取りに来るほどの領収書がない」という理由で会うのは半年に一度だったが、法人化して以降は会う機会が多くなった。
 通帳のコピーや領収書を次々と確認してもらう。よく理解してないが、会社を設立してしまった以上、今後は自分の会社の口座から自分の個人口座へ役員報酬を毎月支払わねばならないらしい。しかしもともとそれほど多くない資本金と、連載が休載中のため当面目立った収入もないため、毎月スタッフへの給料と僕への役員報酬を支払っていくと、3カ月後には会社が破産する。僕は笑うしかなかったが、税理士さんも笑っていたのでまあいいかと思った。
 夜、彼女の家へご飯を食べに行く。彼女の家には9歳の息子がいて、3人での夕食になる。ご飯を食べるという動機は半分以上建前で、実際は彼女の子供と関係性を築くため、さらには母子家庭特有のストレスを緩和するため月に数回通っていると言ってもいいのかもしれない。月に数回は少ないかもしれないが、現状の自分の生活スタイルだとこれが限界だ。
食事を済ませると彼女が小学校のプリントをテーブルに広げた。夏休みの課外授業のようなものの一覧表だ。「サッカー」や「料理教室」など20種ほどの授業が表記されている。この中から希望順に3つまで候補を挙げ、提出しなければならないらしい。彼女の息子は一覧に目を通し、選びあぐねている様子だったので、僕は「手品入門」を激推ししたが、あまり興味がないようだ。次点の推しだった「スライム制作」は去年履修済みだったらしい。
 結局「豚まん作り」が第一候補になった。そうしているうちに彼女が近所のスーパーへ買い出しに行ってしまったので、急に彼女の息子と二人きりにされてしまった。向こうは大人に対して緊張するような子供ではないが、僕は子供に対して緊張する大人だ。母親という助け舟がいないと実は全然会話がままならない。
 僕は頭を捻り、彼女の息子との数少ない共通言語であるマインクラフトというゲームの話題を振った。普段母親に通じない話題なので我慢しているのだろう、堰を切ったようにマインクラフト豆知識を僕に披露してくる。
 話を聞いているうちにひとつ気づいたことがある。二人きりになった途端、彼女の息子の一人称が「僕」から「俺」に変わっていたのだ。彼のもう一面を知れた面白さもあったが、なんとなく母子の関係性を垣間見たように思えた。それに一人称が「俺」になった彼に対して、僕は急に男を感じてしまい、より緊張が高まった。子供は苦手だが、男はもっと苦手だ。さらに言えば10代の男なんて最悪だ。
 あと数年も経てば彼女の息子は中学生になる。そのとき自分は彼とどう対峙すればいいのだろう。父親でもなく友達でもない。もし僕が逆の立場だったとすれば、母親の彼氏という微妙な立ち位置の男性に好意を持てるはずがない。

7月6日(金)

 仕事部屋のカーペットの上にうなぎのウンチが転がっていた。これは粗相ではなくもはや日常になってしまっている。色々と手は尽くしたが特に改善される様子もなく、猫のトイレの中に仕事場があると解釈することで半ば諦めつつある。
 そんな仕事場で今日も富田くんとダラダラと世間話をしていた。W杯で日本が敗退したことについて感想を求めると、「むしろここからの試合が面白い」などと通みたいなことを言う。
 この日記を書き始めて1カ月以上経った。書けば書くほど、いま書く必要はないし、特に読み手にとってかなり無益な文章だと思う。ただ自分にとっては、漫画のネタにもならない瑣末な出来事を記憶から排出するために書く、という点で決して無意味ではないように思える。可能な限り空っぽでいたいと思っている。だからこの日記は極めて利己的な内容なので、面白く有益な情報で溢れる現代において、是非とも電子の藻屑となって消えていってほしい。
 「日記の原稿料っていくらなんですか?」と富田くんが僕に問う。言われて確かに、原稿料の額を担当者から聞いていなかったことに気づいた。僕が「5000円くらいじゃない?」と適当に答えると、富田くんが「メルマガでやったほうが儲かるんじゃないですか?」などと言う。仮に月額500円だったとして、確かに登録者が10人いれば5000円だ。100人いれば5万円だ。自分のtwitterアカウントで物乞いすれば100人くらいのフォロワーは同情してくれるかもしれない。瞬く間に動悸が激しくなった。
 僕は目を泳がせながら「それはそうなんだけど、そういうことじゃないんだよ」と指示語だらけの煮え切らない言葉を吐き捨てた。しかし事実そうなのである。出版社の膝元から何かを発表する場合、必ず誰かの校閲が入り、認められたうえで正式に読み手に届くのだが、そのプロセスが自分にとって非常に重要なのだ。もっと言ってしまえば、その校閲の網の目法の目をかいくぐり、白黒微妙な作品を公のものとして発表するという「遊び」なのだ。その点が自由に発信できるWEBやSNSとはまるで毛色が違う。こういうことを考えるたび、つくづく自分が古いタイプの作家だなと思ってしまう。
 今日はゆかちゃんも昼から来る予定だったのだが、午後6時になっても現れない。部屋で死んでいるのかもしれないと思い電話をかけると、ほどなくして明らかに寝起きの声のゆかちゃんが電話口に出た。おそらくこれは夜出勤して明け方始発で帰るコースになるだろう。僕が「いま起きたなら朝までできるでしょ」と聞くと「パワーがすごいです」とゆかちゃんは言った。
 午後8時過ぎにゆかちゃんが来た。富田くんは深夜に帰り、僕とゆかちゃんは明け方まで仕事をした。
 日付が変わり7月7日の朝6時ごろ、ゆかちゃんは仕事を終えたがゲームをしたいと言うので、ソファーに座りゼルダの伝説を遊び始めた。その横で僕は夏から始まる短期連載のネームの最終話を描いていた。ふざけにふざけた、これもまた誰得な内容だが、初めてのアプリ連載、そして短期とはいえ久しぶりの週刊連載だ。この数カ月、まるで社会と接続していない生活だったので、この連載で少しでも漫画家としての勘を取り戻せればと思っている。
 そういえば今日は七夕だ。外を見やると東京は曇り空だった。西日本では豪雨による災害で大規模な被害が出ていることをトレンドワードで知った。以前連載していた自分の漫画が七夕をモチーフにした作品だったので、7月7日は少しだけ特別な気分になる。毎年思うのは、大抵七夕は天気が悪いということだ。別段晴れてくれとも思わないが、もう少し穏やかな天気であってほしいと思う。

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