高橋 久美子

第3回
無人島で歌いましょ

最新エッセイ集『いっぴき』(ちくま文庫)も絶好調の作家・作詞家の高橋久美子さんの新しい連載エッセイ! 彼女にしか紡ぐことのできない言葉たちで、日々の生活を鮮やかに描きます。〈作家・高橋久美子〉の新しいスタートを告げる連載は、毎月第4水曜日の更新になります。

 
 ある猛暑の朝だった。ライブに出演するため実家の愛媛に帰っていた私は、最寄り駅のホームで電車を待っていた。会場までは電車を乗り継いで一時間半ほどだ。
 線路を渡ってホームへ向かっているときから、ある集団が目に飛び込んできていた。自治会の当番なのかバイトなのか、線路脇の盛り上がった土地の上で、おばさん五人が鎌を片手に草を刈っていたのだ。大きな麦わら帽子に割烹着、長靴、顔も下半分を手ぬぐいで隠して、完全防御という出で立ち。まるで西部劇に出てくるカウボーイみたいにクールだ。
「なーあ、○○さんどこに入院しとるんか知っとる?」
「△△病院じゃと。お見舞いどうしようかねえ」
「行ったほうがええよねえ、やっぱり」
 カウガール達はまるで荒野に佇む戦隊モノのレンジャーみたいだが、そこがホームの真ん前ということを忘れているようだ。女の時代だなあなどと思いながら逞しい鎌捌きに見とれていたら、カンカンカンという音がして、単線にワンマン列車が入ってきた。
「電車電車、はよう、こっちよけとき」
 おばさんのすぐ横を電車が入ってくるからヒヤヒヤしてしまう。タフなカウガール達に目が釘付けのまま、私は前の人について電車に吸い込まれていった。
 電車が目的と逆方向に進んでいることに、次の駅の名前を呼ばれたてようやく気づいた。やってしまった! 私は急いで次の駅で飛び降りると、最後尾の車掌さんに聞いた。
「あの、間違えて逆行きに乗ってしまいまして」
「じゃあ、まあここでしばらく待つしかないね」と運転手さんは面倒くさそうに答えて、私と荷物をおいてさっさと行ってしまった。
 この選択も失敗であった。車掌さんの助言はときに素人以下らしい。二つ先の大きい駅まで行けば特急電車がすぐ来たのに。バカバカバカバカ! 旅で訪れたカンボジアとかモロッコじゃこんなヘマは絶対やらないはずだが、日本の、しかも実家、私の警戒レベルは1になっていたのだろう。
 炎天下の中、蟬の声だけが鼓膜と思考を支配する。恐る恐る、時刻表を見ると次の電車は一時間半後。絶望的な通告だった。田舎暮らしを絶賛してきた私は、このくらいのことに顔色を変えていてはいけない。なんくるないさ、ポレポレーで笑ってなきゃエセである。
 なーんにもない。ベンチと小さな囲いしかない。

 今年一番の夏の思い出は、キャンプでも夏フェスでもなく、無人駅での目のくらむような一時間半であった。残りの麦茶はあと少し、ちょっとリアルにくらくらしてきている。目の前の工場の白い壁にくっきりと屋根の影がうつる。その向こうに絵の具で塗ったみたいな青空だ。桜の葉が風もないのに、一枚だけスススと落ちる。夏でも落ちる葉っぱもあるんだと思うと、妙に心細くなってきた。三島駅まで行っておけば乗れるはずだった特急電車が足元から五十センチほど先を、そよ風を切り裂いて通り過ぎる。まるで山中を走る妖怪みたい。あと数歩前にいたら私の命は消えてしまうなんて、なんと無防備な世界だろう。生きる力があることを前提に作られた社会なんだ。ぼやぼやしていると、すぐ妖怪に持ってかれるんだな。暑さで朦朧とした頭にいろんな妄想が行き来するので、詩を書いていることにした。
 それから工場の壁に向かって少し歌ってみることにした。鼻歌は誰もいないホームで、蟬のコーラスとハモりながら、何を作っているのかも知らない工場の壁にぶつかっては消えていった。体から出る涙や汗以外の、声という成分は、すごくロマンチックなものだな、と思ったりして、フリーダムな気分になってきて、麦茶はとうに切れてしまったが自販機も見当たらず、私は詩を書いては、でたらめに歌った。
 工場の向こう、白い家が見える。そういえば、小学五,六年を担任してくれた先生の家がこの駅の近くにあって、一度クラスの女子で遊びに行ったことがあった。あと一時間ある。家は忘れたけど適当に歩いていれば先生に会えそうな気がする。あの日のようにカレーを食べて、紅茶を飲んで、他愛もない話をしたい。立ち上がった。でも……会ったらもう一本逃すことは確定だ。ホームのベンチに再び腰を下ろす。誰もやってこない。大勢の人を乗せた特急電車が今度は反対側からまた猛スピードで駆け抜けていく。私は世界に一人だけ、忘れ去られた人間のようだ。
 工場の壁に向かって、飛んでけ鼻歌。不自由の中の自由がだんだん心地よくなってきた。

 高木正勝さんと、上野恩賜公園のステージで歌った日のことを思い出していた。どっぷりと浸かっていた音楽を封印し、文章だけにシフトチェンジしたのは七年前。
 その翌年、読書のフェスという朗読のフェスに出演した。私はトップバッターで自作の詩を何編か朗読したり、友人たちとパートを振り分けて交互に朗読したり重ねたりという朗読合唱をした。出番が終わり、トリの高木さんのステージまで、ふらふらと遊んでいたら、出番前に高木さんが「セッションしてみる?」と声をかけてくれた。前から、高木さんのピアノと私の朗読で、セッションしてみたいなと思っていたけれどきっとお忙しいだろうと思い諦めていたことでもあった。嬉しい! やってみたい! でも、リハも打ち合わせもなにもしていない。
「何も決めてないし、またの機会に……」と言うと、
「でも、やらなきゃ失敗さえ味わえないよ」と笑いながら高木さんは言った。
 目が覚めるような言葉だった。本当に、その通りだ。私は意を決してアンコールで一緒にステージに立たせてもらうことにした。失敗だけでも味わいたい。
 ついにアンコールになり、高木さんが私を呼び出した。緊張でがちがちのステージの上、高木さんは言った。
「その詩は何色?」
 詩に色をつけて、それを軸に音を奏でるなんて、震えるほど素敵ではないか。
 夜の詩だったので「紺色かなあ」と答えた。
 しばらく朗読とピアノで探り合い、読むスピードを変えたり、メロディーが変わったりを続けたけれど、高木さんは首をひねっている。小さい声で「色変えていい?」と言ってきた。
 そして「白にするね」と言った。
 私はドキドキしていた。これが緊張のドキドキなのか、ときめきのそれなのかわからなかった。
 そして、セッションのクライマックス、高木さんは夕焼けに向かっていきなり歌を歌い始めた。びっくりした。だって自由すぎて。私なんてステージに立つために仕上げてきているのに、高木さんは多分そこで自分を実験している。どんな感情が起こるかを楽しんでいる。高木さんの体の中で今湧いてくる泉が、口のトンネルをくぐって飛び出していく。
「一緒に、歌おっか」
「え? 私も?」
「そう、歌って」と、いたずらっ子のように、くすくす笑っている。
 ステージの上にいるとは思えない、まるで高木さんの家に来ているみたいだった。歌うって……何を歌ったらいいんだろうか。今まで入念に作り上げたコーラスラインしか歌ったことがない。ドラムだったら自由に叩けるけど歌は専門外だもの。音楽の授業でだって、楽譜通りにしか歌ったことがない。適当に感じたままに歌うって、どういうことだろうか。歌手でないのに、そんなことやって許されるだろうか?
 ステージの向こうの開いた屋根からオレンジ色の夕日が私達を包む。カラスが二、三羽飛んでいく。和音に混ざって、高木さんの声が空へ広がっていく。上手いわけじゃないのに、噓がなくて土の中みたいな歌。何だってやれそうな気がする。心のまわりに貼り付いていた鱗が剥がれていくのを感じた。
 私は口をあけて、湧き上がる気持ちを、は~と声に出してみた。声は口のトンネルから出口へめがけて飛んでいった。よくわからないけど、それは確かに私の歌だった。間違いも正解もなかった。昔のまだ言葉を知らない私に返っていくようだった。二人の声は、近づいたり離れたりしながら、会場の天井を突き破って、鳥のようにパタパタと飛んでいくのだった。懐かしい幸福感だった。

 この出来事が、私のこれまでの考えをガラリと変えた。声は楽器なんだね、と知った。誰だってその楽器を自由に鳴らすことができるんだなと思うと、私はやはり音の中の住人だった。太古から声は心を表す一番の楽器だったんだろう。歌うことはしゃべることよりももっと生きる根っこに近い気がした。
「高橋さんはドラム叩きながら朗読したらいいと思うよ」
 と、打ち上げのとき高木さんが言うので。
「あ、私、ドラマーだったんです」
 と笑うと、やっぱりそういう事だねと高木さんも笑った。
 私の書く文章には独特のリズムがあるとよく言われるが、それはそういうことなのかもしれない。実際に叩いてなくても、やっぱり私の中には私のビートがあって、歩き方や喋り方と同じように、自然とにじみ出てしまうのだろう。
 書くだけでなく、私はときどき朗読をするようになった。実験を繰り返し、次第に歌と朗読の中間みたいな読み方になっていった。間のとり方や、速度、声の質、高さ、百人いれば百通りの朗読になる。声はその人だけの楽器だ。しゃべるよりも正直な気持ちが出てくるから不思議だ。

 無人駅での一時間半はまるで無人島での一カ月のように思えた。やっと来た電車に乗ると、人が何人か乗っていてそれぞれの時間が流れている。誰も私が一時間半無人島に行っていたことを知らない。途中の大きな駅でさらに一時間半待った。もうそこは無人島ではなかった。カフェに入ってパンとアイスコーヒーを頼むと私はパソコンを開いて、たまった原稿を書いて過ごす元の姿に戻っていた。特急列車に乗り換えて目的地に辿り着いたときにはなんと五時間が経っていた。とてつもなく充実した時間だった。
 電車通学をしていた高校時代、乗り遅れたらぼーっと電車を待っていた。あの頃はいつまでだって妄想していられたし無駄な時間という概念さえなかった。わざわざインプットの時間を作らなくても、なんでもない時間にこそ蓄熱されることがあったんだと思う。真っ白なページを開くように、真っ白な時間を開いて。余白だと思っていたことの方が意外と、地図のど真ん中だったりするんじゃないかな。
 その日のイベントで、無人島で書き上げた詩を朗読した。

 ここにいますよ と蝉が笑ってら
 一つとして同じ声はないのだから
 一つとして同じ時はないのだから
 電車乗り間違えたり
 光の影になったり
 宝物落としちゃったり
 あぶに刺されたり
 ふんだりけったりさ

 誰かの歩いた足跡に
 私のスニーカー合わせてみる
 錆びついたものこそ愛でてあげたい
 失敗はどこにもないらしい 私はここにいる
 心のメモ 朝露に濡らしても
 乾かすこと 諦めない
 じたばたすること 諦めない

 一人もいいよね 一人もいいよ
 一緒もいいよね 一緒もいいよ

 旅は予期せぬ所へ私を運んでくれた。あのまま普通に電車に乗れていたら今日とは違う私と詩ができていただろうな。それもまた良かったのだろう。そう考えると、その時その時が私にとっての実験の場であり、いわゆる失敗は存在しないのだ。
 カウガール達の草刈りは終わっただろうか。友達のお見舞いにあの調子で五人揃って出かけたんだろうか。もうすっかり秋である。

 

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