単行本

あの時代のベルリンを刻み込む物語

深緑野分『ベルリンは晴れているか』書評

PR誌「ちくま」より、ライターの瀧井朝世さんによる『ベルリンは晴れているか』(深緑野分著)の書評を公開します。著者2年ぶりの新刊は、第二次大戦直後のベルリンを舞台にした歴史ミステリ。480ページに及ぶ渾身の一作を瀧井さんはどのように読んだのか。ぜひご覧下さい。

 ベルリン。歴史に翻弄された町だ。長らく首都として栄えるが第二次世界大戦の市街戦で大打撃を受け、戦後は東西に分裂、西ドイツ領の西ベルリンは周囲を東ドイツ(ドイツ民主共和国)に囲まれた飛地となり、壁で包囲されてしまう。壁が崩壊したのは一九八九年十一月のことだ。私はたまたまその二年前、一九八七年の夏に東西ベルリンを訪れたことがある。壁を隔てただけで、こんなにも東西の街の景色が変わるのかと圧倒され、この街が内包する壮絶な人間の歴史に思いをはせた。それを小説にするのはそう簡単なことではないが、しかしこの〝ベルリンを書く〟ということを真正面からやってのけてみせたのが、深緑野分の『ベルリンは晴れているか』だ。第二次大戦時のアメリカ軍に従軍した青年を主人公にした『戦場のコックたち』の著者が再び放つ、戦時ヨーロッパを舞台にした力作である。
 一九四五年。十七歳のアウグステは戦中に家族を喪い天涯孤独となるが、英語が少々できることからアメリカ軍の食堂に職を得て働き始める。だが、ほどなくしてソヴィエト軍に呼び出され、かつて身寄りのない自分を匿ってくれた恩人の老人が不審な死を遂げたと知らされる。重要参考人として、行方の分からない彼の甥の名前が挙がり、アウグステは彼の捜索を依頼される。旅立つ彼女の道連れは、ひょんなことから知り合った泥棒のカフカだ。
 一人の老人の死の真相を探るミステリであると同時に、混沌としたベルリンの街を少女が彷徨する冒険物語であり、この街のさまざまな地域の当時の表情を生き生きと伝えてくれている都市小説でもある。実は俳優として活躍してきた陽気な泥棒のカフカや、戦争で身寄りを亡くした孤児ばかりの窃盗団、そのボスであり〝魔女〟と呼ばれている少女、一癖も二癖もある軍人たち、登場人物も多彩だ。アウグステが愛読し持ち歩いているケストナーの『エーミールと探偵たち』は少年エーミールが祖母のいるベルリンを訪れた際に泥棒に遭い、出会った少年たちと犯人を追うという内容。街の中をあちこち訪ね、新たな出会いを経て事件を追うという、本書の特徴を象徴しているともいえる。
 旅の行程が章立てで進むなか、合間に挿入される「幕間」では、アウグステの幼い頃から現在に至るまでが時系列で解き明かされていく。彼女がどうして両親を亡くしたのか、なぜ故人となった老人に匿われるようになったのか、その経緯も少しずつ明かされていくのだ。この過去パートでも大勢の人物が登場。ナチスを支持する人々も地下活動を試みる人もいれば、迫害の対象としてもちろんユダヤ人だけでなく実際に当時虐げられた身体障碍者、共産党員や東欧からの労働者も現れる。通読すれば大戦前夜から戦中のベルリン史としても読めるものになっており、人々の市民生活がどのようにして脅かされ、隣人同士がどのように疑心暗鬼に陥り、その一方でどのように懸命に助け合ってきたかがよく分かるようになっている。
 つまり著者が本作で挑戦しているのは、混乱の時代にこの街にいた多くの人々の過酷な人生を描き切る、ということなのだ。主人公のアウグステを含め、登場人物たちは話が進行するにつれ、最初の印象とは異なる面を見せていく。極端な悪の権化も聖人君子もいるわけではなく、生き抜くために後ろめたい行動に出ることもあれば、思わぬ親切心を見せることもある。極限的状況の中で、市民たちがいかに生き、彼らがどんなに人間くさい存在であったかを、一人ひとりについて濃密に描こうという試みがなされているのだ。意外な死の真相が浮かび上がる物語の面白さはもちろん、この場所で実際に生きた人々、この時代にあった街の光景と風俗を、決して忘れないためにここにはっきりと刻んでおくのだ、そんな著者の気概に触れて、三十年前にあの街で抱いた感慨が甦った。胸を熱くさせる一冊である。

関連書籍