ちくま文庫

秘められたコトバ

『遺言 対談と往復書簡』書評 

染色家・志村ふくみと作家・石牟礼道子が遺した次世代へのメッセージ。二人の言葉の中には何が紡がれているのか。批評家で随筆家の若松英輔氏による書評。

 遺言は、亡くなる間際に記されるとは限らない。このことだけはどうしても語り伝えなくてはならないと感じることを人は、死に備えて準備する。だが、どんなに周到に準備された遺言であっても、読まれなければ実現されない。遺言に息を吹き込むのは、読む者なのである。
 今年、石牟礼道子が亡くなった。この本は、文字通りの「遺言」になった。本書には石牟礼道子と志村ふくみの往復書簡と対談、そして石牟礼の新作能「沖宮」が収められている。
 染織家と作家という立場を越えて、志村ふくみと石牟礼道子は、長く交友を深めた。互いのことをもっともよく理解する者だったといっても過言ではないように思われる。二人を結びつけたのは、人々の語らざる念いを引き受けようとする態度であり、語り得ないものにせめて、コトバの姿を与えたいという、ほとんど祈りにも似た衝動だった。
 言葉ではなく、コトバと書いた。この二者を使い分けたのは、哲学者の井筒俊彦で、前者は言語を指すが、後者は、言語を含む意味のあらわれを指す。二人はともに現代を代表する文章家だといってよいが、書くことで言葉たり得ないもの、すなわちコトバの経験を深めていった。志村はそれを染織によって、石牟礼は、本書にも収められている新作能によって表現しようとした。
 二人は、自分たちの心を震わせるもの、そして自分たちが伝えていかなくてはならないものが、最初から言葉を超えたところにあるのを熟知していた。
 言葉にならないものを言葉によって記さなくてはならない。ここに遺言の矛盾がある。だが、同時にそこが読み手の役割の生じる場所でもある。
 今年の秋、石牟礼を追悼する営みとして熊本、京都、東京で「沖宮」が演じられる。その衣裳は志村ふくみの監修のもと、志村洋子と工房の人々によって作られた。この新作能は、島原の乱を率いた天草四郎とその乳兄妹あやを中心に物語が展開する。志村は草稿を読み、読後の気持ちを染め糸に籠めて石牟礼に贈る。対談でもこの糸に話が及んだ。
 石牟礼は、「こんな色になって……この艶がねえ……言葉ではこの艶というのは、出ませんねえ」、さらに「表現というのは、こころみて表現しようと思っても……」と述べる。すると志村も「できませんね」と同意する。それを聴き、石牟礼はこう言葉を継ぐ。「できませんね。それにくらべて自然の力というのは……」。何気ない会話だが、世界の実在にふれた者のみが経験する沈黙がここに刻まれていることをおもうと、畏怖に似た戦慄を感じる。
 先の石牟礼の言葉のあとに志村はこう語る。「そうそう、そうです。石牟礼さんの表現するあの世界の色ですわ」。志村は色を染めるとは言わない。つねづね「色をいただく」という。このとき自分のところにやってきた色は、もともと石牟礼の作品のなかで出会ったものだったというのである。
 二人の交わりを思うとき、美の顕われとその受容の不思議に驚く。世に示されたもっとも独創的な石牟礼道子論は、志村ふくみの染織のなかに潜み、志村の染織の秘密は、石牟礼を通じて世に顕われたコトバに伏在している。
 本書を繙く者は、言葉には記号的な意味のほかに、象徴的、ときには形而上的と言わざるを得ないコトバの働きが秘められているのを知るだろう。ただ、それは書き手と読み手の心が通じたときにだけ顕現する。それは「目」には映らない。心眼というときの「眼」が開かれたときに浮びあがる。
 ここに彼女たちが二人で遺言を残さなくてはならなかった理由がある。読者の役割は大きい。二人は私たちに、言葉たり得ないコトバの解読を託そうとしているのである。
                    

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