漫画家入門

第5回 たけし軍団とカタンと金口一枠

2018年7月15日~7月23日

アシスタントのゆかちゃんのTシャツが最高です。

7月20日(金)

 今日は富田くんとゆかちゃんが来た。この組み合わせの日は自他ともに認める根暗サイドの人間が三人揃うことになる。職場の雰囲気は気だるく、理由もなく全員がなぜかニヤニヤしている。仕事は始めずに三人でアイスを食べながら、漫然とネットの三文記事を肴に不謹慎な話ばかりしていた。
 スタッフ机の側に目をやると、先日買ったボードゲームが山積みになっている。大小さまざまな箱が10箱ほど。ルールが単純そうなものは何種類か手をつけたが、そろそろ本格的にこの山を崩さないと後ろめたい。僕は重い腰を上げ、そろそろ仕事を始めましょうか、というフェイントののち、「カタン」というボードゲームに手を伸ばした。今日はもう原稿はやめてパーティーだ。パーティーという言葉ほどこの三人に似合わないものはないが。
 僕は初耳だったのだが、「カタン」はかなりポピュラーなボードゲームであるらしい。ボードのマスに陣取りし、その土地から資源カードを受け取り、その資源でさらに陣地を拡張・発展させそのポイントを競う、思いのほか単純なルールのなのだが、戦略と運のバランスが絶妙で面白い。僕は卑怯な手も厭わなそうな富田くんを仮想敵と決めゲームを進めたが、ゆかちゃんが異常な引きの良さで他を圧倒し、僕ら二人は逆転不能な状況まで追い込まれてしまった。
 このゲームは資源カードをほかのプレイヤーと交渉で交換できる。種類や交換レートは交渉の中での自由設定なので、意外な展開も期待できる。僕は資源の一種である羊カードが足りなかったので、ゆかちゃんに交渉を持ちかけたのだが、潤沢にカードを持つにもかかわらず羊は持っていないという。僕は諦めて自分の手番を終えようとすると、ゆかちゃんがポツリと「嘘ですけど」と言って羊のカードをくれた。勝ちに貪欲なわりに、最後は正直だ。
 しかし結果は二戦してゆかちゃんの二勝、しかも圧勝だった。自分で自分を「いや〜ゆかちゃん強いから」と言い、調子に乗っている。気がつけばもう夕方だ。
 ゆかちゃんが帰ったあと、富田くんと二人で再び漫然と雑談タイムに入った。しかしいつもなら適当に話を切り上げて帰る富田くんが何か言いたげな顔をしている。話を聞いてみると、富田くんが最近よく遊んでいるという女の子の話題だった。要するにその女の子が気になっているということなのだろうが、普段は「彼女よりスプラトゥーンが優先」と現代っ子らしい発言が目立つ富田くんにしては珍しい。
 よくよく話を聞いてみると、何の偶然かその女の子はボードゲームが趣味であるらしい。取ってつけたような偶然に僕は辟易しつつも、「じゃあその子も連れて来れば?」と提案してみた。富田くんは「え〜いいんですか〜?」などと言っているが、いいも悪いも明らかに僕の意思とは関係なく、そういう話の流れだろう。富田くんの恋愛ゲームに協力するのは全くもって不服だが、「カタン」は四人で遊んだほうが面白いだろう。あとは「モテ女」に異常な嫉妬心を抱くゆかちゃんが、それを許してくれるかどうかが問題だ。

7月23日(日)

 部屋が蒸し暑い。そしてエアコンの効きが悪い。家仕事の人間にとってエアコンの不調は死活問題だ。フィルターの掃除はずいぶん前にしたきりなので、そろそろ業者にクリーニングを頼まなくてはならないのだろうか。電話をかけるのが億劫だ。
 子供のような言い草だが、知らない人に電話をかけるのが苦手だ。特にマニュアル然とした対応をされると、勝手がわからない僕は崖に追い詰められるようなプレッシャーを感じてしまう。そんな怖い思いをするくらいなら、いっそ飛び降りたほうがマシと思うくらいには苦手だ。しかしiPhoneで気温を確認すると世田谷は37度だった。外は地獄か。じゃあ仕方ないねと自分に言い聞かせた。
 昨日の夕方からゆかちゃんが来ている。二人で作画を進めていたが、日付が変わるころになるといい加減集中力も切れてくる。僕はゆかちゃんに悟られないよう、1日分のネット記事を消化していた。気になる記事があれば元のソースも辿るし、コメント欄までしつこいくらいに目を通す。ほとんどが時間の無駄なのだが、「これもアイデア集めの一環」とどこかで思っている手前、罪悪感がないからたちが悪い。
 ある記事を読んでいると、見慣れない四文字熟語が目に入ってきた。「金口一枠(きんこうひとわく)」である。知らない言葉は必ず調べるようにしているので、速やかにテキストをハイライトし、右クリックから「“金口一枠”を調べる」を選ぶ。しかし本来ならば、辞書から検索された内容がポップアップに表示されるのだが、「該当なし」となっている。僕は「はて?」と思いしばし思索したが答えが出ない。逡巡したのち、諦めてGoogleで検索してみたところ僕は驚愕した。
「金口一枠」は「きんこうひとわく」ではなく、「金曜ロードショウ枠」の略であった。つまり「金ロー枠」である。前後の文脈が映画の内容だったにもかかわらず、その可能性をつゆほども考えなかった自分にも絶望したが、フォントの見分けがつかない自分のフォント音痴にすっかり自信喪失だ。「ズコーッ」と言いながら椅子から転げ落ちたい気分だったが、すんでのところで耐えた。ゆかちゃんは今も僕がせっせと作画していると思っているに違いないからだ。「価値のある言葉を持つ者には、必ず一席設けられる」みたいな意味かと勝手に想像していた。しかしこの数分間、宇宙で一番無駄な時間だった。
 朝4時をすぎたころ、ゆかちゃんが「じゃあ仕事あがります」と言ってソファーに座り、当然のようにゼルダを遊び始めた。ゆかちゃんは戦闘が苦手らしく、ボス戦や強敵が現れるたびに僕は仕事を中断し、それを手伝わなければならない。何度かそれを繰り返しているうちにすっかり仕事のやる気は失せ、ゆかちゃんの横に座り、まんじりともせずゼルダのプレイ画面を見ていた。このソファーは寝るときに使っているので、ゆかちゃんがゲームを切り上げないかぎり僕は寝ることができないのだ。豚のような目をしながら僕が足を組んでお菓子もモリモリ食べていると、タバコを吸っていたゆかちゃんが「このタバコの火を足の裏に押し付けたらどうする?」と聞いてくるので、「びっくりする」と答えた。すると「ひっひっ」と変な笑いかたをしながら、依然ゲームを続けている。そういえば前にも同じ質問をされたことがあって今回が2回目なのだが、何が目的なのだろう。謎だ。
 エアコンの効きが悪い。気がつくとソファーの座面と背もたれの角にめり込むようにして寝てしまっていた。ハッと起きて時計を確認すると午後の3時だった。隣に目をやると、ゆかちゃんは僕が寝てしまう前とまったく同じ姿勢でまだゼルダをやっている。「寝てないの?」と僕が聞くと「はい」などと言う。かれこれ10時間近くゲームで遊んでいることになる。あんまりだ。何より本当ならもうすでに仕事を始めている時間のはずなのにあんまりだ。「仕事できるの?」と聞くと「パワーがすごいんで」と言い張るので、仕方なくそのまま仕事を再開させた。
 結局ゆかちゃんは作画の仕上げ作業を定時の23時まで続けた。帰り支度をしているゆかちゃんに「眠かったら寝ていけば?」一応気を遣ってみたが、「ハイなんで大丈夫です」と言う。それはあまり大丈夫じゃないような気もしたが、連日の不規則な生活に、自分もいい加減気が回らなくなってきた。二人でヘラヘラしながら「お疲れ様」と言って解散した。「また金曜に来ますね」と言って帰っていくゆかちゃんを横目に、僕は再びパソコンに向かい、原稿を仕上げていく。一人になると、途端にエアコンの音が耳につく。
 

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