高橋 久美子

第4回
奥さん!

最新エッセイ集『いっぴき』(ちくま文庫)も絶好調の作家・作詞家の高橋久美子さんの連載エッセイ! 彼女にしか紡ぐことのできない言葉たちで、日々の生活を鮮やかに描きます。〈作家・高橋久美子〉の新しいスタートを告げる連載は、毎月第4水曜日の更新になります。

 
 十字路に首からダンボール紙を吊るした若いセールスマンが立っているのが見えた。パリッとしたというより、プリッとしたスーツ姿のそのお兄さんは、チラシを配っている。お腹に掲げられたポスターには白い建売住宅の写真と「駅徒歩4分!10700万円」の文字。こういうのはもう見慣れた風景だ。私だって東京に来たばかりのころは、安い! と思ってじろじろ見たが、ここは東京、1700万のはずはない。0が一個多いのだから1億700万と書くべきなのに、億と書いた途端に特売感がうすれるからか、必ずこのような変な数字で書かれている。
 徹夜明けの上、朝から打ち合わせで朦朧とした帰り道、私は多分青白い顔で歩いていた。プリッと元気なお兄さんが近づいてくる。何でしょう、道にでも迷いましたかね? はいはい?
「こんにちはー。奥さん、どうでしょう? 駅近で静かな家ですよ。お家はもう持ってらっしゃいますか?」
 私は瞬間、軽く飛び上がり、さらに青ざめた。
 お、お、お、奥さん!!!!!!! 今、奥さんって言った? この人。
 奥さん!? オ・ク・サ・ン!!!!
 これが私のファースト「奥さん」だった。結婚して三年、今でこそ、近所のおばあさん達に「奥さん」と呼ばれるので慣れたが、結婚したばかりの私にとってこの言葉は(しかも若い男性にこう呼ばれるのは)自分の大事にしていた何かがもがれたような身の毛がよだつものだった。その大事にしていたものって何だろう? なんであんなに恐れおののいたのだろうと今考えると不思議なんだけど、あるなしクイズでいくと、「彼女」にはあって、「奥さん」にはないもの。「おばさん」にはあって、「奥さん」にはないもの。「奥さん」にはあって、「おねえさん」にはないもの。なーんだ? ということになるね。それは多分私の変な偏見なんだ、奥さんという響き、概念への。それらしい言葉の中の空っぽさ。付属品のような。ただの呼び名なのに、深い意味などなく自分も使ってきたのに。それは結婚したであろう私達が背負わされた二つ目の名前だ。しかも全員一緒の。

 私は恐ろしくなってダッシュで帰った。頭の中が「奥さん」という声でいっぱいだ。玄関に飛び込むと仕事中の夫の部屋を開ける。
「ねえねえ、私に奥さんって言う人がいるんよ。変よな、奥さんって変よな?」
「まあ奥さんくらいの年だから普通じゃない?」
「でも、私って奥さんって感じせんだろ?」
「まあ、そのくらいの年齢の感じはする」
「それはいいんやけど、だったらおばさんがいいわ。おばさんとか、おばちゃんとか呼んでもらってもいいです。奥さんというのはちょっと何かが違う気がする。私からは程遠い気がする」
「はあ。何が駄目なの?」
「わからん。でも、なんかやらしいわ。昼間の奥さんって」
「はあ? 何かの見すぎじゃない、それ。『おばちゃん』って声かけないでしょ、普通。関西じゃないんだから」
 関東人の夫にとっては四国も関西の中に入っている。
「な、大体私が1億超えの家を買いそうに見える?」
「家持ってなさそうだから声かけただけでしょ」
「でも可能性ゼロやと見たらわからん? 私、相当とぼけた顔で歩いとったのに魚売るみたいな勢いだったんよ、そのお兄さん。しかも狙い定めて私に声かけた感じだった。他にもいっぱい人おったのに私が一番家ほしそうに見えたってことよ。営業成績やばいやろな」
「あ、その人知ってる。髪つんつんってしてる人じゃない? 俺も何回かその人見てるよ、駅前で。紺色のスーツの、お尻がプリンっとした」
「そう、そうそう! プリンってした。で、家は? 勧められた?」
「いいや、一度も」
「え? なに、じゃあやっぱり私、家ほしそうに見えるんかな?」
「女の人の方がゆっくり話聞いてくれそうだからじゃない?」
 夫はそう言うと、パソコンの方を向いた。もうそろそろ冷たくなる時間だ。空気を察してくれ、俺は忙しいのだ。奥さんかおばさんかで問答している、おばさんの話に付き合っている暇はない。横顔にそう書いている。私は負けじと食らいつく。まだ収まらない、何でもいいから喋りたい。
「なあ、家ほしい?」
「東京にはいらない」
「よなあ。じゃあどこ? 愛媛? 徳島? 長野?」
「俺はまだどこにもいらない。ほしいの?」
 椅子をくるっとこちらに向けて、壁にもたれる私に聞いてくる。
「いらんよ。家はまだほしくない。でも、まだっていつまでやろ。なんか、一生いらんかもな。あー、うちらは一体このまま流浪人生かねえ。東京来て私なんてもう五回も引っ越してるしねえ」
 こうしていつだって持ち家の話は浮上しては、やっぱ私達には必要ないねと確認しあって終了する。私達は、どこか一カ所に縛られるのが怖いんだと思う。
 
 初めて仕事をする人の八割が高橋久美子は愛媛に住んでいると思っている。それもそのはずTwitterにアップされる情報の半分は愛媛か徳島だ。私は一年の半分を四国で過ごしている。この仕事はどこでもできるので、実家に帰っていることが多いのだ。この奥さんはしょっちゅう実家に帰るのだ。愛媛に家を持つのもひとつだなと考えたが、部屋数が実に十一をほこる実家があるのに新しく家を建てようなんて気にはなれない。それに、ついに実家の改装が終わって特にキッチンがすこぶるオシャレに快適になったのだから、もうそれで満足ではないか。そこで妹や母と一緒に料理するのが楽しい。
 何より家を持ったらどこにも逃げられなくなることを二人は恐れている。私は逃げられないとわかった途端に難癖をつけて逃げ出したくなるだろう。もうとっくに小さな家を買えるくらいの家賃を溝に捨ててきたけど、それでも束縛の恐怖に比べたら、これからも喜んで捨ててやる。
 と格好つけて言ってみたが、もし夫が
「そろそろ家建てない?」
 と言ってきたら、
「そだねー。それもいいねー」
 と持ち家派に寝返るのだろう。風まかせに生きてきたのだから誰かの気流に乗るのも嫌いじゃないはずだ。
 奥さん事件から二年が経ったけれど、相変わらず私達はいつもそれぞれのことに夢中で、家のことは二の次だった。二人ともフリーランス、家の中で制作するのでマンションでは手狭になって、今年ついに4LDKの一軒家に引っ越した。もちろん賃貸の一軒家だ。庭もちょっとだけあるからいろんな野菜を育てている。車を停めるはずの駐車場にはチャリを二台とめ、鉢植えのバラやオリーブでいっぱいにして、秋になってもゴーヤカーテンが大盛況な風変わりな家。通りすがりの小さな女の子が「木がいっぱいあって素敵なおうちね」とお母さんと植物を見ていく。ときどき近所の子ども達が家の庭でかくれんぼをしているのを知っている。それを私はそっとブラインドの隙間から見て笑う。「おじいちゃん絶対手離さないでね」と小道から自転車の練習をする孫と祖父の声が聞こえる。コツコツという杖の音は裏のおばあさんがゆっくり歩いているときのだ。斜め前の家には毎晩七時から九時までカラオケの練習をする、それこそ大阪のおばちゃんみたいなお姉さんが住んでいる。レパートリーは、となりのトトロ、地上の星、アナと雪の女王などなど。けっこう上手いので、これが始まったらベランダに出て月を見ることにしている。そういうのを、十年後も聞いていたいと思ったりもする。

 家に自分の生きた証を刻めるということは美しい。ゴミ出しの時だけ世間話をしながら、祭りのお金を共に出し合いながら、同じ町で、なんとなく足並みをそろえて生きてみるのも悪くない。だから、私以外のもう一人が
「俺、家がほしいんだよねえ」
 と言えば、私だって考える。
 だけど、多分あっちもそれを待っている。
「私、家がほしいんよねえ」を。
 人間はともかく責任を嫌がる。
「ほら、久美子がほしいって言ったんだからさ」
 とかなるのが面倒くさい。
 大学時代の大好きな先輩に子どもが産まれて会いに行ったとき、先輩は車の中でこんな話をした。
「私達夫婦は、どちらか思いの強い方に譲ることにしているの」
 今日はどうしてもチャンポンが食べたい。とか、カーテンの色は絶対水色がいい。とか、今度の休みはどうしてもこの人のライブに行きたいのとか。思いの強い方の願いを優先させる。そうすると、自ずといい方向にいくのだそうだ。先輩達の赤ちゃんが生まれる直前、先輩は一人で公園を歩きながら紅葉した美しい木々を眺めたそうだ。ああ、なんて美しいのだろう、実りの秋だなあ、こんなにいい季節に産まれてくるこの子はきっと幸せになるに違いないと思ったそうだ。その直後に陣痛がきて、難産の末に先輩は女の子を出産した。実は、既に旦那さんが決めてくれた名前があったそうなのだが、先輩はどうしても公園でひらめいた言葉を忘れることができなかった。普段は思いを秘めているタイプの謙虚な先輩なのだが、これだけは黙っておくのが難しくなり、芽生えた感情について正直に話したのだそうだ。そしてできるなら、いいやどうしても譲れないのだと言った。こうして赤ちゃんは「みのり」という名前になった。
 私はこの話が大好きなのだ。先輩の感性も、それを聞いて委ねた旦那さんの心根も、ますます二人のことが好きになった。
 私たちも、この麗しき夫婦を真似て思いの強い方を優先させよう。そう決めたのだが……仕事とか個人の趣味においての熱烈な思いはあっても、二人のことに関しては、まあどっちでもええかなあという二人組なのだった。

 愛媛に帰る。東京にも帰る。どちらも帰る場所だと思っているから、私はずるい。十三年も経つのだ、覚悟をきめて東京に腰をすえればいいのに、「なんか東京に永住する気はしないんだよなー」などと、それらしいことを言って、愛媛と東京を放浪する渡り鳥。
 ひと月愛媛にいて、東京に帰るため、新居浜駅で松山空港に向かおうと特急列車を待っていると、私の体は少しずつ楽になっていくのを覚える。改札の向こうで妹と母と祖母が手をふって、寂しいのにどこか清々している。体にへばりついた重しが突風に剝がされていく。東京に帰れる。ここでない場所に行ける。数時間前まで、畑の葡萄が全部猿に食べられて意気消沈していたけど、今はもう帰って書く原稿のことで頭がいっぱいだ。さっきまでジャージにメガネで産直をうろついていたけど、あれは仮の姿だから平気なんだ。コンタクトを入れ、一カ月前来た時と同じ姿に戻り、私だけが東京へ帰る。散々、自然は素晴らしいよ、お父さん無農薬が基本だよなどと言っておきながら、土のない場所へ帰っていくのだ。
 どこへも帰れない人たちの気持ちを考えたことがあるだろうか。あの場所に骨を埋めると決めたというか、決まっている人たちの気持ち。
 私の人生にカビが生えることもないけど、苔がむすこともないのだろう。
 そういえば、実家で私を奥さんと呼ぶ人はいない。近所の人も親戚も友達も小さい頃から私を知っている人だらけだから皆「久美ちゃん」と呼んでくれる。大体「奥さん」なんて呼び合っているのを聞いたことがない。死ぬまで下の名前で呼び合うことしかない。そういう付き合いをしていくのが田舎なんだ。それが煩わしくて東京に帰り、奥さんじゃ物足りなくて愛媛に帰り。ああ私は、結局どちらの場所でも大人になりきれてなかったんだなと思う。呼び名はそれぞれの世界での大人の条件だったのだ。

 

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