上田麻由子

第23回・まぼろしの舞台少女

『少女☆歌劇 レヴュースタァライト -The LIVE- #2 Transition』

導く声

 それにしても、本作を最初に目にしたときに驚かされるのが「舞台少女」たちの歌唱力の高さだ。2年A組の生徒たちの出欠確認をしながら、アニメ映像とともにキャラクターを紹介していく楽曲「プレコール」は、一瞬にしてわたしたちをとりこにする。この手の自己紹介曲は2・5次元舞台では定番なのだが(『テニミュ』の「これが青学レギュラー陣なのだ!」など)、トップバッターの学級委員長・星見純那(佐藤日向)が、おせっかいな幼なじみを連想させるような、少しハスキーな声で親しみを感じさせるところからはじまって、大胆なロックアレンジの石動双葉(生田輝)、アニメ的な声の魅力を炸裂させる花柳香子(伊藤彩沙)、孤高の天才らしく凛々しい歌を朗々と響かせる天堂真矢(富田麻帆)、ハードでシリアスな歌姫系アニソンはお手のものの神楽ひかり(三森すずこ)など、音楽と声のグラデーションで手際よくキャラを伝える、本作のハイライトのひとつになっている。

 ここで「声」の問題についてすこし考えておきたい。というのもブシロード取締役であり本作のゼネラルプロデューサーでもある木谷高明は、本作がアニメと舞台で同じ女優を使っていることをなによりの強みとして「私が2・5次元ミュージカルで違和感を持ったのはアニメ版との声の違い。観た目は似せられても声は無理。せめて声質だけでも似てて欲しいと思ったものです」とSNSで発言し(2018年1月9日)、おおきな議論を呼んだからである。もちろん、2次元のキャラクターにおいて「声」がきわめて重要な要素であることは間違いないし、それゆえに2・5次元舞台でまず声優の声や話し方、アクセントなどを模倣するところからキャラクターづくりをはじめる役者も多い。しかし声だけがすべてなのならドラマCDがあればそれでよく、アニメーションも音楽も舞台装置も不要ということになる。メディアミックスのおもしろさは、別のアプローチ(たとえばスタイルや顔貌、衣裳、動き、心情への寄り添いかた、あるいは本作のテーマ曲の歌詞にあるような「生き様を晒」すことなど)で同じキャラクターを表現するところにあり、「声」ひとつとっても、同じではないからこそ、その隙間を埋める方法に創意工夫が生まれるのではないだろうか。

 前述の木谷氏による挑発的な発言は、もちろん作品の注目度を上げることなど、意図があってのことだろう。ただ、これまでもアニメ/舞台で同じ俳優が演じた2・5次元舞台の例はいくらでもあるし、むしろ2・5次元舞台がはじまった当初に試みられた、ある種の先祖返りである(たとえば先ほど挙げた『サクラ大戦 歌謡ショウ』など)ことは指摘しておいてもよいだろう。そして、アニメと舞台で声が同じだからこそ、舞台上ではむしろ、それ以外の要素の差異に目がいって、逆にキャラクターの印象がぶれてしまうということもありうる。本作が誇るべきは、むしろ夜長オーケストラの中村康隆による、前述の女性による2・5次元舞台の歴史に目配せをしたような素晴らしい楽曲や、それを歌いこなすゲストキャラも含めた全員の歌唱力の高さとその個性ではないだろうか。そして舞台とアニメを同じ俳優が演じることによる利点は、ただ声色が同じである、オリジナルであるということを超え、作品やキャラクターと共に過ごした時間の長さのほうにある。「原作の読み込みが足りない」ということは、俳優たちがアフレコと稽古どちらも経験している本作に関しては、ありえないのだから(その証拠に、自己紹介のシーンだけを比べてもても、『#1』と今回の『#2 Transition』との完成度は段違いである)。

巻き起こる、青い嵐

 そしていざ、学校別の対抗戦となったレヴューが幕を開ける。それぞれ中学の同級生だった露崎まひると南風 涼がぶつかりあう「夏空」では、どんなにがんばっても追いつかないライバル、持てる者と持たざる者との残酷な対比にスポットが当たり、穂波氷雨と大場なながぶつかりあう「初雪」では、夢と友情とがもつれる、少女という集団力学の難しさを考えさせる。これによってアニメでの9人の関係にさらに一歩踏み込んだ、思春期女子の面倒くささゆえの、ひりひりとしたせつなさが付け加えられる。

 もちろんアニメでも、夜な夜な開催されるレヴューという名の決闘の裏には少女たちのぶつかりあいがあった。しかし、『少女革命ウテナ』と『輪るピングドラム』と『ユリ熊嵐』を(テーマ的にも、演出的にも、仕掛け的にも、デザイン的にも)リミックスしたような幾原邦彦オマージュや、殺陣などのアクションシーンでの気合の入った作画と、印象的なライトの使用など演劇的な演出と音楽との一体感が見どころだったレヴューシーンでもって描かれたのは、むしろ少女たちの2人1組の絆の強さや、いろいろあっても健やかで愛らしいところだった。しかし本作ではそんなアニメを経て、「Dear My Pain」という楽曲のサビのフレーズにもあらわれているとおり、激情や、ある種の負の感情があらためて、いっそう丁寧に、ドラマチックに掬い上げられている。

 それを引き出す、舞台オリジナルキャラクターである青嵐の3人も鮮烈な印象を残す。レヴューのなかで明かされる彼女たちと2年A組の「舞台少女」との過去の因縁は、多くは語られないものの、さまざまな想像が膨らむような行間がある。モデルのようなプロポーションが眩しい、3人を演じるキャストも目を惹く。普段、2・5次元舞台に通っている者なら、たとえば南風涼役の佃井皆美、アクション女優という異色の経歴を持つ彼女が、その2次元キャラクターのようにまっすぐ伸びた脚、頭身の高さ、アクションのキレ、はじけるような明るさで目を釘付けにすることをよく知っているだろう(『VISUALIVE ペルソナ4』里中千枝 役など)。天堂真矢と西條クロディーヌという2年A組のトップを争う2人のライバルとして引けを取らない、柳小春役の七木奏音の美貌としなやかな動きも圧倒的だ。穂波氷雨役・門山葉子のクールさとともに、青嵐3人の大人びた魅力は「日々進化中」な2年A組9人とまさに好対照だった。

再生産されるもの

 もう一点、舞台であらためて彼女たちに突きつけられるのは、女優という職業につきものの厳しさだ。友人でありライバルでもあるという関係の、いつ蹴落とされるかわからない緊張感、あるいは期間限定の、学生時代のはかなさ。つまり、アニメにおいて大場ななが望んだような、永遠に続く文化祭、ループする時間とは違う、未来へと伸びていく時間軸である。アイドルと舞台少女との違いも、きっとそこにある。そのために大きな役割を果たすのが、走駝紗羽と八雲響子という、もとは彼女たちと同じ「舞台少女」だった聖翔と青嵐、それぞれの教師の存在だ。

 アニメでの「キリン」のような、狂言回し的な走駝紗羽(演じているのは声優の椎名へきる)に対して、八雲響子はもう少し「舞台少女」に近いところにいる。だからこそ、おそらく自分と一番近いキャラである石動双葉の強さへの自信を真っ先にくじく。そのうえで、冷酷な敵役であるはずの青嵐3人が「仲間はずれ」を作れないほど結束してしまっていること、青嵐もまたひとつの狭い世界であることを突きつける。演じている小林由佳の元体操選手らしいキレのあるアクションは「前を走り続ける人」としての説得力が十分にあった。そして「青さゆえ群れたわたしを笑いながら見送ってよね」というキラーフレーズを持つ、その名もレヴュー「群青」、そして全員レヴュー「虹色」になだれ込むクライマックスの流れは、否応なしに胸を熱くさせる。

 こうして本作は、アニメ版を引き継ぎつつも、時間的にも、空間的にもより広くて長い世界を「舞台少女」たちの眼前にひらく。まるで卵の殻を外側からつついて、羽化を促すように。宝塚の座付き演出・脚本家だった児玉明子が演出をつとめ(「Glittering Stars」などの、階段を使った宝塚レヴュー風の演出――ただし手に持っているのはペンライト――がばっちりはまっているのも彼女ならでは)、『CLUB SLAZY』や『Like A』などのオリジナルはもちろん、『ミュージカル「テニスの王子様」』演出補佐など活躍がますます期待される演出家・三浦香が脚本・作詞(1部)という、彼女たちのはるか先を知る女性たちがこの作品を作っているという点も、見落とせない。さまざまな文脈が交わる2・5次元だからこそ実現した作品といえるだろう。

 テンポの良さ、巧みな構成、キャラクターの深まりなど、アニメを経たことでよりまとまりを増した本作は、一度、物語を演じきった「舞台少女」たちにはっぱをかけ、その情熱を今一度、燃え立たせる。舞台とアニメの「二層展開式」という看板に偽りなし、アニメのエピローグを舞台に持ってくることの意味がおおいにあった。男性限定のみならず、女性限定公演もソールドアウトさせたところも含め、この作品に2・5次元舞台というジャンルの未来を照らす「キラめき」を感じずにはいられない。
 

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