ちくま文庫

悪いのは自分なのだと知っているすべての者のために

チャールズ・ブコウスキー『パルプ』文庫版解説

ちくま文庫初登場となるチャールズ・ブコウスキーの遺作『パルプ』を、直木賞作家で大のブコウスキーファンでもある東山彰良さんはどう読んだのか。6月刊のちくま文庫より解説を公開します。

 俺がチャールズ・ブコウスキーと出会ったのは、いまから二十年ほどまえのことだ。なにかの雑誌記事で『くそったれ! 少年時代』が紹介されていた。記事の内容なんかまったく憶えてないし、当時の俺は結婚したばかりで仕事もなく、しかも子供が生まれたばかりだったから、本なんかに二八〇〇円も使うのは狂気の沙汰だった。だから、そのまま忘れてしまうことにした。
 が、この本との縁はそんなことくらいで切れたりしなかった。一、二年後、俺が住んでいる町の貸本屋がつぶれた。商売用の貸本を処分していると知って冷やかしてみたところ、『くそったれ! 少年時代』がただ同然でたたき売られていた。俺は買った。そのときいっしょに買った本も憶えている。ヘレン・フィールディングの『ブリジット・ジョーンズの日記』とスティーヴン・キングの『デスペレーション』だ。後者のほうはとっくに捨ててしまったが、前者は我が家のトイレの棚でいまも埃をかぶっている。
 ともあれ、『くそったれ! 少年時代』だ。一読、魂を地球の裏側までぶっ飛ばされてしまった。ブコウスキーの分身であるヘンリー・チナスキーの少年時代を描いた半自伝的長編小説だが、その不器用で、痛ましくもやさしくて切ない人生に、共感をすっ飛ばして「これは俺だ」と思ってしまった。後年、ドキュメンタリー映画『ブコウスキー:オールド・パンク』で、チナスキーが父親から折檻されていた家をブコウスキー自身が紹介しているのを見たときは、感慨もひとしおだった。まるで自分自身のことのように、当時の情景がありありと眼前に浮かんだ。チナスキーが庭の芝刈りを終えると、いつも父親が芝に顔をくっつけて刈り残しがないか調べる。で、草が一本でものびていると、浴室で鞭打たれるのだった。
 ブコウスキーが好きだと吹聴するのは、あまりみっともいいものではない。誤解しないでほしい。彼は間違いなく二十世紀最高の作家のひとりだ。すくなくとも、俺やショーン・ペンやトム・ウェイツやU2のボノにとってはそうだ。しかし、かつて俺自身がどこかで書いたことだが、ブコウスキーが好きだと公言するのは、おれは負け犬の味方さ、一筋縄ではいかない男だぜ、人生、酒と女以外になにがある、と嘯いているようで気が引ける。
 それでも、『くそったれ! 少年時代』は真っ直ぐ俺に突き刺さる。あれから二十年の時が流れたが、俺はいまでもチャールズ・ブコウスキーから自由になれずにいる。作家なんて死んだら地獄へ堕ちるものと相場が決まっているが、願わくはこの酒臭い詩人(猫も杓子も使う「酔いどれ」という言葉だけは使いたくない)と同じ地獄へ行きたいものだ。
 それからは彼の本を貪り読んだ。邦訳されているものは全部読んだはずだし、日本語で読んだあと英語で再読したやつもある。それでわかったことは、いくつかの本は訳が素晴らしく、いくつかの本はてんでだめだということ。訳がよくて内容もずば抜けて素晴らしいのは、やはりヘンリー・チナスキーの人生を描いた一連の作品群だろう。『勝手に生きろ!』『ポスト・オフィス』『詩人と女たち』などは、どれをとっても『くそったれ! 少年時代』に引けを取らない。日々の所感をつづった『死をポケットに入れて』、故郷ドイツへの初帰郷でやらかしたあれやこれやが楽しい『ブコウスキーの酔いどれ紀行』、LAのアングラ新聞に連載していたコラム『ブコウスキー・ノート』など、いまでも俺の本棚の一番いい場所に居座りつづけている。ブコウスキーが神と崇める作家たちにも飛びついた。ジョン・ファンテの『塵に訊け!』、セリーヌの『なしくずしの死』や『夜の果てへの旅』などなど。
 そして、本書『パルプ』だ。
 やさぐれ私立探偵ニック・ビレーンの活躍とも言えない活躍を描いた、著者初にして最後のハードボイルド・エンタテインメント作品である。仕事にあぶれ、見た目は冴えず、人生裏目続きのニックのところに、ある日「死の貴婦人」なる絶世の美女からの依頼が舞いこむ。街に出没するフランス人作家、ブコウスキーも敬愛するあのセリーヌを捕まえてほしいと言うのだ。ニックは即座に答える。セリーヌは死にましたよ。が、死の貴婦人(ほんものの死神だ)は引き下がらない。セリーヌは生きているの一点張りに、とうとうニックも折れてセリーヌを……というか、セリーヌに似た男を探すことと相成る。
 探偵と美女。その手法はまるで既存の探偵小説をパロディ化したかのように定石どおりだ。ニックの造形もチャンドラー的と言えなくもない。ただし、フィリップ・マーロウのように粋でもなければ正義漢でもない。それどころか、どこからどう見ても饐えたにおいを放つ負け犬なのだ。ハンフリー・ボガートはフィリップ・マーロウを演じるのにうってつけの役者だが、もしもコンプレックスの塊のようなニック・ビレーンをだれかが演じるなら、俺はポール・ジアマッティあたりがいいと思う。『アメリカン・スプレンダー』という作品で主役を張った、あの髪の薄い、小太りで、不機嫌を絵に描いたような男だ。
 ともあれ、この冒頭から読者はこう思わされる。きっと死の貴婦人は腹に一物あって、これから謎が謎を呼び、ニックは窮地に立たされたあげく、窮鼠猫を咬む的に巨悪と対決することになるのだ、と。だって、ジャック・ニコルソンが出てた『チャイナタウン』もそうじゃないか!
 読者の予想は当たる。だけど、読者が期待していたとおりにではない。たしかに謎が謎を呼ぶ。セリーヌを捜すニックのところに、「赤い雀」の捜索、浮気調査、宇宙人退治の依頼が列をなしてやってくる。ただし、ニックは事件に首までどっぷり浸かって、ついに社会悪を暴くような男じゃない。捜査のかたわらに競馬をやり(私設馬券屋の借金取りの名前がファンテとダンテなのは、たぶんジョン・ファンテと息子のダン・ファンテから来ているはずだ)、隣人の郵便屋をぶちのめし、ウォッカで酔っぱらっては眠ってしまう。ふらりと立ち寄る数々の酒場では不愉快な目に遭い、あまつさえ押し入り強盗の殺人まで目撃したりする。物語は本筋とはまったく無関係な寄り道を繰り返し、ようやくセリーヌの謎が解き明かされるかと思いきや、これがそうでもないのだ! こんな探偵小説があっていいのか!?
 これでいいのだ。
 この物語では、ミステリの部分は読者にページをめくらせるための推進力に過ぎない。ブコウスキーが描きたかったのは、ニック・ビレーンというダメ探偵の厭世的な人生観だ。そもそもブコウスキーに魂を奪われている者で、彼に本格的な探偵小説を、つまりレイモンド・チャンドラー的な作品をだれが期待するだろう。死の貴婦人や宇宙人や赤い雀の寓意をあれこれ考えるのもいい。ヒントはそこらじゅうにある。だけど俺たちが本当に読みたいのはブコウスキー自身の声が聞こえてくるような、あの吼えるような文章だ。その意味では、この『パルプ』もやはりまごうことなきブコウスキー作品なのである。精神科医を訪れたニックは、待合室でこんなことを思う。

 俺たちはさんざん待った。俺たちみんな。待つことが人を狂わせる大きな原因だってことくらい、医者は知らんのか? 人はみな待って一生を過ごす。生きるために待ち、死ぬために待つ。トイレットペーパーを買うために並んで待つ。金をもらうために並んで待つ。(中略)結婚するために待ち、離婚するために待つ。雨が降るのを待ち雨が止むのを待つ。食べるために待ち、それからまた、食べるために待つ。頭のおかしい奴らと一緒に精神科の待合室で待ち、自分もやっぱりおかしいんだろうかと思案する。

 わかってもらえるだろうか?
 上手く世渡りができず、いまにも爆発しそうな怒りを腹に呑んだまま生きているくせに、それでもなお悪いのは自分なのだと知っているすべての者のために、この小説はある。

(ひがしやま・あきら/作家)

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