高橋 久美子

第5回
そうだ、長崎いこう。

最新エッセイ集『いっぴき』(ちくま文庫)も絶好調の作家・作詞家の高橋久美子さんの連載エッセイ! 彼女にしか紡ぐことのできない言葉たちで、日々の生活を鮮やかに描きます。〈作家・高橋久美子〉の新しいスタートを告げる連載は、毎月第4水曜日の更新になります。

 
 愛媛の実家に、長崎から大工さんたちがやってきたのは六月末のことだった。台所を中心に改装してもらおうと、建築家の友人に設計を依頼すると、長崎の福島という島に良い大工さんがいるから来てもらおうということになったのだ。長崎から愛媛、近いようで縁遠い地。なかなかチャレンジングな企画だった。
 夏の訪れとともに大工さんがやってきた。島、だけに島田さんという。島田さんは、ワンピースでいうとルフィとサンジを足して二で割った感じ。熱い少年っぽさがあるけど、どこかワルの匂いもするのだった。島田海賊船長が率いてきた大工チームは、一番多いときは七名と、仰天してしまいそうな数だったのだけれど、母は、顔色一つ変えずみんなのおさんどんをせっせとこなした。炎天下での作業には食事が一番大事だからと、駐車場に作った仮設の台所で三食作る姿は、これもまた職人のようだった。
 海賊達は最初こそホテル生活だったが、二週間後には我が家の座敷に泊まるようになった。その中には学級委員長みたいな左官屋の末吉さんや、たぬきっ腹の大河内さん、そしてベトナムからやって来た弟子のザン君、まおちゃん、フン君、ハウ君もいた。
 四人のリーダーザン君はよく焼けてがっちり逞しい三十歳。ごちそうさまーと言った後は食器洗いも手伝ってくれ、ベトナムでのゴーヤの食べ方をYouTubeを見せながら教えてくれた。夕食後ザン君はトラックの後ろの方にこそこそと移動して遠恋中のベトナムの彼女とskypeで話しはじめる。私達もときどき「おーい」と液晶の向こうの、金髪にまつ毛がファッサーとした彼女に手を振る。どうやら結婚もまじめに考えているようだ。島田さんが「ザン、彼女もう向こうに別の男おるっちゃなかと?」とちゃかすと「オトコいません、ダイジョブです!」と肩を叩くところまでがコントの流れだ。
 一カ月で完成予定だった家だが、シンクから食器棚、玄関の扉、木製サッシ、何から何まで島田さんの手造り、予想通りどんどんと工期は延び、父の機嫌は悪くなり、逆に私達は仲良しになっていった。
 ザン君は来年で研修期間を終えベトナムに帰るそうなのだが、日本語の試験や技能試験に受かったらもう少し長く日本にいられるそうで、もっと大工さんの技術を学ぶために日本に残ることを望んでいる。もちろん結婚して彼女と一緒にだ。小学二年生の甥っ子とときどき漢字の勉強をしていたが、八月には試験のために一旦九州に帰っていった。
 ザン君がいないとなんか寂しいなあと言っていたある早朝、ピンポーンとチャイムがなって玄関をあけると、そこに立っていたのは……
「おかえりザン君! なんか若返ったね」
「フンです!」
「へ? ザンでしょ?」
「フンです」
 起き抜けの頭で混乱して、私はパジャマのまま顔をまじまじと見た。
「何歳なん?」
「ニジュゴサイデス」
「あっはっはっはー! ザンくんじゃないのか。フンくんか! よろしく!」
 毎日こんな調子で、誰かが家にいるというのは落ち着かないといえば落ち着かないが、人生の中でそうそうない三カ月だと思うと愉快ではないか。

 夏の夜、地球に接近した火星を眺めながら大工さんたちとお酒を飲みいろんな話をした。例えば、八月九日は長崎に投下された原爆の話を。末吉さんのお母さんは、原因不明の病気で若くして亡くなったそうだが、亡くなる少し前になってタンスの中から被爆者手帳が見つかり自分の母親が被爆していたことを知ったそうだ。福島自体は遠く離れているのだが、お母さんは、その日爆心地から一キロ圏内で働いていて被爆したという。結婚差別に遭うことを恐れて誰にも話さなかったのだと死後に親族の話を聞いてわかったと話してくれた。
 毎日、ちょっとずつ遠ざかっていく火星を見ながら、愛媛の片田舎で出会うはずのなかった人々と話をし、交代交代に風呂に入り、「おやすみー」と言ってそれぞれの部屋に帰る。この数カ月の共同生活はテラスハウスみたいなオシャレなものではないがFacebookやTwitterでも繫がることのなかった人々の伝記を一頁一頁読んでいる気分さえして、感慨深く、やっぱりスマートもスムーズも私の辞書には必要ないんだなと思った。
 最近はハウスメーカーの下請けなどの仕事が増え、伝統的な技術を必要とされることも少なくなったと島田さんが言っていた。
「こんなふうに施主さんと一緒にご飯食べたり、住み込みでなんてことは、まずないねえ」
 おやつの時間にスイカバーとメロンバーを選び合ったり、名前で呼んでもらうことも、顔を合わせることさえ少なくなったそうだ。ただ一言「ありがとう、いい家になりました」と言ってもらえたら嬉しいのだけれどね、と言った。〈当たり前〉の物差しが一致したから、私達は一緒に蚊取り線香の煙の中でお酒を飲んでいるのだと気づいた。たとえそれが時代にそぐわないものだとしても。
 八月、阿波踊りから帰ってきた日、島田さんと地元の祭りについて話していた。
「うちの島にも浮立という踊りがあって、十一月のふるさと祭りに出るっちゃけど踊り手が年々少なくなっててさ。久美ちゃん来てくれんかねえ」
 島、祭り、と聞いて行かない理由はない。私と母、妹は「よーし行きましょう」と二つ返事だった。「浮き立つ」と書いて、「ふりゅう」は、長崎県福島の土谷(どや)地方に二百年近く前から伝わる伝統芸能なのだそうだ。名前だけでただならぬ踊りの気配がする。しかも八年に一度しか踊らないというから奇跡みたいな巡り合せだ。面倒見のいい末吉さんは、予想通り区長さんをしていて、早速八年前の踊りのDVDと、簓(ささら)という竹の楽器を持ってきてくれた。私と妹は「シャ、シャッシャコシャ」という末吉さんの掛け声に合わせながらまじめに練習したのだった。

 十月末、夏の暮れと共に超アジアな四カ月が終わった。出来上がった家は素晴らしくて、プラス皆の思い出とともに暮らしている。心して使わせていただこう、そういう気持ちになる家だ。
 交換留学のように、十一月、私達は新幹線で海の底を走り九州に渡った。福島は長崎の島だけれど佐賀県のすぐ横にあって、岬から泳いでも渡れそうな距離だ。島をぐるりと囲む棚田がなんとも美しく、ベトナムのサパを旅したときの風景を思い出した。
 島田さん! ザンくん! まおちゃん! フンくん! ハウくん! 末吉さん、他にも、息子さんやたぬき腹の大河内さんも現れた。久々……でもないけど、再会を喜んで、島田さんが倉庫でバーベキューをしてくれた。
 翌日は、いよいよふるさと祭り、土谷浮立を披露する。愛媛から持参した阿波踊り用の浴衣を島田さんの奥さんとお義母さんに着せてもらう。背中には何色ものたすきをかけ、お義父さんの編んでくれたわらじをはいて鉢巻をして円になりシャ、シャッシャコシャと簓を鳴らしながら踊る。
 女性の踊りはまだ簡単なのだが、笛、太鼓、鐘は一朝一夕にはいかない。小学生の頃から鳴り物に選ばれた男子は夏休み毎日練習をしに集まるのだそうだ。そして、選ばれた同じ人だけしか太鼓、鐘を叩けないという。雨乞いから始まったとも言われるが、ばちで天を指したり地を指したりゆったりと舞いながら、たまにドンと太鼓を叩く。
 これまで、いろいろな祭りを見てきたが、これは相当に珍しい。大体が踊り子と鳴り物に別れ、鳴り物は楽器だけに集中するのだが、浮立の楽器担当は二役ができなくてはいけない。しかも八曲くらいあって、全て踊りが違うのだから、もはや古典芸能の世界である。
 鐘は大から小まで四つあり四人が舞いながら叩く。叩くと言っても阿波踊りの鐘のように甲高い音ではなく、葛(かずら)のつるを割いた柔らかいばちで表面を撫でて音を出すので、ドラみたいなボワーンという響きになる。踊っていると観客席で太鼓と鐘に見惚れている母を発見した。私達のことは全然見とらんじゃないか。そうなるのも頷けるほどに格好いいので仕方ない。雅楽や能のような優美さがあり、太極拳とEXILEをまぜたみたいな感じとか言ったら余計混乱するだろうから、とにかく見てもらうしかない。ただ、次見られるのは八年後だけど。
「戦争のときに、鐘を供出しなさいと憲兵が来たっちゃけど、私の父は、鐘はないんですと噓をついてとうとう隠し通したとですよ」
 と、おばあさんが話してくれた。洞穴の中に隠したとか、土に埋めたとか言っていた。供出してしまった地域は祭りが途絶えてしまったそうだ。
 一番大きな鐘は江戸時代からそのまま大事に使っているというから驚いた。観光化されずこの島の奥で密かに芸能が受け継がれたことは原住民族を守ることとも似ている気がした。
「愛媛からわざわざ来てくれて本当にありがとう」
 打ち上げでおばあさんが涙を流してそう言ってくれた。今年は何とか披露できたけど、これが最後だと皆話している。ここまで守ってきたものを終わらせる勇気、覚悟みたいなものさえ感じられて、続けてくださいよ、なんて軽々しく私達からは言えるはずもない。
 いつも静かだった八十五歳になる島田さんのお義父さんが、懐かしそうに話しはじめた。
「鐘を叩くのが嬉しくてね、毎日仕事が終わったら集会所に鐘を練習しに行ったとよ。今みたいに他に娯楽がなかったから、仕事をしていても鐘を叩きたくてうずうずしたと。終わったら一目散に鐘を叩きにいったとねえ」
 今は時代が違うからねと周りの皆が言ったけど、おじいさん、同じです。それは大学生の頃、私達がバンドにのめり込んで軽音部の部室に入り浸って楽器を鳴らして、歌をうたって、そのまま夜中になってしまっていたのと同じことです。時間を忘れて没頭する気持ち、きっとそれはいつまでも一緒なんじゃないかな。

「あんたたち徳島の浴衣で踊ってらした子たいね。上手にやってらしたよ」
 打ち上げでみんな褒めてくれた。「徳島だったら阿波踊りやれるっちゃろ?」と隣のおっちゃんに言われて、私が掛け声をかけると、ほろ酔いの妹は阿波踊りを踊りはじめた。おとなしい妹がまさか踊るとは思わなくて、びっくりした。「やっとさー」「やっとやっとー」みんなの手拍子と掛け声の中で踊る踊る。ああ、踊りってすごいな。自分たちの踊りがあるってなんと素晴らしいことだろうかと思った。どこへ行ったって踊りや歌は私達の垣根をとっぱらってくれる最古の挨拶だ。
 打ち上げの最後、鐘をしていた青年が誇らしげに浮立を舞ってくれた。その姿は、若き日のおじいさんのようにも見えた。

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