入管を訪れる人々

第1回 難民認定を二度取り消された男・A (3/3)

日本に滞在するための手続きを行う外国人、収容者と面会する家族や弁護士、あるいはそこで働く人。入国管理局には様々な人間が訪れる。民族問題に取り組み続けるノンフィクション作家・木村元彦が、入管という場所で交錯する人生を描き出す。

第1回 難民認定を二度取り消された男・A (1/3)
第1回 難民認定を二度取り消された男・A (2/3)

 2015年からAの再度の訴訟の代理人を引き受けた渡邉彰悟弁護士は『難民勝訴判決20選』(信山社、2015)を著した日本の難民訴訟の第一人者であり、1992年以降、ビルマをはじめとする数多くの難民たちと向き合って来た。その渡邉はAの性格をこう語った。
「人としての知性があって気高い。彼が難民認定にこだわるのは『自分の人間としての生き様・尊厳に関わる問題だから』と言っていた。その半生は実業家としてビジネスを裸一貫から成功に導き、妻と子どもたちを守ってきた。それがなぜ祖国を逃れなくてはならなかったのか。自らの行動に対して責任と誇りを持っているからこそ、真実を究めて欲しいと思っているのです」
 民族の属性にこだわらず、人間として生きようとしたからこそ、シンハラ人の妻をパートナーとし、独裁やテロへの加担も拒否した。その結果、祖国を出ざるを得なくなったのである。Aにとって難民不認定という判定は、自分の生き様をねじ曲げてアナウンスされるに等しい行為だった。
「私は絶対に屈したくなかったのです」
 二度目の裁判が始まった。

 裁判にあたり、国側は当初、Aの尋問を請求していた。しかし、渡邉をはじめとする弁護団は、この再度の訴訟において、いわゆる終止条項、難民条約1条C5項の適用にこだわった。法務省が2011年に難民不認定としたときには単なる「情勢の変化」を理由としていたが、この終止条項の適用によって不認定とする場合、「難民であると認められた根拠の事由の消滅」が必要となる。事由の消滅とは、すなわち、出身国の危険な状態の本質的な変化である。法務省は、Aは難民として認定されていなかったから終止条項の適用はないといい、渡邉らは大阪地裁の判決によってAは難民となったのだから、終止条項によらなければならないとし、本人の尋問は必要ないと突っぱねたのである。
「事由の消滅」=「出身国の本質的な変化」ということであれば、ホームランドであるスリランカの問題であり、A本人には全く関係のないことである。争点はスリランカでLTTEにからんだとされる人間が本国ではどういう状況に置かれているのかということであり、A本人の現状は問題ではない。渡邉らは、本人尋問は必要がないということの根拠を裁判所に向けて説いた。その結果、説明に納得した裁判所は弁論準備の段階でついに国側の指定代理人に、本人尋問請求を却下する旨を伝えた。渡邉らは膨大な出身国情報を収集して提出した。
 スリランカではLTTEが掃討され内戦が終結したとされた後にもタミール人に対しての逮捕や拷問が続いている。そのことを示すUNHCRの見解は続々と発表されていた。「2010年7月5日付スリランカ国内におけるタミール人状況の見解」から抜粋すると「紛争の後で、LTTEとの繋がりを疑われる約11,000名が逮捕され、警備の厳重なキャンプで拘束されており、500名超の元子供兵士が更生施設に送られた(中略)LTTEへの所属が疑われることを理由として、治安および反テロ対策の実施により過度に影響を受ける可能性がある」。
 国際人権組織のNGOヒューマン・ライツ・ウォッチもまた独自の調査からスリランカの深刻な人権状況を報告している。Aが再び難民不認定処分とされた2011年に起きた事件を網羅した2012年9月発行のプレスリリースから抜粋すると、「2011年6月16日、亡命を拒否され英国国境庁によりスリランカへ送還された24名のタミール人の一人で、ジャフナから来た32歳のあるタミール人男性のケースである。帰路、彼は、コロンボの空港の外で尋問され、その後スリランカ北部のオマンタイ検問所で逮捕された。治安部隊はそれからコロンボの警察本部に彼を強制的に連行した。(中略)その際、彼は次のようにヒューマン・ライツ・ウォッチに述べた。電線でムチを打たれ、逆さまに吊され、砂が詰まったプラスチックのパイプで打たれ、自分には理解できない言語であるシンハラ語の供述書に署名することを強いられた」(原文ママ)。あくまでもこれらは抜粋したほんの一例である。
 渡邉らは裁判所に出身国情報を出しながら、あくまでも難民条約における終止条項の適用に焦点を求め続けた。先述したように難民側が裁判で勝訴しながらもそれが再び取り消された例はAも含めて5件にも上る。司法軽視も甚だしく、難民性の判断をその都度一から行うというのは、あまりにも愚かではないか。渡邉らはそこで終止条項についての判例を明確に出させることで、司法的な抑制を求めたのである。

 2018年7月5日、東京地裁419号法廷。この難民不認定処分取消等請求事件の判決が言い渡された。
「法務大臣は、原告に対する難民の認定をしない旨の処分を取り消し、難民の認定をせよ」
 Aの完全なる勝訴であった。主文が読み上げられた瞬間、Aは渡邉と思わず握手を交わした。渡邉たちが提出した分厚い出身国情報を裁判所は丁寧に分析をし、終止条項の適用によって勝訴判決を下した。このとき、清水知恵子裁判長は法廷では珍しいことに判決理由を述べた。それはAに対してのみならず、難民行政において画期的な内容であった。すなわち「終止条項の適用については、終止をしたという立証責任は国が負う」と明言したのである。一度難民になった人間を難民でなくすには、国側が説明しなくてはならない。このことで、国が事由の消滅を立証できない限りは、終止条項を適用できないということになり、難民はその地位をもう翻弄されずに済むのだ。過去に5件も起きた事件の再発を防ぐ楔にもなる。大きな意味があった。UNHCRが認定基準とする「人は難民条約の定義に含まれている基準を満たすやいなや同条約上の難民となる」「認定の故に難民になるのではなく、難民であるがゆえに難民になる」というまさに大原則に沿った判決であった。
 Aは晴れやかな表情で法廷から出てきて「妻子に嬉しい報告ができる」と語った。「タミール語は世界で最も古い言語のひとつである」と、渡邉にまで民族の誇りを語りかけるAである。人間としての尊厳が保たれたことの喜びをこのときばかりは人前で隠そうとしなかった。
 ところが、控訴期間の満期を翌日に控えた7月19日。国はこの地裁判決を不服として東京高裁に控訴したのである。二度も勝訴判決を受けたAは再び、失望の淵に叩き落された。シェアハウスの自室でぽつりと漏らした。
「さすがにもう疲れた。身体もつらい」
 脳脊髄液減少症を病み、通院が欠かせない身体になっている。
 なぜ、入管はまた控訴したのか。司法の判断をここまでないがしろにすることに一体、どんな合理性があるのか。

 12月5日、高裁での控訴審判決が出た。秋吉仁美裁判長は、弁護団の主張を受け容れ、「スリランカ政府当局等からLTTEの協力者との疑いを持たれている具体的な可能性があるAについて、根本的、安定的かつ永続的に、迫害を受けるおそれが消滅したことが客観的にかつ立証可能な方法で確かめられたとはいえず」として、終止条項によって難民性は消滅しておらず、依然としてAは難民であるとの判断を示して国の控訴を退けた。ここでも出身国情報が理解された。スリランカでは、近年もまだ拷問の事例は続いている。明らかに「迫害の恐れは消滅していない」のだ。
 日本が批准している難民条約に照らし合わせれば、極めてまっとうな判決である。予想も当然できたはずだ。Aの精神を追い詰め、痛めつけたに過ぎないこれは、いったい何のための控訴だったのか。Aは12月に入って体調をいたく崩している。これが入管なのである。その入管をこれから追っていきたい。

 

「第2回 元入国警備官」は12月中に公開予定です