世の中ラボ

【第104回】玉城知事誕生。翁長雄志について考えた

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2018年12月号より転載。

 ろくでもないニュースばかりの昨今だけど、今年の快挙というべき明るいニュースは、9月30日の沖縄県知事選で辺野古の新基地建設に反対する玉城デニー氏が大勝したことだろう。玉城氏自身の主張や魅力もさることながら、彼が当選した背景には、8月8日に死去した翁長雄志前知事の後継者という側面も大きい。
 翁長前知事はいま思うと、やはり不世出の政治家だった。
 翁長氏が沖縄知事選に勝利したのは2014年11月。2000年から四期一四年務めた那覇市長の職を辞しての出馬。それもかつては自身が選対本部長まで務めた現職の仲井真弘多知事と、バックにつく自民党を敵に回しての勝利だった。以来、四年弱、一貫して辺野古の新基地建設に反対し続けた。
 沖縄県知事で他に思い出すのは、1990年から98年まで知事を務め、2017年に九二歳で死去した大田昌秀元知事だけれども、大田元知事が革新系であったのに対し、翁長前知事は保守系、それも自民党の幹部クラスの政治家だった。その人が保革を超えた「オール沖縄」の立役者になってしまう。本土の政治は絶望的だが、沖縄にはまだ希望がある。とか思っちゃいますよね。
 翁長氏がどれほど厚い信頼を受けていたかは、死後に出版された本からも推察できる。一冊は沖縄タイムス社の『沖縄県知事 翁長雄志の「言葉」』。もう一冊は琉球新報社編著『魂の政治家 翁長雄志発言録』。沖縄の二大新聞社による本が、死去からまもない九月中に出版されるのだ。知事選に間に合わせたかったという思惑があったにしても、こんな政治家ってほかにいます?
 翁長雄志とは、はたしてどのような人物だったのか。その足跡をあらためてたどってみることにした。

辺野古反対に至るまでの発言をたどる
『翁長雄志の「言葉」』は県知事選に立った2014年から18年までの、印象的な翁長の言葉を集めた本だ。
〈県民は絶対にぶれていないことを見せつけよう。ありとあらゆる手段で辺野古新基地は造らせない。全力で頑張る〉とは県知事選の総決起大会での言葉(14年11月1日)。〈沖縄の主張は世界に通用する。本当の民主主義とは何か、沖縄から発信していく〉とは、当選後はじめて名護市の米軍キャンプ・シュワブゲート前を訪れた際の言葉(14年11月19日)である。
 翁長雄志は1950年10月、那覇市生まれ。75年に法政大学を卒業し、会社員生活を経て、85年、自民党公認で那覇市議に初当選。92年には自民党の沖縄県議となった。その間、自民党沖縄県連の幹部を歴任し、普天間飛行場問題に関しても、後年とは正反対の「県内移設推進派」だった。2000年11月、無所属で那覇市長選に初当選。
 そんな翁長が、なぜ政治的な立ち位置を変えたのか。
『魂の政治家』は、『翁長雄志の「言葉」』よりやや詳しく、那覇市長時代からの翁長の足跡を追った本である。琉球新報社経済部長の島洋子は、翁長の変化を次のように書く。
〈(翁長が)自民党と距離を置き始めたきっかけは、2007年の教科書検定問題だった。高校歴史教科書で沖縄の「集団自決」(強制集団死)の「日本軍に強いられた」などの文言を削除・修正する検定意見が出た時、検定意見撤回を求める県民大会の実行委員会に加わった。「ウチナーの先祖があれほどつらい目に遭った歴史の事実が無かったことにされるのか」と憤った〉(「評伝翁長知事 沖縄の自己決定権求めて」18年8月9日琉球新報朝刊)。
 もっとも、このときの県民大会には当時の仲井真知事も参加し、〈県民を代表する者として、今回の文科省の検定意見に対して強く抗議し、遺憾の意を表明するとともに、検定意見が速やかに撤回され、記述の復活がなされることを強く要望する〉と述べている。歴史認識がからむ教科書問題などに関しては、沖縄の意志はもともとひとつだったのかもしれない。
 しかし、那覇市長時代の翁長は、しだいに反政府、反基地の旗幟を鮮明にしていく。10年、二期目を狙う仲井真知事の選挙で選対本部長を務め、公約に「普天間飛行場の県外移設」を入れさせたのも翁長だった。さらに二年後、普天間飛行場へのオスプレイ配備計画が浮上する。基地に対する翁長の姿勢が固まったのはこの頃だったのではないか。その証拠に、沖縄県市長会会長(那覇市長)としての翁長の発言も先鋭化していくのだ。
〈知事や各首長、各議会、県選出国会議員全ての反対を押し切って強行配備をしようとする日米両政府のやり方は、戦後の銃剣とブルドーザーで土地を強制接収したのと、何ら変わらない構図で今日まで継続している〉(12年9月9日。オスプレイ配備に反対する県民大会で)。〈沖縄県民は目覚めた。もう元には戻らない〉〈沖縄県民の意識は大きく変わった。基地を挟んで保革がいがみ合うのではなく、オール沖縄で基地の整理縮小を強く訴えている〉(13年1月27日。オスプレイの配備撤回を求める東京集会で)。
〈沖縄県民は目覚めた〉ですよ。なんと力強い転向(?)宣言。
 ところが、そんな翁長を裏切るような事件が起きる。13年12月27日、仲井真知事が辺野古の埋め立て工事を承認したのだ。この翻意には日本中が驚いたのだから、仲井真に「県外移設」を公約させた翁長においてをや。14年9月、11月の沖縄県知事選への出馬を表明した翁長はこう述べた。〈今や米軍基地は沖縄経済発展の阻害要因だ。辺野古新基地建設には断固反対する〉〈仲井真知事が公約を破棄して(辺野古埋め立てを)承認した。承認は県民の理解を得ていない。まずは知事選で県民の意思をはっきり示すことだ〉(14年9月13日。知事選への出馬会見で)。
 11月16日、翁長は現職の仲井真に一〇万票の差をつけて県知事選に当選した。『翁長雄志の「言葉」』は知事就任挨拶の中から次の言葉を拾っている。〈普天間の県外国外、あるいは県内移設はやらないように、あるいはオスプレイの配備撤回を要請したが、残念ながら一顧だにされませんでした〉(14年12月10日)。
 翁長雄志を戦う政治家に変えたのは、沖縄の自己決定権を踏みにじり続けた本土の政治だったのかもしれない。

「オール沖縄」になった理由(わけ)
 そもそも翁長雄志が政治家を志望したのはなぜだったのか。松原耕二『反骨――翁長家三代と沖縄のいま』は、翁長雄志を育てた土壌を先代、先々代にまで遡って追った興味津々のルポである。
 翁長雄志の父・助静は保守系の政治家だった。戦時中は教師として生徒を戦場に送る教育の現場にいたが、父(雄志の祖父)の助信を米軍の砲撃で目の前で亡くし、自身はすんでのところで生き延びた。1945年6月27日、他の住民らとともに日本兵の目を盗んで壕(ガマ)から出たのだ。他の壕では大量自決が決行されたことを思うと、まさに九死に一生を得た、のである。
 戦後の助静は真和志市長となり、立法院(のちの県議会)議員を務めている。一四歳上の兄・助裕も政治の道に入り、最後は副知事まで務めた。そんな政治家一家に育った雄志にとって、選挙戦は日常だった。自らも政治家を志したのは一二歳のとき。父の助静が選挙で敗れた際、クラス討論の場でいきなり〈自分は大人になったら、那覇市長をめざします〉と発言、生徒や教師を驚かせた。このときのことを翁長自身も語っている。父が選挙戦で負け、母は「お前だけは政治家になるなよ」と泣きながらいったが〈人間は不思議なもので、その時に私は「将来、政治家になろう」と決心しました〉(14年11月16日/『翁長雄志の「言葉」』)。
 重要なのは、翁長が見慣れていたのは、保革が激突する選挙戦だったことだろう。保革の差とは何なのか。親米路線の保守はなぜ米軍に屈服するのか。翁長の言葉は印象的だ。〈革新は、異民族支配のなかで『人権の戦い』をしていた。それに対して保守は『生活の戦い』をしていたんですよ〉〈どっちも正しいんです〉〈それなのに保守と革新は激しく対立していたんです〉。保守派は革新に対して「理想論で飯が食えるか」といい、革新系は保守に対して「お前たちは命を金で売るのか」と迫る。
 子どもの頃からその激しい対立を見て〈ぼくは悲しみで、心が傷ついてね〉。大人になるにつれ、この感覚は〈こうした争いを日本とアメリカの両政府が上から笑ってるよ〉に変わる。
 それがオール沖縄の原点だとすれば、晩年の変節の原因のひとつは病気だったのではないかと松原はいう。06年4月、翁長は胃がんの全摘手術を受ける。例の教科書検定問題の直前である。このとき「自分の命はあと二年」と思い定めた翁長。退院後の翁長は変わったと周囲の人は口を揃える。側近のひとりによれば「腹がすわった」。
 さらに翁長が辺野古の新基地反対に舵を切った契機は09年に政権の座についた民主党・鳩山由紀夫首相の「最低でも県外」発言だった。沖縄県民は期待するも約束は反故にされ、鳩山政権下では七〇%あった「県外移設支持」の世論も次の菅直人政権下では七〇%が「県内移設支持」になった。〈ぼくはこれを見た時に、あ、これはもう自民党とか民主党とかの問題ではないなと。オール本土で沖縄に基地を置いとけと、そういうメッセージだなと〉。 
 こうして翁長は辺野古の新基地に断固反対の立場となった。
 知事就任後の翁長は、県民に語りかける際に必ずウチナーグチをまじえた。「はいさい(こんにちは)」ではじまり、「うちなーんちゅ、うしぇーてぇーないびらんどー(沖縄人を舐めるな)」で終わる演説。「イデオロギーよりアイデンティティ」というオール沖縄のスローガンは沖縄の歴史と翁長の人生が詰まった言葉だったのである。
 

【この記事で紹介された本】

『沖縄県知事 翁長雄志の「言葉」』
沖縄タイムス社編、沖縄タイムス社、2018年、1000円+税

 

翁長雄志が県知事戦に立候補した2014年から18年までの言葉をコンパクトにまとめる。巻末に収録された沖縄タイムスの記者たちによるエッセイも感銘深い。トップに収録されているのは、「NO OSPREY東京集会」における〈沖縄県民は目覚めた〉という一言(これのみ13年発言)。〈うちなーんちゅ、うしぇーてぇーないびらんどー(沖縄人を舐めるな)〉とともに印象深い言葉だ。

『魂の政治家 翁長雄志発言録』
琉球新報社編著、高文研、2018年、1500円+税

 

2007年(那覇市長時代)の教科書検定意見撤回を求める集会から、死去する直前、18年7月の辺野古埋め立て承認「撤回」表明までの、主として基地問題に関する翁長雄志の発言を、当時の琉球新報の記事とともに整理した発言録。翁長雄志は、沖縄にとって不世出の政治家だっただけでなく〈沖縄近代史、琉球史に記される存在〉(編集局長)という巻頭言に記者らの思いがこもる。

『反骨――翁長家三代と沖縄のいま』
松原耕二、朝日新聞出版、2016年、1500円+税

 

著者はTBSの記者兼ニュースキャスター。琉球処分に翻弄されて沖縄戦で死んだ祖父、苛烈な沖縄戦を生き延びて保守政治家となった父などもからめ、翁長雄志の政治家としての原点をさぐったノンフィクション。政治家の一家で育ったため、〈私はいびつな人間になっていますから〉と語るなど、表舞台にはあまり出てこない翁長の率直な言葉や、政敵たちの翁長評もおもしろい。

PR誌ちくま2018年12月号

関連書籍

こちらあみ子
こちらあみ子

斎藤 美奈子

ニッポン沈没 (単行本)

筑摩書房

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入
こちらあみ子

斎藤 美奈子

本の本 (ちくま文庫)

筑摩書房

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入