ちくま学芸文庫

「ド」と「フォン」、あるいは高貴な「私生児」と偽伯爵

『凡庸な芸術家の肖像』と『「ボヴァリー夫人」論』という蓮實重彥氏の二つの大著の結節点にあたる作品『帝国の陰謀』がついに文庫化! 本書について、アメリカ思想史研究者で映画批評家の入江哲朗氏が、解説をお寄せくださいました。『帝国の陰謀』がもつ今日的意味を感じ取っていただけたら幸いです。

『帝国の陰謀』は、1991年に日本文芸社より刊行された、蓮實重彥の41冊目の著書である(著書[外国語のものを含む]の数え方は工藤編『論集』[文末の文献表参照]所収の「蓮實重彥 著書目録」に拠る)。ながらく品切れの状態にあったこともあり、蓮實の著書のなかではさほど知名度が高くないため、このたびの文庫化によってはじめて本書の存在を知った方も少なくないだろう。『スター・ウォーズ』シリーズを連想させなくもない5文字の題名を掲げる本書は、しかしもちろん映画の本ではなく、内容的には、1988年に蓮實が上梓した『凡庸な芸術家の肖像』および2014年の『「ボヴァリー夫人」論』と密接に関連している。なにしろ、前者で俎上に載せられるマクシム・デュ・カン(1822-94)と、後者で論じられる作品を著したギュスターヴ・フローベール(1821-80)とが生きた時空は、本書の中心人物であるシャルル= オーギュスト= ルイ= ジョゼフ・ド・モルニー(1811-65)のそれと大きく重なるのだから。
 あるいは、「第二帝政期」と呼ばれる1852年から1870年までのフランス社会が題材としてより前面化しているという意味では、本書と『凡庸な芸術家の肖像』に、『「ボヴァリー夫人」論』ではなく1985年の『物語批判序説』を加えた3冊を蓮實の「第二帝政期シリーズ」と呼ぶこともできる。とはいえいずれにせよ、蓮實の映画批評を主に愛読してきた読者はもしかしたら、フランス史にはなじみがないからという理由で本書に近寄りがたさを覚えてしまうかもしれない。その印象が杞憂にすぎないことを、本文よりも解説をさきに読んでしまう読者に対して示すことも、フランス史が専門というわけではない私に課せられた任務のひとつであろう。ゆえにまず、本書とは題材的にも時間的にも隔たった蓮實の文章を引用してみることにする。

『イングロリアス・バスターズ』(二〇〇九)という題名ほど、クエンティン・タランティーノにふさわしいものもまたとあるまい。いたるところで始末に負えぬ悪童ぶりを発揮してまわるこの傍若無人な映画作家は、自分自身を文字通り「不名誉」な「非嫡出子」と自覚しているはずだからである。実際、授業料も結構高いはずの有名大学で映画の講義など受けたりしたルーカスやスピルバーグにくらべてみると、レンタルビデオ・ショップのかたすみで劣悪な画質のVHSばかりを見ていたタランティーノの育ちの悪さは歴然としている。あたかもそんな身分のいかがわしさを誇示するかのように、エンツォ・G・カステラーリ監督、ボー・スベンソン主演のイタリアの戦争映画のアメリカ公開時の題名The Inglorious Bastards(一九七八)にオマージュを捧げつつそれと区別するためだとはいえ、まるでケアレス・ミスのような呆気なさで、彼は自作の題名をInglourious Basterds と出鱈目に綴ってみせる。

 文面から窺えるとおり、これはクエンティン・タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』の日本公開時に蓮實が著した批評の冒頭である(『映画時評 2009-2011』所収)。本書のキーワードである「私生児」が、ここでは──現行の民法に沿うかたちで──「非嫡出子」へ改められているところに、ふたつのテクストを隔てる18年の歳月を感じられる。逆に言えば、そうした題材的および時間的な隔たりがあるにもかかわらず、両者のあいだの主題論的な親近性は明白である。第一に、ド・モルニーもまたひとりの「私生児」であり、第二に、彼は里親から受け継いだ姓「ドモルニー」に対して、「「ド」を「モルニー」から切り離し、そこにいささか貴族めいた色調を漂わせ」るという「個人的な修正」を施している(15頁)。すなわち、“Demorny”から“de Morny”へ綴りをわずかに変えることで、「旧制度いらいの出身と血統の正当性の保証を模倣しつつ漂わせている貴族的な雰囲気」(125頁)を呆気なく我が物としたわけである。そして第三に、ド・モルニーの頻繁な歌劇場通いについて語る蓮實の以下の一文は、「レンタルビデオ・ショップのかたすみ」と似かよった空気を醸している。「しばしば言われるように、それが純粋に貴族的な趣味だとは俄かには断じがたいが、いくぶんか悪と退廃の香りが漂わぬでもない「帝国」の暗部に、人目をはばからず堂々と出入りしてみせるといったあたりが、いかにもド・モルニーらしいのかもしれない」(92頁)。
 もっとも、のちに皇帝となるルイ= ナポレオン・ボナパルト(1808-73)の義弟というド・モルニーの出自を本書は「高貴な「私生児」」(16頁)と形容しているので、「不名誉」な「非嫡出子」とのあいだに一線が画されているようにも見える。しかし注目すべきは、さきの『イングロリアス・バスターズ』評で蓮實が「映画こそ、西欧芸術の伝統から思いきり逸脱した「不名誉」な「非嫡出子」にほかならぬ」と述べていたことであり、また本書では、19世紀中葉のフランスが「「まがいもの」の「シミュラークル」こそが唯一の政治的な現実」となるような時代の始まりに位置づけられていることである(68頁)。「シミュラークル」とは、「模倣すべき「モデル(オリジナル)」を持たない「イメージ」」を指す概念であるが(67頁)、そのような「まがいもの」が支配する世界においては、「高貴」な「私生児」と「不名誉」な「非嫡出子」との差異はたちまち曖昧になってしまうだろう。蓮實にとっての映画は、したがって、あくまでも第二帝政期と地続きの時空に生まれ落ちたものである。
 いや、実のところ、本書でも言及される蓮實の1989年の著書『小説から遠く離れて』には「虚構の散文という形式におさまる小説は、美学的な私生児性をその最大の活力として時代を征服した」と書かれていたし、『「ボヴァリー夫人」論』ではフローベールの1852年の手紙に見られる「散文は昨日生れたもの」という言葉が重視されていたのだから、映画批評家にして文芸批評家にしてフランス文学者という蓮實の多様な諸側面はすべて第二帝政期以後という時空に規定されているとさえ言えるかもしれない。本書がルイ= ナポレオンとド・モルニーという義兄弟に焦点を据えつつ論じるのは、まさにその第二帝政期がいかにして始まったかである。そして、ここが大事なのだが、蓮實にとってかくも重要な題材を扱う本書は、にもかかわらず、蓮實の著書のなかでもっとも軽快に読める本のひとつなのである。

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 蓮實曰く、本書の「さしあたっての興味の中心」は、ド・モルニーが「義兄に請われて内務大臣に就任したばかりの一八五一年と、それを辞任して立法院議長に収まっていた一八六一年とに書かれた二つのまるで異質な文章を、[…]同じ書き手の同じ筆先が綴ったテクストとして読んでみること」にある(13頁)。具体的には、前者は1851年12月2日のルイ= ナポレオンによるクーデタ当日に発表された「内務大臣ド・モルニー」という署名つきの行政文書であり、後者はド・モルニーが「ド・サン= レミ」の筆名で執筆しジャック・オッフェンバック(1819-80)が作曲した一幕もののオペレッタ・ブッファ『シューフルーリ氏、今夜は在宅』である。これらを読むことが「興味の中心」なのだから、本書は「「第二帝政期」の政治的なメカニズムの分析でもなければ、「帝国」の陰謀に加担した黒幕ド・モルニーの伝記執筆を意図しているわけでもない」(89頁)。
 ということは、七月王政→二月革命→第二共和政→ルイ= ナポレオンのクーデタ→第二帝政という、高校の世界史で習ったフランス近代史の流れを本書に取り組むまえに復習しておいたほうがいいのだろうか──そうした心配が不要なことは、本書を実際に読みはじめればすぐわかるはずである。なぜなら、クーデタの背景および推移に関する必要最低限の説明は本書に含まれており、なおかつその書きぶりがドラマティックでおもしろいからである。教科書に書いてあるくらい常識的な出来事であっても決して記述をゆるがせにしないあたりに、プロフェッショナリズムとも優しさとも呼べる蓮實らしさを私は感じてしまうのだが、それと同じものは、「以上のあらすじの紹介からも明らかなように、『シューフルーリ氏、今夜は在宅』の題材は、物語がさして重要な意味を持たないこの種のジャンルにあってもとりわけ他愛もないものだといわねばなるまい」(111頁)と一刀両断される運命にあるその「あらすじの紹介」がとても丁寧に書かれているところにも現れている。
 私が聞き手を務めた2017年のインタビューのなかで蓮實は、本書は東京大学教養学部と立教大学文学部で「一年がかりでド・モルニーの脚本を読み、じっくり時間をかけて書いたもの」であり、「授業での体験が色濃くしみ出ている」点において自らの著書のなかでも例外的だと述べていた。おそらくそれゆえに、第二帝政の端緒を開いた1851年のクーデタは『シューフルーリ氏、今夜は在宅』の筋書きを「それが書かれるよりも正確に十年前にあらかじめ実演してしまったものなのだ」(133頁)という本書の結論だけを取り出すと突拍子もなく思われかねない一方で、そこへ至るまでの論述は親切とさえ言えるほどに明晰である。したがって以下では、本書の内容をあらためて要約することはせず、かわりに本書から発展しうる議論の方向性をいくつか示すこととしよう。
 先述のとおり比較的知名度の低い状態にながらく留まっていた本書は、蓮實について論じた文章においてさえ取り上げられることが少なかった。その数少ない例のひとつは、田中純の2016年の論文「義兄弟の肖像」である。田中はそこで本書の魅力を次のように語っている。

「凡庸さ」をめぐる同様のシニカルなリアリズムに貫かれた『凡庸な芸術家の肖像』よりも、『帝国の陰謀』にいっそうの愛着を覚えてしまうのは、それが見事な「軽さ」を備えているからだろうか[…]。デュ・カン論や『「ボヴァリー夫人」論』を前にしたとき、その論述自体の「テクスト的現実」と四つに取り組むことの困難を否応なく感じさせられてしまうのに比べ、『帝国の陰謀』は「政治を非深刻化する政治性」という、それ自体は権力に関わる巨大な問題を、あっさりと、しかし、明快このうえない論理で、現在にまでつながる時代の「現実」として了解させる。これは『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』と対にして読まれるべき[…]「政治」論の書なのである。

 最後の「政治」に鉤括弧がついているのはおそらく、この引用以後の議論の焦点が、蓮實が東京大学の教養学部長ないし総長として携わった広義の「政治」に据えられるためである。「「陰謀」めいた気配」と「政治的義兄弟性」とを田中が感じとるその「政治」において、蓮實とともに「義兄弟」に見立てられたもうひとりはいったい誰なのか──答えが気になる方はぜひ、田中の論文に直接あたって確かめていただきたい。
 本書は『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1852)──1851年のクーデタをカール・マルクス(1818-83)が同時代人として分析した成果──と「対にして読まれるべき」だという田中の意見には私も完全に同意する。しかし、本書を日本の批評史という観点から読む場合には、植村邦彦による『ブリュメール18日』初版の訳が1996年に太田出版から刊行された際に柄谷行人が寄せた「表象と反復」という論文がより重要な比較対象となるだろう(植村の訳は柄谷の付論ともども2008年に平凡社ライブラリーに収められた)。
 柄谷によれば、『ブリュメール18日』は「一八七〇年代以後の帝国主義、一九三〇年代のファシズムのみならず、一九九〇年代における新たな情勢にかんしても本質的な洞察を可能にするヒントに充ちている」。この60年周期のリズムは、本書で言われる「反復」とはまったく異なるかに見えて、実のところ蓮實の他のテクストから同様のリズムを読みとることは可能だと私は考えている。とはいえやはり、「マルクスが[…]理論的に分析したボナパルティズムと、歴史上のルイ・ボナパルトやフランス第二帝政とを区別しなければならない」と唱える柄谷と、『ブリュメール18日』を「ある種の現実感の希薄さが露呈している」(61頁)と評する蓮實との資質の違いは否定しようもない。冷戦終結後を生きる批評家として1851年のクーデタにアプローチするという点ではふるまいが一致しているだけに、両者の絶妙な対照性を批評史の文脈に位置づけながら論じることはきっと意義深い仕事となるはずである。
 しかしながら、私自身に関して言えば、本書を読むうえでの「さしあたっての興味の中心」は別のところにある。それは、ド・モルニーの性格が語られる際に現れる「シニカルな日和見主義」(61頁)という言葉である。

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 蓮實は、1999年に刊行された山内昌之との対談集『20世紀との訣別』において、本書を著した動機を「人々がこれだけポストモダン、ポストモダンと騒いでいるのに、ポストモダンの最初の典型みたいなモルニー公のことを誰もやらないのは変だ、そうしたら先にやっておこう、ということ」なのだと説明している。たしかに本書のなかにも、「フランスの「第二帝政期」と日本のポスト産業化社会とのひそかな通底性」(13頁)とか「人がポストモダン的と呼びもするだろう二十世紀末の芸術概念」(114頁)といったフレーズが含まれていた。ということは、「シニカルな日和見主義」もまた「ポストモダンの最初の典型」なのだろうか。そうだとすると、ド・モルニーを理解することは一気にたやすくなるようにも思われる。たとえば、優れたポストモダン論として定評のある東浩紀の『動物化するポストモダン』(2001)も、ポストモダンとシニシズムとの関係をペーター・スローターダイクの『シニカル理性批判』(1983)やスラヴォイ・ジジェクの『イデオロギーの崇高な対象』(1989)を参照しつつ整理していたのだから。
「歴史にとっていささかも本質的ではないし、微笑とともにいつでもやりすごすことのできるごく凡庸な脇役にすぎない」(134-135頁)と本書の末尾で言われるド・モルニーにとっては、もしかしたら、ポストモダン論の図式への収まりやすさは恥ずべきものなどではなく、むしろ「シニカルな日和見主義」の名のもとに進んで選びとるべきものなのかもしれない。ところが、この解釈を携えて本書を読んでみると、ド・モルニーの「余裕ある大胆さ、あるいは果敢な冷静さといったイメージ」(47頁)に刺さった小さな棘が、実は最後まで抜かれずに残っていたことに気づかされる。それはたとえば、『シューフルーリ氏、今夜は在宅』というテクストの背景に関する説明の直後に配された以下の一文にある。

政治的な野心とは無縁でありながらも、発想と決断の才能には恵まれたシニカルな勝負師として、「嫡子」たる義兄を皇帝の座に送りこんだ「私生児」が、立法院議長という名誉職に甘んじて「帝国の祝祭」に彩りを添えることになった深い諦念を、こうした手すさびで紛らわせようというのだろうか。(97頁、「名誉職」に傍点)

 この疑問文への明確な答えは本書では与えられていない。いや、否定的な答えが最後に与えられたと解釈すべきなのかもしれないが、本書を俯瞰的に捉えようとすると、「微笑とともにいつでもやりすごすことのできるごく凡庸な脇役」でありつづけていたはずのド・モルニーが、この一文の前後において、主役のような顔と曖昧ならざる輪郭とを一瞬だけまとったように感じられてしまう。率直に言って、私はこの一文を読んだとき、思わず、ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(1950)の最後のシークェンスを脳裡に浮かべたのであった。
 私の連想を導いたのは、1988年に刊行された淀川長治と山田宏一と蓮實の鼎談集『映画千夜一夜』における以下のくだりである。

淀川 […]やっぱり馬脚をあらわさないね、蓮實先生は(笑)。ヘンリー・フォンダは嫌いだ言うても、それは正統派でしょう(笑)。もっと変なのが好きにならないの、この人は。にくらしいね(笑)。この人はいつまでもにせ紳士ね、にせ伯爵ね(笑)。すましているんだもの(笑)。[2カ所の「にせ」に傍点]
山田 にせ伯爵、カラムジン。『愚なる妻』のエーリッヒ・フォン・シュトロハイム(笑)。
淀川 ぼくは、シュトロハイム、好きなの。変だね。

 このくだりは、2016年に蓮實が発表した小説『伯爵夫人』が三島由紀夫賞を受賞した際の記念インタビューで言及されて注目を集めたものでもある。なにしろ『伯爵夫人』という題名の由来のひとつが、淀川から授けられ蓮實が「大変誇りに思ってい」た異名にあったのだから。インタビューで蓮實が補足するとおり、「カラムジンとはエリッヒ・フォン・シュトロハイム監督の『愚なる妻』(一九二二)で、シュトロハイム自身が演じた破戒無慙な偽伯爵なのです」。
 もちろんド・モルニーは、「冷血無比の厳格さ」(86頁)を備えてはいても「破戒無慙」ではありえない。しかしそもそも、『愚なる妻』のカラムジンがたしかに「破戒無慙」である一方で、淀川が命名した「にせ伯爵」は「馬脚をあらわさ」ずに「正統派」として「すましている」のだから、後者は「いかにもド・モルニーらしい」と形容できそうに感じられる。加えて見逃しがたいのは、オーストリアの某伯爵家の息子と自らを称していたシュトロハイムが、実際には、ウィーンの中流階級に属するユダヤ人として婦人帽子店を営んでいたベンノ・シュトロハイムが妻ヨハンナとのあいだにもうけた子であったという事実である。すなわち、大西洋を渡るべく1909年にブレーメンから蒸気船に乗った24歳の移民エリッヒ・オスヴァルト・シュトロハイムは、米国の土を踏むころにはエリッヒ・フォン・シュトロハイム(Erich von Stroheim)へ変貌しており、蓮實の言う「旧制度いらいの出身と血統の正当性の保証を模倣しつつ漂わせている貴族的な雰囲気」を前置詞「フォン」の挿入によって呆気なく我が物としたわけである(Koszarski, Von を参照のこと)。
『愚なる妻』の自己言及的なしかけをとおして「破戒無慙な偽伯爵」のイメージと戯れていたシュトロハイムは、しかしながら、「シニカルで原則を欠いた妥協の風土」(125頁)とは無縁の執念深い完璧主義者でもあったためハリウッドのスタジオから冷遇されるに至り、1936年以降は主にヨーロッパの映画に出演する俳優として生計を立てるようになった。1950年に公開された『サンセット大通り』は、俳優シュトロハイムのハリウッドでの最後の仕事である。以上の経緯を知れば、『サンセット大通り』の最後のシークェンスがグロテスクなまでに自己言及的であることも明らかになるはずだが、立ち入った解説はここではしないでおこう。私が言いたかったのはただ、あのシークェンスにおけるシュトロハイムが、「破戒無慙な偽伯爵」にふさわしい鬼気をみなぎらせているというよりはむしろ、与えられた役柄に甘んじてハリウッドの「絢爛豪華」(蓮實『ハリウッド映画史講義』)なイメージに「彩りを添えることになった深い諦念を、こうした手すさびで紛らわせようと」しているかに思われてならないということである。
「偽伯爵」というカテゴリーからシュトロハイム=蓮實=ド・モルニーという等式を導くことは、「シニカルな日和見主義」をジジェク流のポストモダン論の図式に位置づけることと同じくらい私たちを安心させてくれる。「シニカルで原則を欠いた妥協の風土」はそうした安心感を促進しさえするかもしれない。にもかかわらず、「曖昧で希薄であるがゆえに「私生児」的なものと思われがちなこの現実を無視することが、歴史そのものを抽象化しかねない時代が、フランスの「第二帝政期」とともに始まっている」(135頁)ことを最後に告げる本書には、「歴史そのものを抽象化」することの安心感に私たちを浸らせまいとする要素がいくつも含まれている。言い換えれば、シュトロハイムがつねに「偽伯爵」でありつづけたわけではないのと同様に、ド・モルニーがつねにド・モルニー的なイメージに収まりつづけたわけではないことを本書は何度か私たちに伝えている。それらの要素が十全に読みとられたあかつきには、「シニカルな日和見主義」もきっと、もはやポストモダンなのかもよくわからなくなってしまった現在の世界を生きるためのひとつの指針という新たな相貌を帯びはじめるだろう。

 

文献表

Koszarski, Richard. Von: The Life and Films of Erich von Stroheim. New York: Limelight Editions, 2001.
東浩紀『動物化するポストモダン──オタクから見た日本社会』、講談社現代新書、2001年。
柄谷行人「表象と反復」、マルクス『ブリュメール18日』所収、267-308頁。
工藤庸子編『論集 蓮實重彥』、羽鳥書店、2016年。
田中純「義兄弟の肖像──『帝国の陰謀』とその周辺をめぐって」、工藤編『論集』所収、46-56頁。
蓮實重彥『小説から遠く離れて』、河出文庫、1994年。
───『映画時評 2009-2011』、講談社、2012年。
───『「ボヴァリー夫人」論』、筑摩書房、2014年。
───「小説が向こうからやってくるに至ったいくつかのきっかけ」(インタビュー)、『新潮』第113巻第7号、新潮社、2016年7月、148-154頁。
───「「そんなことできるの?」と誰かに言われたら「今度やります」と答えればいいのです」(インタビュー、聞き手・構成:入江哲朗)、『ユリイカ』第49巻第17号、青土社、2017年10月、8-39頁。
───『ハリウッド映画史講義──翳りの歴史のために』、ちくま学芸文庫、2017年。 蓮實重彥+山内昌之『20世紀との訣別──歴史を読む』、岩波書店、1999年。
マルクス、カール『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日[初版]』植村邦彦訳、平凡社ライブラリー、2008年。
淀川長治+蓮實重彥+山田宏一『映画千夜一夜』上下巻、中公文庫、2000年。