高橋 久美子

第6回
十二月の初日の出

最新エッセイ集『いっぴき』(ちくま文庫)も絶好調の作家・作詞家の高橋久美子さんの連載エッセイ! 彼女にしか紡ぐことのできない言葉たちで、日々の生活を鮮やかに描きます。〈作家・高橋久美子〉の新しいスタートを告げる連載は、毎月第4水曜日の更新になります。

 
 今回は、私のごく平均的な十二月のある一日を書いてみようと思う。
 八時半、朝起きて、布団から出るかどうかを考えてまどろんでいると一時間くらいたってしまっている。湯たんぽを持って一階へ降り、洗面器に湯を移す。湯気がもうもうと上る。顔を洗いメガネをかけて鏡を見ると、寝癖でヤマアラシみたいになった頭。今日が一番若い私なんだなと思う。明日、明後日、明々後日、年を重ねていくことが成熟かどうかは疑わしいが、私が出会ってきた人々のように良い顔つきの大人になりたい。
 九時十五分、台所でグラグラと沸き出したお湯の火をとめて、お茶を入れ、さて、今日何からしなきゃいけなかったかなと考える。スケジュール帳を開いて、コピー用紙の裏に、「ダ・ヴィンチ締め切り、契約書サイン、おばあちゃん手紙、〇〇さんにメール、夜十八時渋谷ライブ」と書きなぐる。一日にやることを書いてないと忘れる。本当にびっくりするくらい忘れる。いつも他のことを考えている。生きていて多分考えなくていい余白の部分のことばかり。道も全然覚えない。私は一体、社会というものから年々離れていっているではないか。年を重ねたらしっかりしてくるなんて嘘だ。どんどんと同級生たちとずれていくのを感じる。でもみんなはみんなでずれを感じているかもしれない。外側と内側がぴったり同じなんてことはないのだろう。
 みかん、りんご、柿を切って食べるのが最近の朝の楽しみ。体にはまだ布団の温みがあって夢を思い出して笑ったりする。昨日の夢はこうだ。
 友人の店にいくと、いつものシックなワンピースは置いていなくて、ウッドペッカーのついたピンクのジャージや、プラスチックの派手なポットや電話が売られている。どうしよう、どれ買おう、一つも欲しいものがない。でも何も買わずに出るのもなあと悩んで、ウッドペッカーのジャージを買うことにしてレジに持っていくと「三万八千円です」と言われて、ええ!? この古着のジャージが? というとこで目が覚めた。この夢に心当たりがある。その友人がクラウドファンディングをしていて、コートを買うかワンピースを買うか迷っていたところだったのだ。夢は素晴らしくむちゃくちゃで、それは甥っ子が書いた絵のように自由で羨ましい。こちらの世界では到底思い浮かばないストーリーだ。私は夢のセンスにおいては才能がある。できるだけ毎日夢を見たい。

 果物が全部体に染み込んでいく。朝と昼の間の、まだ猶予のある時間が好きだ。夫が出張に行っていたりすると、こういう時間はより長くなる。
 十時半、近くの学校のチャイムが鳴る。ピンポーンと家のチャイムも鳴る。開けたけど、いつもの宅配便のお兄さんはいない。え? 誰? 外に出てみると裏に住むおばあちゃんがドアの影に立っていた。杖でしっかり体を支えながら、左手で封筒を差し出した。
「高橋さんってあなたのことだよね。これ間違ってポストに入ってたの」
「あら、ほんまですね。私のですね」
「ここね、番地が一緒だからときどきこういうことあるのよ」
「ありがとうございます。にしても久しぶりですね。ゴミ出しのときも最近会わないから元気にしてるんかなあって思ってましたよ」
「風邪引いちゃったわよ。でもまあ、元気なうちに入るわね。あなたは? もうみかんの作業は終わったの?」
「はい、しばらく愛媛でみかん狩り手伝って、こないだ終わりました」
 しまった、みかんあげるねーと夏に約束したままだった。正月明けに持っていこう。おばあさんと立ち話をする。雨が降りそうねとか、寒いねとか、庭のオリーブに実がなって取ったとか、どうやって食べるの? とか、当たり障りのない世間話を無理のない範囲で。外はいつだって私を干物みたいに開いてゆく。
「今度家のポストに間違ってあなたのが入ってても、ピンポンせずあなたの家のポストに入れとくからね」
 と言っておばあさんは去っていった。何でだろう、私はおばあさんと顔を合わせるの全然嫌じゃないんだけど、若い子はみんな忙しいと思っているんだろうか。それとも、いちいち顔を合わすのが面倒なんだろうか。私は咄嗟に、「あ、はい」と言った。「いえ、またピンポンしてくださいね」と言えなかった。すぐに自分の本当の気持ちが言えない。いつも家に帰ってから落ち着いて考えて、相手への気持ちが湧いてくる。そして、なんでそう言ってあげられなかったのだろうかと悔やむ。

 十一時、引き続き考え事をしていると、FM徳島の局長の立花さんから電話。週一で短い番組を持たせてもらっているのだが担当の小野寺さんからでなく、局長からかかってくるときは大体何かをやらかしてしまったときだ。立花さんは、どんなときも優しい。心では拳を振り上げていても電話の声は穏やかだからかえってドキドキする。
 案の定、私は忘れていた。今度FM徳島主催で行われるイルミネーションライブに出演するのだが、プラネタリウムに投影する直筆の詩をスキャンして送ると言ったまま、すっかり抜け落ちていた。
「週明けにはお願いしますね」
 立花さんは電話の向こうでやっぱり穏やかだ。文房具屋さんに行って、黒の画用紙と白いペン買ってこなくちゃなあ。立花さんが怒ったらどうなるんだろうと想像しながら、柿をもしゃもしゃと頬張る。
 頻繁に旅に出る人間とは思えないくらいに、予定がなければどこへも行かない。日が昇り、日が沈む。昼から活動する私にとっては夕日の方が馴染みがある。この間、自転車で坂道を上っていると、大きな太陽が私を飲み込むように沈んでいた。ああ、まだ五時だってのに一日が終わるんだと思うと、妙に悲しくて、自転車を降り、とぼとぼと歩いた。そのとき、ふと、この夕日は地球の裏側では朝日なのだなと思った。これから夕飯を食べる人々と、これから朝食を食べる人。知らない誰かと同じものを共有して、朝と夜を分け合って生きている。当たり前のことすぎて気にもしていなかったが、この太陽を朝日だと思っている人がいるのだと思うと温かい気分になってきた。すぐカバンからメモ帳を取り出し「この夕日は誰かの朝日なんだ」とメモした。そしてまた自転車を走らせた。
 こうして外で出会う発見もあるが、大抵は家にいて料理をしたり、みかんの皮を干したりしながら半径五メートルの中でアイデアが生まれる。
 最近、先程おばあさんと話した庭のオリーブの実の灰汁抜きにやっきになっていて、昼食を作りながら、オリーブを一口齧っては、ゲッ! にが! とまた瓶の中に戻すとき、「オリーブ殺人事件」というのが、サスペンスドラマになるかもと妄想する。歯型が証拠にぴったりではないだろうか。
「塩漬けみたいな恋」という喩えを歌詞に使うのもいいかもしれない、一応メモしておこう。マリモの水換えみたいに、もう駄目かもしれないオリーブの水換えをする。

 ドラムを辞めた後くらいから、目眩を頻発するようになった。病院も何軒かいったけど、病名という病名もわからない。内耳の奥の三半規管の狂いみたいだ。音楽を長くやっていた人に多いと言われた。クーラーや暖房の部屋に急に入ったりとか、長時間外に出るとか、温度変化が激しいと、左だけ耳鳴りがして、耳鳴りきたぞと思うと次に必ず目眩がくる。夏は平気だから旅をするなら暑い国が向いている。やっぱり私はハワイとかベトナムに引っ越すのがいいのだ。どうしようもなくなったらそうしよう。今は漢方薬を煮出して飲んで体を温めたりしている。癌とか、心臓病とか、そういう大きいことではないから大したことはないのだ。それにきっと私の体が休め休めと言ってるときなんだろうから、自分にとって必要な現象なのだろう。ただ、悪いときが続くとちょっとへこむ。しんどかった日、ソファに横になったまま左手で右手を握ってみた。私は私の温かさを知る。誰よりもあなたを応援している、と左手は右手に言っているみたいだ。誰かと手を繋ぐことがなくなったとしても、私には私がいるじゃない。いや、夫も家族も友人もいますけどね。体のことは自分にしかわからないから、私に頑張れ頑張れと呼びかける。
 昼過ぎから仕事に取りかかる。鉛筆やまたはパソコンで頭の中の点と点を結んでいく。歌詞の殆どが、さっきの朝日と夕日みたいな、オリーブみたいな、右手と左手のような、些細な出来事の中から生まれてくる。生きているって素晴らしいわ、と思うことは正直そうないけれど、振り返って歌詞や詩を見ると生きているって素晴らしい、と思う。過去の作品の中で、私は何でもない日を生き生きと過ごしている。些細なことの積み重なりこそが生なんだと気づく。ただ、それをずっと心に持ち続けるというのは難しく、また日々の中に埋もれていく。元気な私がしんどい時を忘れちゃうみたいに。
 仕事の依頼は、来るときはぺちゃんこに潰れてしまう程くるし、こないときは全くこない。こなくても平気。こんなふうに過ごすから平気。余白の時間の方が大事なんだと思う。私は刀を研いで待っている。
 それに、頼まれなくとも期待されずとも自分のために書く時間は否応なくやってくる。アイデアを塩漬けなんかにはしない。見られずとも、どんどん出してやろうと思う。

 十八時、急いで渋谷に向かう。作詞を担当したアーティストのライブだ。ライブで歌っている姿を見て、初めて歌詞が完成したなと感じる。こう歌われるべき詞だったんだなと言葉と歌がなじんでいく。お客さん達の姿を見ると届いていることを実感する。少し照れくさく、何より幸せで、嬉しい時間だ。
 一月一日になっても、新たにすることも誓うことも特にはなく、十二月も一月も感動に従って書き溜めるだろう。私にとっての初日の出は、日々の中にある。

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