piece of resistance

33 テン

なんでそんなことにこだわるの? と言われるかも知れないが、人にはさまざま、どうしても譲れないことがあるものだ。奥様とは言わない、本に書き込みはしない、ご飯は最後の一粒まで食べる、日傘は差さない……等々。それは、世間には流されないぞ、というちょっとした抵抗。おおげさ? いやいや、そうとは限りません。嫌なのにはきっとワケがある。日常の小さな抵抗の物語をつづります。

 昨日はついつい感情的になってしまいました。貴方を「クソテン」などとなじってしまったこと、反省しています。
 貴方が貴方の原理に基づき、すべきことを粛々と履行しているのはわかっています。
 季節は移ろう。世の中は変わる。一所に立ち止まっていることが許されない時代、貴方は誰よりも急いて進むことを強いられている。その宿命も心得ています。
 けれど、テン。それでも、私にはやはりもうついていけません。
 この鬱積が、これまで私が貴方に依存しすぎてきた証であるのを承知の上で、それでも私は言いたいのです。貴方は、越えてはならない一線を越えてしまったのではないですか、と。

 今から思えば、貴方のご両親の時代はまだよかった。お祖父さまやお祖母さまの時代はまだまだ素朴だった。
 早いもので、貴方の一族とももう四半世紀のおつきあいになります。
 貴方の歴代ご先祖方に落ち度がなかったとは申しません。誰もが何かしらの問題を抱え、少なからず私を振り回してくれたものでした。手痛い仕打ちも受けました。
 たとえば――そう、貴方の一族がまだ世に知られて間もなかった頃、貴方のご先祖はよく「フリーズ」をしました。脈絡もなく、突然、動きを停止する。それは作業中のデータの消滅を意味しました。
 フリーズ。あの不条理にして不可避なブラックホールに、はたしてどれほどの労力が吸い取られて消えたことでしょう。
  今にして思えば、でも、あれもまだ素朴な瑕疵でした。起こったことは単純明快だった。労働の成果を一瞬にして失った。それだけです。

 テン、貴方は違います。私には貴方がわからない。
 たとえば、こういうことです。
 昨日、私は急ぎの仕事のために朝早くからパソコンに向かっていました。十時に宅急便が来たのを機にいったん仕事部屋を離れ、休憩がてらキッチンでエスプレッソを落とし、息子が散らかしたリビングをざっと片付け、さて、と再び仕事部屋へ戻ると、わずか二十分たらずのあいだに貴方は勝手なことを始めていた。
 やりかけの仕事が画面から追いやられ、代わりに『更新プログラムを構成しています。PCの電源を切らないでください。処理にしばらくかかります』の文字を見た時、私がどれだけ戦慄したことか――ああ、貴方には想像もつかないことでしょう。
 こんなことは初めてではなかったのです。だから、私には予期できました。この事態から自分がこうむるであろうフラストレーションを。
 案の定、息の詰まるような十五分が過ぎても、貴方の更新はまだ0%のままでした。二十五分を超えたあたりでようやく1%になり、2%になり――50%に達したところでにわかにスピードが増していった。四十分がかりでついに100%に至ったとき、私はほっと胸をなでおろしました。この程度ですんでよかった、と。まさかその後の再起動に再びとてつもない時間を要するなど夢にも思わずに。
『PCは数回再起動します』
 貴方の不吉な予告通り、再起動は一度では終わりませんでした。何度も、何度も立ちあがっては去る貴方。やきもきと待つしかできない私。
「このクソテンが!」
 こらえきれず毒づいた時には、すでに待ち時間が一時間を超えていました。

 ここで一つはっきりさせておきたいのは、私は貴方にアップデートなど頼んでいない、という点です。
 
 プログラムの更新は先祖たちの代からしてきたことだ。貴方はそう言いたいのでしょう。
  たしかに、貴方のご先祖たちも定期的にアップデートを持ちかけてきました。最新のプログラムに更新すべきだと、しばしば私を急かしてくれたものです。
 けれど、決定権は私にあった。アップデートするか、しないか。するのはいつか。決めるのは私でした。

 テン、貴方は違う。貴方は私の都合などお構いなしに、唐突に、強制的にプログラムの更新を始めてしまう。時として数時間に亘って私から仕事道具を取りあげ、最悪の場合、『更新プログラムを構成できませんでした』などとしゃあしゃあと報告する。
 勝手に更新して勝手に失敗。その後、パソコンの動作が急に遅くなり、ソフトも正常に機能しなくなって、その道に詳しい友人に泣きついたこともありました(サポート窓口は例によって混雑を極めていたのです)。
 友人いわく、テン、貴方がこの世へ送りだされてからというもの、私と同様のトラブルに見舞われた人々からのSOSが絶えないとのことです。
 パソコンが重い。ソフトが立ちあがらない。そんな不具合の原因を調べると、ユーザーの知らないところで貴方がプログラムの更新に失敗しているらしいのです。

 テン、貴方はなんと恐ろしい力を手にしてしまったことでしょう。
 あたかも意志を宿したかのように、随意にプログラムを更新する。AI。シンギュラリティー。そんな言葉さえ彷彿とするほどに、貴方は進化しすぎてしまった。
 私はもう疲れました。ワープロの時代へ戻りたい。OASYSの親指シフトキーを私に返してほしい。
 そんな泣き言ばかりが頭をかすめる昨今でしたが、しかし、テン、私は今日、ついに突破口を発見したのです。
 貴方の脅威に抗する有志たちが、私と同様のトラブルに見舞われた人々のため、貴方の自動更新を無効化する方法をネットにアップしていた。貴方から決定権を奪い返すための設定変更です。
 ええ、そうです。テン、貴方の一族のおかげで実り栄えたネット社会が、貴方の暴走から人類を救わんとする情報拡散の場となっているのです。

 設定変更の作業工程は数段階にわたり、素人目にはなかなかハードルが高そうですが、私は必ずやりぬいてみせる。
 テン、あまり人間を甘く見ないでください。貴方の天下がどれだけ永らえようとも、どうかこれだけは忘れないでください。私たちが電源を入れなければ、貴方は立ちあがることすらできないことを。
 

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