加納 Aマッソ

「お雑煮って、笑いながら走ってくる歌舞伎役者みたい」の巻

あけましておめでとうございます。
Aマッソ加納さんから、特大のお年玉をいただきました。
2019年が、皆様にとっていい年でありますように。

 あの子を動かせるのは一人ではない。生みの親が見当たらなくて、あの子は不安になったりしないだろうかと心配しても、それはもちろん杞憂である。あの子はだれの手によっても、気ままに遊んで理不尽にスネて、そして大小さまざまな夢を見る。あの子はみんなが知っていて、私たちのあるようでなかったあの頃に寄り添ってくれる。でもあの子は決して友だちではない。私たちは、あの子の中に自分を垣間見ること、それが一番嬉しいのだ。
 年の暮れも、あの子はカギカッコめがけてやって来る。

「年越し まる子ちゃん」の巻

 世間はどこも大掃除。そのさなか、あの子は子供部屋で笑い袋に夢中だ。袋を押すと、袋が笑うのである。袋が笑うと、つられて笑う。のたうち回って笑う。それを見て、テレビの前の私も笑った。父・ヒロシがやってきて袋で遊ぶことを窘めるが、こらえきれなくなってヒロシも笑う。「私のほうが先やったもんね」と、テレビの向こうのヒロシに的外れな優越感を抱く。さくら家において、父娘揃っての爆笑はすなわち母の爆ギレフラグであり、ほどなくして部屋に怒声が響く。日が落ち、家族で年越しそばを食べて、紅白歌合戦を観る。(裏でやっている漫才番組は「誰が観るんだ」という対象として描かれている)
 0時になる。今年も一年元気にやろう、と口々に言う。

 年が明ける。
 案ずるなかれ、あの子は何も変わらない。

「いつものお正月」の巻

 ヒロシに初詣に連れてってくれとせがむも、「人混みでは最悪スリに遭うかもしれない」という理由で突っぱねられる。そうこうしているうち、親戚がわらわらと集まってくる。あの子はその中に「変な顔」の子どもを見つけ、「変な顔だからうちの血筋の子ではない」と酷い推理をする。推理は当たる。ミドリちゃんというその変な顔の女の子は、お雑煮を食べて言う。
「お雑煮って、笑いながら走ってくる歌舞伎役者みたい」
 私は笑う。初笑いだ。

 ミドリちゃんのこのシーンを巡って、どれほどのアイデアが出ただろう。この時の会議は今までで一番滞った、なんて仮定するだけで楽しい。さらに、もしもその場に居合わせたら、と妄想する。
「お雑煮を食べた後、ミドリちゃんになんか一言言わせる?」
「原作のままでいいじゃん、お雑煮って歌舞伎役者みたい、これだよ」
「だって意味わかんなくない?」
「周りが意味わかんないって顔するからいいんだよ」
「そこカットで、その後のじいさんの腹話術のシーンを長めにとろうよ」
「伸びた餅を、マフラーみたいに巻きません?」
「何言ってんだよ、お前3日寝てねえだろ、一回家帰れ」
私「お雑煮って、壊れた無線機のちょうど真逆だよね、ってのは?」
「何言ってんだよ、お前一週間寝てねえだろ、一回家帰れ」
5時間後
私「ん〜 お雑煮って、結局なんなんですかね」
決定権持男「歌舞伎役者に決まってんだろ」
私「(顔の半分に線入ったガーンの顔)」

 あの子は永遠にあの家を巣立たない。そんな娘を置いていくのは、どんな思いなのだろうか。
 これからも、多くの人があの子に笑顔やふくれっ面を与えるだろう。そんな愛が続く限り、来年も再来年も、またあの子に正月は来る。

 

次回の更新は1月23日(水)です