確認ライダーが行く

第7回 お金の確認

第7回 お金の確認

 その場所を通るとき、いつも「あっ」と思う。
 「あっ」と思って立ち止まり、「あっ、ちがった」と立ち去るのである。
 最寄り駅の通路の床に、丸い銀色のネジのようなものがポツンと埋め込まれている。視力が悪いわたしには、それが百円玉に見えてしょうがない。
 そうだった、お金じゃないんだった。ちょっとがっかりする。
 そして、そのことを忘れ、返す返す「あっ」と、反応してしまう。
 先日、たまたま知り合いと一緒に歩いているときも、うっかり立ち止まってしまった。
 「どうかした?」
 「あ、いや、百円玉、落ちてるのかと思って、ははは」
 正直に言ったところ、こう返された。
 「それ、前も間違えてたよ」
 はずかしい。
 まるで、お金が落ちていないか、いつも確認している人のようではないか。

 お金を拾う夢をよく見た時期がある。
 会社員を辞め、あてもなく上京して間もない頃だった。貯金や退職金もあったし、お金に困っていたわけではなかったのだが、夢の中では、お金が落ちていないかと、人通りのない路地を探して歩いている。
 夢の中で見つけるのは五百円玉と決まっていた。それも10枚、20枚まとまって落ちている。大急ぎで拾っているところで目覚めるのだが、しばらくは、てのひらに五百円玉のひんやりした感覚が残っているくらいリアルな夢だった。そして、その日、パチンコに行くとかなりの確率で勝った。

 パチンコが好きだったのだが、これといった理由もなく足が遠のき、かれこれ10年近くやっていない。
 パチンコでわかったのだが、わたしは「負け」を持ち越さないタイプだった。今日負けたぶんを明日取り戻す、という考え方をしない。一日ずつ、気持ちを清算できたので、のめり込むこともなかった。
 とはいえ、負けるとくやしいもの。くやしいのに、お金を失ってすっきりする瞬間もあった。
 人生は始終お金に振り回されている。夢の中でまで、五百円玉を拾わされているのだ。パチンコで無駄に使い、成敗してやったような気になっていたのかもしれない。

 夢といえば、ちょっと夢っぽいできごとがあった。夜の駐輪場での一幕である。
 駐輪場は有料だった。料金を支払うために精算機に向かったところ、わたしのすぐ前をひとりの若い女性が歩いていた。夜だし、周囲は薄暗い。
 彼女の足元の半歩先に、銀色の丸いものがふたつ落ちていることに気づいた。
 ネジではなかった。百円玉と、五十円玉が一枚ずつ落ちていた。
 彼女がちらりとわたしを振り返った。お金が落ちていることを、背後の人(わたし)が知っているのかどうかを、気配というか、空気というか、そういうもので感じ取ろうとしたのだと思う。
 わたしがお金の存在に気づいている、ということを、彼女は「感じ取った」。で、どうしたかというと、彼女は百円玉だけを拾い、そのまま精算機へと歩いて行ったのだ。五十円玉は、わたしに「譲る」ということなのだろう。
 ふたり同時に発見したから山分け。しかし、彼女はとっさに高いほうのコインを選んだ。一連の流れが可笑しくなり、自転車に乗って帰る夜道、声を出して笑ったのだった。