丸屋九兵衛

第12回:今こそ考える「原爆Tシャツ」のこと。そして贖罪と、「存在しない正義」について

オタク的カテゴリーから学術的分野までカバーする才人にして怪人・丸屋九兵衛が、日々流れる世界中のニュースから注目トピックを取り上げ、独自の切り口で解説。人種問題から宗教、音楽、歴史学までジャンルの境界をなぎ倒し、多様化する世界を読むための補助線を引くのだ。

 わたしが自分のオールドスクールさを痛感するのは、自身が「誰それ推し」という発想を全く欠いているがゆえだ。もっとも、古風であることを恥ずるつもりは毛頭ないが。

 ちょっと前に、『ユリイカ』という雑誌でK-POPについて語った(執筆はしていない。2時間以上の長広舌を文章にまとめたのは編集氏である)。もちろん、現代において防弾少年団(BTS)に触れずしてK-POPを論ずることは不可能だし、そもそもわたしゃ彼らのファンだから、当然ながらBTSについてもたっぷりと言及した。
 すると、それを読んだ人たちは「丸屋九兵衛はSUGA推し」「ホソク(J-HOPE)推しが伝わってくる」と、てんでばらばらな感想をツイートするのだ。
 誰も推しとらんちゅうに! わたしの基本姿勢は「グループ全体のファン」だ。例えば、Pファンクを語るときに「俺、ブーツィ推しなんで」なぞと宣言するメンタリティが存在すると思うか?

 とはいえ。防弾少年団のメンバー7人のうち、2014年の取材時に印象深いやり取りをした4人に、特に強い思い入れを抱いているのは事実である。
 当時19歳とは思えない卓越した受け答えでわたしを魅了したラップ・モンスター(RM)。
 音楽的趣味がいちばん自分に近いSUGA。
 わたしのiPhoneケースにえらく注目していたJ-HOPE。
 そして、シンガーでありながら西海岸のマニアックなヒップホップ・グループへの愛を表明したジミンだ。

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 そのジミンの通称「原爆Tシャツ」問題が浮上したのは昨年11月。
 今回は、その一件について書こうと思う。

 遅きに失した? 否、BTSが所属するBig Hit Entertainment社の流儀に倣って拙速を好まず、熟考するために時間を取った、と理解されたい。ただし、経緯や事実関係については触れない。あくまで、あの騒動の中でわたしが感じたことを書く。

 「趣味のいいTシャツではない」と書いたのは津田大介か。
 わたしの第一印象もそれだ。いかな韓国びいきの丸屋九兵衛とて、賛成しかねるセンス。

 だが同時に、第二次世界大戦とそれ以前の植民地支配が残した爪痕の深さを再確認させるものでもあった。
 大戦末期、日本はすでにボロボロだったから、原爆投下というダメ押しがなくても程なく降伏しただろう。しかし、侵略者・日本が第三者(アメリカ)によってボコボコにされた風景をもって、その侵略者のくびきから解放されたことを祝う心理は理解できる。
 それが理解できない者は、白人を殴り倒すブルース・リーが黒人たちのヒーローになった理由について一生悩んでろ。

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 あの頃、ジミンに宛てられた意見各種がSNSに氾濫した。
 その中でわたしが気になったのは「原子爆弾によって何の罪もない人たちがたくさん一瞬で殺されたんだよ」と教え諭すツイートだ。

 酷な言い方だが、本当に「何の罪もない」のだろうか?

 こう考えてみよう。
 君が19世紀初頭、カリブ海のフランス植民地サンドマング(のちのハイチ)に生きる黒人奴隷だとする。そして、白人農園主たちに対して反乱を起こしたとしよう。
 その場合、法的にプランテーションを所有する白人男性のみならず、その妻や子供も殺害の対象となる。
 それら、妻や子供たちは「何の罪もない」と言い切れるか? 人道に反して連行した奴隷たちに課された強制労働から生まれる不当な利益を甘受しているのに。

 「生まれる場所を選ぶことはできない」というのは事実だが、エルドリッジ・クリーヴァーが言った通り「問題の解決に寄与しないなら、あなたもその問題の一部」とも思うのだ。
 第二次世界大戦の話題に戻すと……自身は戦争を歓迎しないにせよ、他国を侵略し植民地支配を行なうような政府を止められず国の舵取りをさせてしまった時点で、我々日本国民は皆、(被害者であるにしても同時に)加害者だったのではないか、ということ。
 それは枢軸国側の我々だけの問題ではないけれど。

 だから、選挙権は大切なのだ。

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 原爆Tシャツに関して、こんなツイートも見かけた。

 

 海外で例えると、イスラエルでテレビショーに呼ぼうと思ってたミュージシャンが「アウシュビッツ万歳」って書かれたハーンクロイツいりのTシャツを過去に着てたことがばれてしまったようなもんだから、世界的にもさすがにアウトなんじゃないですかね。 
https://twitter.com/chris_torys/status/1060647681872158720

 ……我々自身がハーケンクロイツ側の同盟者だったってわかってる?
 くわえて、今のヘタクソな喩え話には「イスラエル」と「どこぞの国のミュージシャン」という二者しか登場しない(比喩の稚拙さは、わたしが日本語に関して抱く危惧の一つである)。この事態を喩えようと試みるなら、登場人物が三者必要だ。第二次世界大戦の善玉国と悪玉国、そして悪玉国に蹂躙されていた被害者民族と。
 「第二次世界大戦末期、ドイツに突入したソ連軍が起こしたドイツ人女性大量暴行事件」に言及したTシャツを着ているイスラエル人アーティストが、ドイツのTV局から出入り禁止となった……とすれば、今回の原爆Tシャツ騒動に近いのではないか、と思う。

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 ただ、暴行事件よりも原子爆弾の方が、さらにフェイタルに感じられるのは事実だ。それは、後者が「遺伝子に対して予測不能かつ子々孫々に伝えられる改変を行なう」からではないか。
 そこへの嫌悪と忌避感はわたしも共有していて、奥の手として核兵器を無頓着に出してくるハリウッド作品に対する反発は少なからずある。
 とはいえ、すべての日本人(あるいは日系人)が、この思いを共有してきたわけではないようだ。

●昭和の怪獣映画には、遠方から核爆発を観察した日本人科学者が「これだけ離れていれば安全」と宣言するシーンがあった(……と『怪獣VOW』に書いてある)。

●ジャーマン・スープレックスに無神経な和名「原爆固め」をつけたのは誰なんだ?

●クリス・クロス(Kris Kross)のセカンド・アルバム『Da Bomb』は見事にキノコ雲をあしらったジャケットだったが、日本でもさほどの騒ぎにはならなかった。まあ、さすがに日本盤ジャケットは差し替えられていたし、タイトル曲内のフレーズ"I drop bombs like Hiroshima"は編集されていたが。

●「ヒロシマ」と名乗る日系アメリカ人アーティスト(あのバンドではない)も、そのネーミングの理由を「I drop bombs like Hiroshimaって感じで!」と屈託なく説明していた。

●相対性理論で考えると、核発電という発想はとても正しい。……コントロールさえ可能であれば。

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【余談】
 水爆ことhydrogen bombには、さらに気軽に使われてきた歴史がある。アーティスト名として。

 古くはH-Bomb Fergusonと名乗るブルースマンがいた。なんと1929年生まれだ。
 また、カナダのラッパー、Sean Merrickは90年代後半にH-Bombと名乗っており、その頃の『Narcissism』というアルバムは日本でも発売された(わたしも好きだった、音楽的には)。
 そしてラップバトルの世界でも、この名前は好まれるようだ。H-Bombという芸名のUK白人女性も、アメリカの黒人男性も、共にバトル系ラッパーらしい。

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 日韓関係に立ち戻ると。
 この国から見れば、韓国は「苛立たしい隣人」なのかもしれない。

 例えば慰安婦問題。
 いったん「解決済み」と両国政府が合意したものだとすれば、たびたび外交のカードとして繰り出してくることをアンフェアと感じる向きも多かろう。
 だが一方で、「慰安婦問題なぞ、我々の世代とは何の関係もない」と言い切る日本人に、わたしは違和感を覚える。

 場所を変えて考えてみよう。
 現在の西アジア(君たちが言う中東)の混乱ぶりは、19世紀後半から20世紀半ばまで欧米列強が同地域の利権を貪り、覇権を争ったことに起因する。あるいは、アメリカ合衆国の白人と黒人の収入格差は、同国における奴隷制の歴史と無縁ではない。
 そうである以上、欧米人が他人事のように中東諸国の政府の専横ぶりを非難もしくは嘲笑したり、あるいは、アメリカ白人がアファーマティヴ・アクションに反発したりするのは、「盗人猛々しい寸前の無責任」だと思わないか? どちらのケースも、過去の搾取によって生じた不均衡が現在の勝者の繁栄の礎となっている。何年経とうが、その恩恵に預かっている層の一員が自分たちのシェイディな過去に無自覚であるとしたら、それは許せないイグノランスだ。
 アメリカ国内に関して言えば……奴隷制に起因して今も続く黒人にとってのガラス天井が破壊され、白人も黒人と平等に公的権力によって軽々と射殺されるようになるその日まで、黒人たちはその不平等を訴えるだろう。

 同様に。
 韓国側が日本をさまざまな意味で打ち負かし、完全な優位を確保するその日まで、彼らは慰安婦や徴用工を政治問題として持ち出し続けるかもしれない。
 わたしは――それを歓迎はしないものの――贖罪とは、このようなものではないか……と考えてしまうのだ。
 The oppressor, and the oppressed.

 何にしても、歴史を学んでおくのは大切なことだ。
 件の原爆Tシャツのデザイナーも言っている。「そもそもの動機は、若者に歴史を伝えることだった」と。

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 もちろん、世の中は不公平なものだ。

 ジミンの原爆Tシャツ問題に続いて、ラップ・モンスターがナチス印の入った帽子をかぶった写真と、「ナチスを連想させるパフォーマンスをした過去」が報じられた。
 それらを掘り出して、ユダヤ人団体「Simon Wiesenthal Center」に通報したのは高須克弥らしい。高須といえば過去に、オーストリア国民のくせにドイツで散々やらかしていた不良外国人ヒトラー(首相指名の前年にようやくドイツ国籍取得)を「愛国者」と絶賛して同センターから「ナチス礼賛者」指定されていたが……近くの敵を葬るために、遠くの敵と手を結んだわけか。浅ましくもご苦労なことである。 
 それとて、Big Hit Entertainment社の真摯な対応によって撃退されたわけだが。
https://bts-official.jp/news/detail.php?nid=w4TvHt2q1gc%3D

 しかし、ここでわたしが強調したいのは高須クリニックではない。
 Simon Wiesenthal Centerが頑張れば、反ユダヤ主義を凹ますことはできる。

●では、パレスチナ人のための正義はどこにあるのか?

●歴史学が「コロンブスは悪逆非道な大量殺戮者」とほぼ証明しても、いまだに「コロンブスの日」という祝日が各国に存在するのはなぜか?

●新撰組が持て囃されるのを見ると京都の人間――うむ、伏見の人間であるわたしのアイデンティティが「京都」であるか否かはともかくとして――は胸が悪くなるが、そんな我々の心情が一顧だにされないのはどうしてか?

 ラリイ・ニーヴンによるSF小説群に登場する「Tanj!」というフレーズがある。
 T-A-N-J. 「There Ain't No Justice」の頭文字をとったものだ。邦訳では「神も仏もない」の略語「カホナ!」と訳されている。中国史育ちの丸屋九兵衛としては「天道、是か非か」と表現すべきだろうか。

 正義というものは、それを施行するパワーがなければ存在できないのだ。残念ながら……と嘆息しながら、今回は終わりにしよう。

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 なお、この「原爆Tシャツ」「ナチス風パフォーマンス」報道の時期に「防弾少年団はヒップホップ・グループか否か」という議論もSNSを賑わせた。

 これはこれで、我が国のマスメディアの瀕死ぶり(およびヒップホップ界の老害蔓延)を象徴するものとして、非常に芳しい。後述するイベント『BTSナイト in 大阪!』では、そのあたりにも触れようと思う。

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