ちくま新書

国語って本当に意味あるの?

小説は読む意味はあるの? 論理国語と言われるけど、その中身はなんなの? それらの疑問に答える『使える! 「国語」の考え方』の「はじめに」を公開します。

 学校で習う教科のうち、「国語」が重要であることを否定する人は、ほとんどいないだろう。「国語」力とは、言語能力とも言い換えられる。社会や理科など、そのほかの教科も文章を通じて理解しなければならないので、文章の意味がよく理解できないためにつまずいている生徒も少なくないように思われる。私たち人間は、直接経験することによって理解することよりも、文章などの言葉を通じて知ることのほうがずっと多いのであり、言語能力はあらゆる学習の根幹ともいえる。

 大人になってからも、私たちは日々、文章を読まなければならないし、書かなければならない。「国語」科目に期待されること、つまり日本語の運用能力は、ずっと学習し続けなければならないものであるといえよう。

 では、その「国語」の授業自体については、どのような印象を持っていた、あるいは持っているだろうか。私自身の経験で言えば、実を言うと中学三年の秋ごろまで、もっとも苦手な教科であった。期末試験や模擬試験の点数が取れないし、いい成績もつかなかった。

 テストの点が取れなかったのは、一つには勉強の仕方がわからなかったというのがある。他の科目は普段の授業や、ドリルなどの問題と試験問題が一致しているように思われ、それを勉強すればするだけ点数に直結するのだが、国語だけはそうはならない。授業でやっている内容と、テスト問題の性質が異なっているように感じられた。聞いていても点数が取れないのである。それに、国語の授業が何を目標にし、何の能力を上げようとしているのか、いまひとつ分かっていなかった。

 中三の秋から、受験勉強を始めたことによって、テストの点の取り方はある程度わかるようになったのだが、授業の意味については相変わらず分からないままであった。「何を勉強したらよいか分からない」という現役の生徒は多いし、社会人で学生のころそのように感じていた人も多いのではないだろうか。

 ツイッター等で検索しても、「作者の気持ちなんてきかれても分かるわけがない」のような言説が流布していたり、「感想文は書かされたけど、書き方は教えてくれなかった」などと書かれていたりする。やはり、何をやっていたのかよく分からなかった人が多いようだ。国語科の教員になってはじめて、学校の「国語」では何が目指されていて、そのために何をやろうとしているのかが分かったが、教員側と授業を受ける側に認識の差が少なからず存在するように思われる。

「国語力」を高めたいという人は多くいるだろうし、昨今は学校で教わった内容の学びなおしをしたいというニーズも高まっている。そこで本書では「何をやっているか分からない(分からなかった)」学校の「国語」、それも現代文の授業を取り上げ、そこで何が目指されていたのか、その謎解きからスタートしたいと思う。かつて授業を受けていた人はもちろん、現役の高校生あたりでも、国語の授業とは「そういうことだったのか」という気づきを提供しつつ、そこで「目指されていた国語力」を確認したい。さらに、本書ではそこからスタートして、一歩先に進んだ考え方を提示していきたい。

 昨年度まで、高校で国語科の非常勤講師を七年間務めた。機会があれば、また「国語」を担当したいと思っている。「国語」は、生きている限りずっとつきあうものであるし、ずっと学び続けていくものである。本書がその一助となれば幸いである。

 

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