遠い地平、低い視点

【第54回】観光客が嫌いだ

PR誌「ちくま」1月号より橋本治さんの連載を掲載します。

「観光(ツーリズム)なんて誰が考えたんだ。なんにも知らないバカな観光客が町をうろうろして、邪魔臭いったらありゃしない」という歌をご存じですか? 正確な歌詞は忘れましたが、「バカな観光客が町に氾濫するのはいやだ」ということだけは動きません。
 この歌が登場するのは、一九五〇年代のデヴィッド・リーン監督の映画『旅情』の冒頭です。アメリカの学校職員をやっている独身女性が金を貯めて、夏休みにヴェニスにやって来て束の間の恋に落ちるという、とても切ない恋愛映画ですね。なにしろこの主人公を演じるのがキャサリーン・ヘップバーンだから、彼女が横を向いて視線を動かしただけで特別な感情が生まれる。
 アメリカ人のハイミスと、もう白髪まじりの正体不明のイタリア人―もしかしたらプロのスケこましかもしれない男(ロッサノ・ブラッツィ)の束の間の恋は戦後間もない日本人の心に響いて、主題歌の『サマータイム・イン・ヴェニス』(観光客を嘲笑(あざわら)う歌ではない)もヒットした。一九五〇年代の日本に、なんにも知らない観光客が大勢うろついている光景もなかったから、せつない恋の映画の冒頭に「それを可能にする観光(ツーリズム)」をバカにする歌が流れていることに気づかなかった人も多かったろうが、一九五〇年代に海外旅行をする無知だが裕福な人種と言えばまずアメリカ人だったから、イギリス人監督のデヴィッド・リーンとしては、「彼女はバカな観光客とは違う」ということにしておきたかったのだろう。放っておけばポピュリズムはへんな風に伝播する。
 同じ一九五〇年代に小学生だった私は、正月になると「家が映画館だったらいいのになァ」と思っていた。なぜかと言えば、子供がいくらお年玉をもらっても、その頃の正月に開いている店はほとんどないから、お年玉の使いようがない。「正月の三ヶ日もオープンしてるところはどこだ?」と思って答は映画館だったから、「家が盛り場の映画館だったらいいのに」と思った。そう思ってすぐに、人でごった返す盛り場の道が頭に浮かんで、「自分の家の前を、そんなに知らない人に占領されるのなんかいやだな」と思った。
 私の観光客嫌いはその頃からで、もう何年も前に浅草に住んでいる友人から「今の浅草は中国人だらけですよ」と言われた時には「こわい」と思い、テレビのニュースで「京都の観光地は中国人ばっかりだ」と聞いた時には、「もう京都なんか行かない」と思った。別に中国人が特記して嫌いというわけではなくて、なにも知らずに物欲しげな顔をしてうろうろノタノタ歩いている外国人観光客が嫌いなのだ。私はバカが嫌いだから、うろうろモタモタしている日本人観光客も嫌いだ。「東京オリンピックになったら、そういう観光客に東京の街は占拠されるんだろうな」と思うから、東京オリンピックもいやだ。
 自分の知っている町がある日突然バカの群れに埋め尽されているのを見るのはいやだ。金と引き換えにそんなことになるのはいやだが、かなりの程度で、どっと押し寄せる観光客は、押し寄せるだけでたいして金を落とさない。それでなんの話をしたいのかと言うと、去(さ)んぬる十月の終わりの渋谷のハロウィーンの騒ぎに関してですね。
 今や日本の各地でハロウィーンのパレードなりイベントなりが、荒れることなく整然と行われている。私は他の多くの人と同様にそんなものにはなんの関心もないから、今や「バカじゃねェの」とも思わずに「やりたきゃやれば」としか思っていないが、「整然とおとなしいバカの群れ」が「バカ騒ぎをするバカの群れ」よりましだとも思わない。そこで、「よそでは荒れないのに、どうして渋谷では荒れるのか?」という話になる。それはたいしてむずかしい話ではなくて、ハロウィーンの渋谷にやって来るのが、国内外を問わないただの「観光客」だというだけだ。
 外国人向けの日本に関するツアーガイドブックには「渋谷のスクランブル交差点」が「行くべき場所の一つ」として取り上げられているという。それを聞いて私は「なんで?」と思うが、「今や」だかなんだかは知らないが、外国にはもうスクランブル交差点がないのだという。「それがどうしたの?」と思う私は、「別にスクランブル交差点は渋谷だけじゃないじゃない。よそにいくらだってあるでしょ」と言う。そんなことを言うと、なんの言葉も返って来ないが、もしかしたら、東京の渋谷には「スクランブル交差点」以外に誇るべき特徴はないのかなと思う。
 渋谷のスクランブル交差点に外国人が何人もいるのを見た。渋谷のことや日本のことをよく知らない日本人の中には、「ここは有名な観光地だ! 自分はそこに来たぞ!」という気にもなるだろう。なにも知らない人間が「ここが花のお江戸の渋谷かァ‼」と興奮しているところにバカ騒ぎが始まれば、もうなんだか分からない。どうすんでしょうね。

PR誌「ちくま」1月号
 
この連載をまとめた『思いつきで世界は進む ――「遠い地平、低い視点」で考えた50のこと』(ちくま新書)を2019年2月7日に刊行致します。
(2014年7月号から2018年8月号掲載分を収録)

 

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