ちくま新書

明治維新と東京

1月の新刊、松山恵『都市空間の明治維新』の「はじめに」を公開いたします。江戸の町が首都「東京」になったとき、どんな変化が起こったのかに迫る本書。 「はじめに」では、本書のポイントとなる部分が端的に説明されています。ぜひお読み下さい!

江戸-東京にとっての明治維新・明治維新にとっての江戸- 東京
 東京は、徳川幕府の拠点だった江戸を前身とし、その領域を核としながら発展を遂げて
きた。
 当初の東京(東京府)の領域は、南北はおおよそ現在のJR山手線、東西は都営地下鉄
大江戸線(ただし新宿以西の盲腸線部分を除く)の範囲におよび、現在の都心一帯がすっかりおさまってしまう広さであった。この、それまで江戸と呼ばれていた都市が東京へと名前を変えた背景に、いまから150年ほど前の幕府から維新政府への政権移行や、より包括的には明治維新という、19世紀の日本列島全体の統治や社会の仕組みを大きく変える動向があったことは、多くの方がご存じだろう。
 一方で、この江戸から東京への移り変わりを具体的に問われると、どうだろう。幕府の"権力の館"だった江戸城が明治新政府のトップにすわる天皇のそれ(皇居)へと転用されたことはすぐに想い起こせても、その後はなかなか続かないのではないだろうか。実際、これらはさほど公共知(パブリックメモリー)にはなって来なかった。
 しかし考えてみれば、天皇のみならず、新政府のおもなメンバーである薩長土肥出身者や旧公家らは、それまで江戸に住まいを持っていなかった。かたや維新当初には、都市(江戸-東京)のなかには大名や幕臣が幕府から下賜された屋敷が存続し、最盛期にくらべれば人数は減っていたとはいえ、いまだ数多くの武士たちがそのまま住みつづけていたのである。明治維新を、仮にこうした新旧支配層の交替(政治革命)という局面に限定してとらえたとしても、それがある程度の期間を要しつつ江戸-東京の都市空間においてたくさんのヒトやモノの移動(集積、離散)を引き起こす、ダイナミズムに満ちた出来事だったことは想像に難くない。
 実際、本書で明らかにするように、それはまず江戸を「植民地化」する動きとして始ま
っている。
 維新政府のもともとの拠点は京都(西京)にあり、そして江戸は当初あくまでもそれと
並立する"東京"へと読み替えられていく。新政府は京都などにあったみずからの要素をじょじょに、しかし着実に埋め込んでいくのである。そして東京を、もはや京都とのペア
ではなく、それだけでみずからの拠点、つまりは中央集権国家(単一国家)の首都にする
ことを決めてからは、それに適した機能や景観をこの都市が整えるようにさまざまな政策
を矢継ぎ早に投じていった。少なくとも政治都市(政治権力の拠点)という面において、
東京はかなり早い段階で江戸とはかなり異なる性格を持つ"別物"へと転じたといってよ
い。
 明治維新が引き起こした以上のような動向は、たとえばずいぶん前から今にいたるまで
各方面で問題視されている東京一極集中の流れを形づくるものでもあった。そのように本
来ならば多くの関心を持たれていいはずのテーマだが、従来は事実の発掘すら十分にはな
されてこなかった。それはなぜか。ここではその理由・経緯について、二つだけふれてお
きたい(くわしくは拙著『江戸・東京の都市史』(東京大学出版会)の序章、松山恵「日本近代都市史研究のあゆみ」『都市史研究』2、山川出版社)。
 ひとつ目は、新政府が当時とった態度そのものにちなむ。
 たとえば京都から東京への遷都について、政府はその実態とは裏腹にできるだけ穏便に
処理しようとして、これを正式に宣言したことは一度もない。いまだ脆弱な政権基盤のな
か、畿内社会の反発などをおそれてのためだったが、このことは当時の政治判断などが文
書(文字史料)のかたちで必ずしも十分には記録されないことにつながり、結果的に、後
世における把握を難しくさせる一因となった(なお、本書が方法として、文字史料ばかりでなく、絵図類などの非文字史料を積極的に用いつつ「空間」からアプローチするのは、こうした事情にもよる)。
 くわえて、より深刻な経緯として、これまでの取り組み(既往研究)における明治維新
のとらえ方の問題がある。
 そもそも日本の歴史研究では長らく、人類社会は共通の発展形式をたどるとする考え
(唯物史観)が強いなか、明治維新がもたらしたインパクトはややもすると実態(とくに都市部に関する)の吟味なしに低く見積もられがちだった。明治維新は不十分な革命であって、社会全体の仕組みを変えるほどの衝撃ではなかったと判定されたのである。
 それは江戸から東京への移り変わりが論じられる場合でも同じで、変化の物差し(近代
化の指標)としておもに重視されたのは、(維新変革にともなうインパクトについては精査しないまま、事実上その多くの内容が無視されるかたちで)西欧化か、ようやく19世紀終盤になってから顕著になる産業化だった。別の言い方をすれば、これまでの研究の多くは、西欧社会を念頭に置く単一の「近代都市」像を理想とするかたわら、江戸という長い発達の過程を歩む歴史都市が東京へと転換する過程で起きた維新期の動向や、その近代性(モダニティ)を把握することに対して、きわめて後ろ向きだったのである。
 ところで、当時(19世紀)の江戸-東京といえば、政治権力の拠点であると同時に、世界有数の人口を抱える巨大都市―― 日本列島における社会文化的な中心地 ――でもあった。
 支配層・知識人ら一部の人間にとっての出来事としてばかりでなく、明治維新は一般の
人びと、また彼らの形づくる日常の生活空間に対してどのようなインパクトをもたらした
のか。
 あるいは逆に、そうした存在――歴史都市江戸の現実――は、そこをおもな舞台(時空
間)としながら展開した維新変革の内容に影響をあたえなかったのだろうか。右で「一般
の人びと」とまとめて記したが、もともと彼らの多くは「町人」をはじめとする被支配者
層に属し、日々の暮らしを身分制度によって厳しく律せられながらも、長い江戸時代のな
かで個人としても集団としてもさまざまな成熟をとげ、けっして一枚岩な存在ではない
(吉田伸之『日本の歴史17 成熟する江戸』講談社)。彼らもまた、そのひとりひとりが維新期の変動に翻弄されながらも、今後の生存をかけて、みずからの境遇をなんとか改善させようともがく、主体性を持つ存在であったに違いないのだ。
 本書は、一定の理念にもとづく政策が施される対象であるとともに、人々が生活を形成
する場であり、また、それらが歴史的に共在した結果でもある都市空間を素材に、明治維
新と江戸- 東京との深いつながりをあらためて描き出すものである。
 明治新政府が江戸を「植民地化」し、そしてみずからの首都、さらには帝都へと改造す
るためにおこなったさまざまな試行錯誤が、市井における同時代的な動きとも有機的に混
ざり合いながら、どのようにその後の近現代における東京の展開を左右・拘束する条件を
生み出していったのか。そして、それは東京と関係を取りむすぶ各地のあり方にいかなる
影響をおよぼしていったのか。本書からは、それらが具体的に明らかとなるであろう。

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