世の中ラボ

【第106回】いま韓国フェミニズム文学が熱い

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2019年2月号より転載。

 韓国の文化といえば、韓流ドラマやK-POP、の時代はもう過去の話らしい。いまキテいるのは韓流文学、そして韓国フェミニズムである。ひとつの例が、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』である。韓国の女性作家によるこの小説は2016年の出版以来、累計100万部のベストセラーになり、18年12月に発売された日本語版も発売一カ月で重版累計5万部を超す勢い。翻訳文学としては(文学全体としても)異例の売れ行きだ。
 これも一昨年から昨年にかけて吹き荒れた「MeToo運動」の一環といえるかもしれないが、それにしてもいまなぜ?
 ともあれ、話題の『82年生まれ、キム・ジヨン』(以下『キム・ジヨン』)を読んでみよう。
 小説は「2015年秋」からはじまる。主人公のキム・ジヨンは1982年生まれの三三歳。三歳上の夫のチョン・デヒョンと、一歳になる娘のチョン・ジウォンとともに、ソウル市郊外のマンションに住んでいる。チョン・デヒョンは中堅のIT関連企業に勤めており、キム・ジヨンも小さな広告代理店に勤めていたが、出産を機に退職した。夫の帰宅時間は毎日夜の一二時ごろ、週末も土日のどちらかは出勤する。夫の実家は釜山にあり、ジヨンの父母も食堂の経営で忙しいため、ジヨンは一人で子育てをしている。
 そんなキム・ジヨンのようすがこのごろ変だ。義母が乗り移ったようになったり、夫の実家でブチキレたり。妻を案じた夫は精神科のカウンセリングにかかることを薦めた。それに応じたジヨンが語る1982年から2015年までの日々が、本書の内容ということになる。それは小さな女性差別の集積というべき三〇年余だった。

ジェンダー不平等を学ぶためのテキスト
 キム・ジヨンは、二歳上の姉の後に生まれた二人目の娘だった。最初の子どもが娘だったことで、母のオ・ミスクは〈お義母さん、申し訳ありませんとうつむいて涙をこぼした〉。姑は〈大丈夫。二人めは息子を産めばいい〉といったが、二人目も娘。次に妊娠した子どもが女とわかった時点で、母はやむなく妊娠中絶をした。当時〈性の鑑別と女児の堕胎が大っぴらに行われていた〉ので、〈九〇年代のはじめには性比のアンバランスが頂点に達し、三番め以降の子どもの出生性比は男児が女児の二倍以上だった〉。五年後にようやく生まれた弟は、何もかも特別扱いだった。
 学校に入ってもさまざまな差別があった。クラスの名簿は前半が男子で後半が女子。ランチルームには一度にクラス全員が入れず、名簿順に男子が先に給食をとり、女子は後回しだった。学級委員選挙では必ず男子が選ばれた。中学校では、女子だけが制服について厳しくいわれ、男子はラフな服装もスニーカーも許された。教師はいった。〈男子は休み時間の十分の間もじっとしてないだろ。サッカーだの、バスケだの、野球だの、せめて馬跳びぐらいはするじゃないか。そんな連中に、ワイシャツのボタンを首まで留めて、革靴をはいてろとは言えないだろ〉。この言いぐさに〈女子は運動が嫌いだからやらないとでも思ってるんですか?〉と食ってかかった女子生徒は口答えをしたことの罰を与えられた。
 1999年には「男女差別禁止及び救済に関する法律」が制定され、2001年には女性の地位向上を管轄する「女性家族部」が発足したが、肝心な場面での差別は解消されず、女子はますます混乱した。大学のサークルは会長も副会長も総務も男。〈大変だから、女子にはできないよ。君たちはただサークルにいてくれるだけでいいんだよ〉と先輩はいった。
 就職試験では書類選考で四三社に落ちた。書類を通った会社では、三人ずつの面接試験で、取引先の目上の人間が身体を触ってきたらどうするかと質問された。キム・ジヨンは〈トイレに行ってくるとか、資料を取りに行くとかして自然に席を離れます〉と答えた。二番目の受験者は毅然として〈それは明らかなセクハラですからただちに注意し、それでもやめない場合は法的措置をとります〉と答え、三番目の受験者は優等生ぶって〈私の服装や態度に問題がなかったかどうかを振り返り、先方の不適切な行動を誘発する部分があれば、直します〉といった。結果は三人とも不合格だった。
 こんな調子で、成長の過程で女子が体験する理不尽な扱いの数々を、小説はキム・ジヨンという一人の女性を介して次々に紹介し、さらにキム・ジヨンの母や祖母の時代にも遡って、彼女らが被った差別にも言及する。小説の形をとってはいるものの、むしろジェンダー不平等を学ぶためのテキストといった印象。正直、『キム・ジヨン』の一カ月遅れで翻訳出版された、同性愛者の娘を前にした母が自らの困惑を語るキム・ヘジン『娘について』なんかのほうが、小説としてはおもしろい。
 それでも『キム・ジヨン』に意義があるのは、まさしくこの本が性差別の実相をあぶりだす入門書的な役割を果たしているからだ。ここまであからさまな差別(出生時における男女の性比とか、育児休暇の取得率の低さとか)は日本にはないとしても、細部は「あるある」感いっぱいで、苦笑することしきり。ちょっと前までは日本もたしかにこうだったよね。昭和の頃の日本はね。
 と思って読んでいたのだが、それは私の早とちり。聞けば、日本の読者も韓国の女性たちと同様「まるで私のことみたい」という怒りと共感をもってこれを読んでいるらしいのだ。
 えっ、そうなの? だとしたら、いったい日本のフェミニズムはいままで何をやってたのーー! そう、Kフェミの本を読んでると、Jフェミの動向がどうしても気になるのだ。
 韓国でフェミニズムに火がついた背景には、ひとつの事件があった。「江南駅通り魔事件」である。2016年5月、ソウル市内の江南駅付近の商業ビルのトイレで、当時二三歳の女性が見知らぬ男に殺害された。『キム・ジヨン』の解説(伊東順子)によれば〈現場で逮捕された犯人が警察官に「社会生活で女性に無視された」と語ったことで、韓国社会は騒然とした。「これは明白な女性嫌悪犯罪(ヘイト・クライム)」であると感じた女性たちが、その夜のうちにツイッター等で犠牲者への追悼を呼びかけた〉。〈「女性嫌悪」(ミソジニー)という言葉が、韓国社会一般で広く認知されたのはこの事件以降〉という。
 実際、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ』もこの事件の話からはじまっている〈「江南駅殺人事件」が起きてから私は、もうそれまでと同じようには生きることができなくなりました。きっとほかにもそういう方が多かったでしょう〉。さらに著者はいう。〈事件を受けて多くの女性が「被害女性はただ女性だというだけで殺された」と、韓国社会にはびこる女性への暴力を問題視し、一方、多くの男性が「被害者の性別は問題ではない、事件は女性嫌悪による殺人ではない」と主張して大きな論議となりました〉。
 この本の副題は「フェミニストは黙らない」。「女性が経験する差別」を念頭に、暴力的な言葉に対してどう応じればよいか説いた一種のハウツー本である。まどろっこしい部分が多く、本としての出来はいまいちだが、意図するところは理解できる。右の事件が韓国社会に与えたショックがどれほど大きかったかだ。
 ひるがえって日本はどうか。

なぜ日本でKフェミが注目されるのか
 日本で第二波フェミニズムが産声をあげたのは70年代初頭。いわゆるウーマンリブである。『キム・ジヨン』が描きだすような、家庭や学校や職場における性差別は、この運動を通じてほとんど暴き出されたはずだった。80年代に入るとフェミニズムという言葉が一般化し、女性学の研究が進んで、大きな成果を上げた。こうした運動や研究の達成として、1986年には男女雇用機会均等法が施行され、99年には男女共同参画社会基本法が成立。90年代以降は、家庭科の男女共修が実施され(中学校は93年。高校は94年)、育児休業法(92年。95年に育児・介護休業法に改正)、ストーカー規制法(2000年)、DV防止法(2001年)といった法的整備も進んだ。つまり韓国と比較しても、フェミニズムに関して日本は一日の長があるはずなのだ。
 しかし、現実を見れば、日本はけっして男女平等先進国ではない。2018年のジェンダーギャップ指数は、一四九カ国中、日本は一一〇位、韓国は一一五位で五十歩百歩。さらにいえば、『キム・ジヨン』に該当するようなフェミニズムの入門書があるかというと、とっさに書名が思い浮かばないのである。
 もちろん、田中美津『いのちの女たちへ』(1972年)のような歴史的名著もあれば、『セクシィ・ギャルの大研究』(1982年)ほか上野千鶴子の一連の著作も、『セックス神話解体新書』(1988年)ほか小倉千加子の一連の著作もあるけれど、これらが出版されたのは三〇年以上前で、入門書としてはさすがに古い。もしかしてKフェミの本が売れているのは、Jフェミの「三〇年の空白」を埋める役目を果たしているからではないか。
 韓国よりもスタートが早かった分、日本のフェミニズムは2000年前後に、保守系の論壇や政治家によって「ジェンダーフリー・バッシング」という大きなバックラッシュ(反動)の波をかぶった。フェミニズムに対する激しい攻撃が、この方面の出版活動を鈍らせ、結果的に若い世代を置き去りにした感も否めない。
 とはいえ、Kフェミのストレートなメッセージに日本の若者たちが触発されているのだとしたら、それ自体が大きな変化の兆しだろう。最近も「ヤレる女子大学生RANKING」なる記事を載せた「週刊SPA!」が署名運動の力で謝罪に追い込まれた。MeToo運動の流れがこの後、どう発展するのか。しばらく目が離せない。
 

【この記事で紹介された本】

『82年生まれ、キム・ジヨン』
チョ・ナムジュ/斎藤真理子訳、筑摩書房、2018年、1500円+税

〈私は、誰も女性だからという理由で卑下や暴力の対象になってはならないと考えてきました。(略)とても平凡でよくあることだけれど、本来は、それらを当然のことのように受け入れてしまってはいけないのです〉(「日本の読者の皆さんへ」)。著者は一九七八年生まれ。現在の韓国は「女性は不当に恵まれている」と主張される女性嫌悪社会だと書く伊東順子の解説も秀逸。

『私たちにはことばが必要だ――フェミニストは黙らない』
イ・ミンギョン/すんみ+小山内園子訳、タバブックス、2018年、1700円+税

〈過激だとか極端だとか言われるのをおそれて女性が言いたいことを言えないという状況は、時間や場所を越えどこででも起きることです〉〈韓国のフェミニストは、隣国・日本がどう女性の権利を拡張していくか、少なくない関心を寄せています〉(「日本の読者のみなさんへ」)。著者は延世大学大学院生。セクシスト(性差別主義者)に対抗する言葉の出し方をレクチャーする。

『娘について』
キム・ヘジン/古川綾子訳、亜紀書房、2019年、1900円+税

 

〈拒絶する側と、私たちは間違っていないと訴える側。そのちょうど中間に立たされた「私」の視点で、マイノリティの過去と未来、同性愛者の娘を前に苦悩する母の心、不安が増してゆくばかりの老後、老いに対してあまりに不寛容な社会の現実などが綴られていく〉(「訳者あとがき」)。著者は一九八三年生まれ。同居することになった母と娘とその恋人の会話は緊張感と臨場感いっぱい。

PR誌ちくま2019年2月号

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