Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅

第13回  クロニクルズ(後編)

デュッセルドルフ・スクールへの旅の追憶

3 トーマス・シュトルートを訪問する

 

 さてルフの授業を見学したあと、僕はトーマス・シュトルートとアポイントをとっていた。
 

「何を知りたいの?」、長身の彼は、椅子に腰かけるなり言った。天井までつくりつけの本棚にはアートブックや写真集がぎっしり詰まり、壁にはガールフレンドの写真や中国の絵が飾られていた。

 オランダとの国境に近い田舎町ゲルデーンに生まれ、すぐに両親とともに都会へ引っ越した。1950年代、戦争で崩壊した建物は再建されたが、外観は新しくても、実は中身の一部は戦前の天井の高さのままだったのだという。「この建物や、ここから見えるアパートやビルみたいにね」。

 そして彼は最初、絵描きになるために、クンストアカデミーのリヒターのクラスに入った。

 

「僕はすでに絵を描くために写真を使っていたんだ。写真の中にある何が面白くて、何が面白くないのかを考えたりね。でも、自分で責任を持って撮ったほうがいいと思い始めた。リヒターもその後、写真を撮るようになるけれど、彼は僕の写真をとても気に入ってくれていた」

 

 それらの写真は、シュトルートがドイツだけでなく、のちには、世界中で撮り続けることになる「街路」の写真だった。やがて写真集にまとめられたが、そのタイトルは『アンコンシャス・プレイシィズ』、つまり「無意識の場所」と題された。

   

「子供の頃の僕にとって、絵を描くことが唯一の楽しみだった。建物の1階だけが改装されたり、逆に、6階建てだったはずのものが1階だけになったり。そんな環境から不思議な情報を得ていたんだ。アートに真剣に取り組むようになったとき、そこに、何かしらたくさんの人と簡単に共有でき、社会と自分を繋げるものがあることに気づいた。それには、絵より写真のほうがいいと思った。なぜなら、写真を撮るという行為は、すごくたくさんの人がやっている行為だしね。そして、写真は撮影者が見ようとしている何らかの対象と、その背後にあるものを見せようとする。最初に展覧会をやり、本を出すとき、僕は自分が自分の作品の何を大切に思っているか勘違いされないように示すことが必要だと思った。なぜなら、僕は建物の歴史に興味があったわけじゃなかったからね。自分が強調したい部分をずっと考えていて気づいたのは“実在するものとしての社会の無意識”ということだった」

 

 90年代に入って、現代ドイツ写真は世界的に注目されていった。そして、戦後史の文脈などまるで違うにもかかわらず、シュトルートの「無意識の場所の写真」やポートレイト、あるいは集団写真、「ミュージアム・フォトグラフス」の中にある「まなざしのありよう」、「写真の体温」は、同時代的なシンクロを僕たちも強く感じたのだった。

 しかし次第に、彼の写真を初めて見たとき感じたクールな「観察の目」が、最近では「シンパシーの目」に変化してきているのではないかと、僕は変質を指摘した。

 彼は「確かにそうかもしれないが、とても答えにくい質問だね」と言いながら、誠実にコトバを探す。

 

「僕は常に、個人と社会が形成されてゆく中で生まれる矛盾や葛藤、対立に興味がある。『フラワーズ』にしても、単なる花の写真集ではなく、あれは人が、どんな主題、テーマを面白いと思うかという隠れたモチベーションがある。(中略)すごく私的な願いは、写真の読み方が変わるといいなってこと。人はモノを見るときに、自分のモノの見方を確認している。写真を信じない人は実際に見るものだけか、歴史の中で起こったことだけ見つけようとする。でも、なぜ、写真の方が絵画より、人の心を示すものとして優勢になったんだろう? それって人間の精神における重要な出来事でしょう? みんながその大切さに気づいてくれることが僕の願いなんだ」

 

 彼もまたベッヒャーを通して写真を深化させることで、自らの人生をも大きく変容させた人間だった。彼のコトバは、シニシズムを超えた微笑のようなものに満ちていた。微妙なコトバ、微妙な温度。ほのかに微笑みながら、でも諦めない何か強いものがあった。

 シュトルートが言った印象的なコトバを書いて、訪問記を終えておこう。

 ベッヒャーはよく生徒たちを連れて、チャイニーズ・レストランへ行ったのだという。ルフやグルスキー、シュトルートらクラスのメンバーは、生活環境や家族構成、それからそれぞれの考えも大きく違っていたけれど、その時はとても親密だった。

 

「ベッヒャーが僕らにいつも見せてくれていたもの。それは、1つのプロジェクトに自分の時間を注ぎ込んだらどうなるかということ。諦めないでやり続けるとどうなるか、ということだった。僕も諦めの悪い人間だから、自分の居場所を見つけた、と思った。僕たちは皆、そんなベッヒャーの姿勢から重要なことをたくさん学んだんだ」

 

4 2009年、ルフとの再会。流動性とクリティカリティ

 

 2002年に会って以降も、ルフの写真の快進撃は止まらなかった。圧巻だったと言ってよい。

 インターネットポルノ画像を変換した「nudes」(写真集のテキストはミシェル・ウエルベック)、また2003年には、webに氾濫する日本のポルノコミック画像などを変換した「Substrate」を発表。これは森美術館のオープニング展「ハピネス」のメインビジュアルに使われて、東京の街頭にそのイメージが溢れた。2004年には「jpeg」。「zycles」は19世紀の電磁気学の本から触発された数学的曲線の3Dレンダリングの線がキャンバスにインクジェットプリントされまるで「写真」ではなかったし、NASAが撮影した土星の写真「cassini」はモノクロデータに着彩。またNASAの火星を撮影した画像を素材とし、3Dも使った「ma.r.s」。

 さらには20世紀初頭にモホイ・ナジらが行なったフォトグラムを仮想空間に3Dの光源を設定して生成させる「ヴァーチャル・フォトグラム」を制作した。

 ネットイメージと天文学。

 ルフは子どもの頃から天文学に傾倒していて、一時はアートとどちらの道に進むか迷ったのだという。

 ルフは自ら火星に降り立って写真を撮っているわけではない。NASAのパブリックドメインの装置を使って、遠方を夢想し「撮影」しマニピュレーションするのだ。
 

 テレプレゼンスを可能にする装置。探査機はルフにとってはカメラに過ぎない。いや逆だ、カメラ自体が彼にとっては、すでに「脳内イメージ」を可視化するための探査機だったのだと思う。世界自体が人間の脳内イメージが外在化したランドスケープであり、だからとりたてて今更「ヴァーチャル・リアリティ」などという必要などない。ルフにとっては、全ての事象は、はなからヴァーチャルなのだから。

 ルフが何より重要な作家であるのは、その観念とリアルの相関を、誰よりも確信犯的に気づいたということだ(このことは別章で述べるが、ジェフ・ウォール、シンディ・シャーマン、そして杉本博司においても似た事態が発生した)。

 このインタビューは2009年に行なったものだ。僕が主宰しているG/P galleryの機関誌『invisibleman/magazine』に掲載した。ギャラリー小柳での個展での来日だったが、いよいよコンテンポラリーアートにおける「写真の拡張」が本格化したタイミングだった。

 

後藤 あなたは「nudes」「jpeg」など、インターネット上にあるデジタルデータを写真化することを一貫してやっています。今回の個展での「cassini」は、衛星から送られてくるデータが使われています。

ルフ 「わたしが写真を始めた頃、マスメディアや写真のあり方だけでなく、世界そのものも変化していきました。わたしは常に、この写真というメディウムがどう機能しているのか、その根底に何があるのか考えてきました。だからわたしはコンテンポラリーアーティストとして、写真の構造や歴史に留意しなければならないのです。写真のデジタル化が進み、ピクセルにその姿を変えたあと、ピクセルはマニピュレート(操作)可能なよりシンプルな構造になり、イメージそのものも、より扱いやすいものになりました。デジタル作品においては既存のイメージを操作し、また実際に撮影していないイメージを、コンピューターでつくり出すことさえできます。 

後藤 マニピュレートしやすいのに、さらに意図的にモアレやピクセルという痕跡を強調したりするのはどうしてですか?

ルフ 人々はイメージがデジタル化され、操作されているという事実に気づいていません。わたしは、この写真という媒体が今やデジタルなのだということを示したかったのです。「jpeg」では写真の流通ということもテーマにしましたが、わたしたちが見ている大半の写真は、今やコンピューターのスクリーン上のものです。「jpeg」という作品シリーズは、デジタル写真の圧縮がモチーフなのですが、メールなどの流通のためにイメージを最大限圧縮する際、データそのものはまるきり違う構造に変化されます。しかし人々は、イメージがつくりかえられたものだとは気づきません。わたしは、圧縮の構造、特にグリッドに着目しました。本来イメージの質を損なうものですが、一方で絵画の筆の跡のようにとても印象的なイメージをつくり出すものだと時折感じます。ですからこの構造に、全てのイメージを当てはめるとするとどんな種類のイメージが面白いのかを考えていったのです。

Thomas Ruff. jpegs. Aperture. 2009.

後藤 また、あなたはこのシリーズで戦争や自然など、 人類や文明にとって非常に典型的なモチーフを扱っていますよね。これらのイメージを選択した基準は何ですか?

ルフ きっかけは9.11でした。あの日、NYのちょうどタワーが崩れてきた通りに立っていて、カメラを持っていたので、写真を何枚か撮りました。あれはわたしが今まで見た中で最もショッキングな光景でした。でもドイツに戻ってみると、画像が全部消えていたんです。カメラのバッテリー切れのせいなのか、空港のX線のせいなのかはわかりませんが、それが大きなきっかけとなりました。それからまずインターネットで9.11の画像を検索し、あらゆる画質のものを集めました。それで9.11のイメージがこのシリ ーズの最初のテーマになったのです。9.11はテロリストのアルカイダによる攻撃だったので、わたしは次にバグダッドが米軍に空爆されている画像を探しました。しかし、どの報復行為がこの攻撃へのもので、どれが別のものなのか分からなくなっていることに気づいたのです。(中略)

後藤 では新作の「cassini」に関して少し聞かせていただけますか? 「cassini」に使われている画像はカラーですが、おそらく元は白黒ですよね?

ルフ わたしは天文学に深い関心を持っています。「cassini」の元の画像はNASAが撮影したもので。白黒写真でしたが、わたしはそれでも十分美しいと思いました。しかし、画像を処理して色を上から重ねてみると、色をつけたことによって白黒の画像が持っていた抽象性を取り除くことができるのではないかと考えたのです。もう1つの利点は、機械によって撮影されている画像なので、特定の作者がいないということです。こういった画像はNASAのウェブサイトで何千枚も見ることができます。わたしはその中から30枚を選びました。そして、もう1つ面白いことに、それらの画像を近くで見ると、ピクセルが見えるのです。NASAに高解像度の画像がないか聞いてみると、NASAから「残念ながら、存在しません。なぜなら当時は最新技術でも土星に到着するまで7年かかったので、画像は1997年製のデジタルカメラで2004年に撮影されたものなんです。今はより高いクオリティのカメラがありますが、高解像度カメラを打ち上げるのにまた7年かかります」という返事がきました。

 

     *

 

 ルフは写真というメディアそのものが、時代の中で流動化し、それに対して「自己言及」することこそが、コンテンポラリーアートの成立条件であることを明示し続けていた。

 スタイルでも、コンセプトでもなく、メディアに対するクリティカリティこそを作品とすること。

 その姿勢は、ベッヒャーシューレのルフの同僚であったアンドレアス・グルスキーにも色濃く共有されている。

 続いてグルスキーとの対話を再構成しておこう。ベッヒャーを始点とする写真の「再定義」が、何故に、これほどまでに「成功」したのか? その秘密が何なのか?

 それは今も、僕の脳裏を去らず響きつづけている、大きな問いなのである。

 

5. 2013年、アンドレアス・グルスキーに会う。デュッセルドルフ・スクールの未来へ

 
 

 2013年から翌年にかけての、グルスキーのアジア地域の美術館での初個展は、大成功だった。国立新美術館(東京)と国立国際美術館(大阪)の大規模展は、事前の心配をはねのけて20万人近くの入場者が入った。日本における現代写真の事件と言ってよいだろう。

 彼の作品は巨大で、「普通の写真展」をイメージして訪れた観客は面食らい、そのインパクトで何度もリピートで行ったという。鑑賞を超えた新しい写真体験すら与えたのである。

 しかも写真に写っているモチーフは、証券取引所やスーパーカミオカンデ、プラダのショーケース、北朝鮮のマスゲームなど、およそ「ポートレート」や「心象風景」などではなく、感情移入しにくいものばかりなのにもかかわらず。

 加えて人々を混乱させたのは、彼や彼とともに常に語られるデュッセルドルフスクールの作家たちの写真作品が、コンテンポラリーアートマーケットで、異様なほどの高値で売買されているという事実である。

 とりわけグルスキーの大型作品「ライン川 Ⅱ」(190×360cm)は2011年に、オークションハウスのクリスティーズで430万ドル(3億3千万円以上)、写真として当時世界最高値で落札されている(ちなみに2位はシンディ・シャーマンの3億円。3位もグルスキーの「99 セント Ⅱ ディプティク(2001年)」)。

 評価するにせよ、否定するにせよ、グルスキーの「コンテンポラリーアートとしての写真」が、大きな「問い」をアートワールドだけでなく、社会に対し投げかけているところが重要なのだ。

 グルスキーの成功もルフ同様、単にベッヒャーの方法論を踏襲したからではなかった。彼はデジタル操作とモンタージュを駆使し、写真ドキュメントの概念を拡張したのである。

「神のヴューポイント」を思わせる視点から工場や証券取引所、高速道路、プラダのショーケース、北朝鮮のマスゲーム、DJ Sven VäthがプロデュースしたクラブCocoonの群衆と内装など、様々なグローバル資本主義のランドスケープをモチーフとして、批評と美学をない交ぜにしながら、作品を生成させるのが一貫したストラテジーである。

 ちょうどこのインタビューをした2013年時点では、新作のタイのチャオ・プラヤ川の水面に、様々な商品や記号が、芥のように流される姿をつくりだしていた。

 グルスキーが、ベッヒャーゼミに入ったのは、シュトルートとルフを含めた3人の中では一番あとだった。初期の写真は小さかったが、90年の始めから本格的に大型化した。3メートル×5メートルのものもある(ちなみに最初にラージフォーマットに移行したのはルフである)。

 グルスキーは、大型化の選択には2つの狙いがあったと説明する。

 1つは観客を「没入」させること。もう1つは、「親密さ」。写真の細部まで理解、アプローチすることを可能にすることが狙いだった。

 しかし僕がその答え以上に知りたかったのは、写真の大型化が、社会的なコンテクスト、歴史や産業、やがてグローバリゼーションの風景をモチーフへと移行したタイミングと重なったのはなぜか、という問いだった。反美学的な批評性と、美術工芸品としての美学の共存。相反する価値の合一。

 大型写真への変換は、単にサイズだけの問題であるはずがない。

 グルスキーは、初期の作品と今の作品を比較しても、社会的なインパクトにおいては、同じだよと言った。しかし、初期はストレートフォトだったものが、ラージフォーマットにおいて「合成」、つまりマニピュレーションが行われるようになったのだった。それでもやはり考え方は変わっていないのですか?

 僕は再度聞いた。

 グルスキーは、「確かにそうだね」と言い、こう続けた。

「始めは、ストレートフォトに取り組んでいたんだが、非常に退屈だと感じるようになった。毎日色々なロケーションに行って、ものを見なくてはならないしね。それから、少しずつコンセプチュアルな態度をとるようになった。イメージに対して何が可能なのか、何ができるのかを考えるようになった。『観察すること』に頼るのではなく、ペインターがペイン ティング作品をつくるように、写真に取り組むようになったのだ」と。

 質疑は続く。

 

後藤 ゼミにいた頃、意識的な写真をつくることについてルフたちと、 議論もしていたのですか?

グルスキー いやわたしは、コンセプチュアルな決断や判断で制作をしていたわけではなかった。制作において一番重要なのは、「視覚的なアイディア」だ。それもわたしの場合は、ゆっくりと成長する。新しいイメージは、いつも視覚的な体験から発展する。まず、スタジオの椅子に座り、次は何が来るのかと考える。次に例えば美術館に行き、その場所でインスパイアされれば、そこで撮影したショットにさらに要素を取り込み、わたし自身のアーキテクチャーをつくりあげる。だから結果的に、フィクション(虚構性)が強い写真が生み出される。このやり方は、完全にわたしが発明したものだ。

 

「何が」発明されたのだろう?
 

「合成」は、ストレートフォトの歴史においては、ずっと低く見られてきた。しかし80年代に、早くもケルンでジェフ・ウォールの展覧会があり、野心的なキュレーターでありプロフェッサーであるキャスパー・ケーニッヒ はデュッセルドルフスクールでの講義で、ルフやグルスキーを前にして、ウォールの写真の意味をレクチャーして聞かせたという。若きベッヒャーシューレのアーティストたちは、貪欲に意識をシフトさせたに違いない。それにグルスキーの父親はコマーシャルカメラマンであり、写真のマニピュレーションには抵抗がなかったのではないか(親の影響はないよ、とグルスキーは気難しい顔で否定していたが、2018年ヘイワード・ギャラリーでの個展時に行われたジェフ・ウォールとの対談で父親からの技術的な影響を語っている)。ポルケやリヒターたちが「資本主義リアリズム」と言う名前で、資本主義を反語的にしたたかに受容した歴史も頭に浮かぶ。

 

後藤 モチーフやシーンの選択・判断は、どのように決めるのですか?

グルスキー 例えば、最新作の「バンコク」のシリーズの場合を挙げてみよう。バンコクで、チャオ・プラヤ川の水面を見て、これはとても美しいリフレクションだと感じた。旅行者をはじめ、多くの人たちが川面を見ていたが、わたしはペインティング的な視点を発見した。これは、とても魅力的な主題になるのではと思った。でもそのときは、数カットだけ撮影し、ドイツに戻った。バンコクを再訪し長期に渡ってこの主題に取り組む価値があるか考えたかったんだ。これは、コンセプチュアルな判断だね。面白くなるのか、どうか……。もちろん川がどんな姿をしているかを、示そうというのではない。もっとグローバルな視点、そして今日的な視点から、巨大なサイズ で、川を見せることが何を意味しうるかを考察する。ゴミが流され、汚染されていた。美しさと汚染の両方の視点がある。 そこに、とても惹かれたんだ。むろん、モネの睡蓮のペインティングのように、このイメージが美しいと言いたいのではないのは、わかってもらえるよね? ここにクリティカルな視点がある。

 

 グルスキーの作品は矛盾した価値の衝突としてつくられる、それも美しい矛盾として。

 おわかりだろう。ベッヒャーの愛弟子たちは、タイポロジーというコンテンポラリーなドキュメントの「手法」を取得しただけではなく、「価値変換法」を発明し続けている。

 これは、アートシンキングの重要なイノベーションだと言ってよい。

 対話の最後に彼は、僕を驚かせる発言をした。

 

後藤 さて最後に、今後計画されているプロジェクトについて、教えていただけますか?

グルスキー 今、わたしの写真をペインティングにするプロジェクトを進めているんだ。もちろんハンドメイド。上手くいくかはわからないが……。ビッグステップさ(笑)。いや、まだペインティングは始めていない。ペイントするイメージを選び終えたところだ。これまで以上に深く考えなければならなかった。でも、きっとよいシリーズになるだろう。新たな発見、サプライズにもなるだろう。あと、本の執筆も進めているよ。内容はイメージについて。要素やフィクションに関しても触れている。

 

 

 グルスキーは建築家のヘルツォーク&ド・ムーロンに依頼して自身のスタジオ(収蔵と展示のできる美術館のようなスペース)をオーバーカッセル地区に建築することを計画し、数年かけて完成させた。しかし、ペインティングや本を発表したとは、まだ情報はない。はたして、また「何が」発明されようとしているのか?

 グルスキーはその後、2018年にロンドンのヘイワード・ギャラリーの50周年記念展で大規模な展覧会を行い、Amazonの倉庫を撮影した作品などが話題をさらった(これは明らかにグルスキーの代表作の1つ「99 Cent」〔1999年〕のアップデートである)。

 意外にも重視されていないが、グルスキーが、無類のクラブミュージック好きだということを付記しておきたい。NYのガゴシアンでの個展のときも人気DJのリッチー・ホーティンと会場でコラボしたし、ヘイワードではScannerらとコラボしている。グルスキーは、サウンド&ヴィジョンという戦略性にも意識的なのだ。

 ヘイワードでの展覧会のあと、グルスキーは、2010年から教鞭をとっていたクンストアカデミーで教えるのを休止して、2年間のサバティカルをとり世界をまわっている。友人が住むスペインのイビサでもっとテクノをたくさん聞くためだというのも、あながち噂だけではないだろう。

 ポストウォーの時代。ベッヒャーに始まるデュッセルドルフ・スクールが生み出したルフ、シュトルート、グルスキーたち。彼らは正に次々に進化していく変異体だ。

「写真」ではなく、「写真の変異体」だ。

 並の批評家では、ウイルスのように高速で変異するそれらを、事後的な立場で捕えることはできないだろう。

 今はデクーニングやポロックらが、マーケットとクリティックの両面で高い「価値」を獲得しているが、ルフたちが10年後、それに取って代わっていると、誰も否定することなどできない。

 僕には、そう思われるのである。