ちくま新書

改革と挑戦、失敗と挫折の平成史を振り返る

平成の30年間は、グローバリゼーションの進展の中で、戦後に形成された日本的システムが崩壊していく時代でした。『平成史講義』では、政府、地方と官僚機構、会社、教育、メディア、思想、我々の生活、安全保障の各分野で繰り広げられた改革と挑戦、失敗と挫折の歴史を、各分野の第一人者が見通します。編者・吉見俊哉によるまえがきを公開いたします。

「平成」は、まだ距離が近すぎて「史」として語れるほどに私たちの視点が確定していないと思われる読者もいるかもしれない。たしかに平成は、もうすぐ終わる。だからその始点と終点が変化することはもうない。しかし、始点と終点が確定しても、その間をどんな線で結ぶかが決まるわけではない。もちろん、同じことは「昭和」や「明治」を「史」として語る際にも当てはまるわけだが、これらはすでに多くの語りがなされるなかで語りの布置、たとえば支配的な語りと対抗的な語りの関係が安定してきている。しかし「平成」の場合、私たちはまだ結ばれるべき線の終点のごく近くに佇んでいるだけで、そのような語りの蓄積を有してはいない。したがって、「平成」を「史」として語ることは、何らかのそうした語りの厚みの形成に向けた未来投射的な行為とならざるを得ない。
 重要なのは、他の様々な時代についての語りと同様、平成「史」は一つの語りに収斂しない、複数的な語りの場でしかあり得ないことだ。それでもおそらく、平成についても支配的と言っていい語りとそれに対抗するかに見える語りがある。平成についての主流の語りとは、おそらくバブル崩壊に始まるものだろう。「平成」は、東証株価三万八九一五円をつけたバブル絶頂期に始まり、やがてそれが崩壊していく時代となる。その先で、山一証券が破綻し、拓銀、長銀、それに家電メーカーが次々に沈んでいった。この意味での平成史は、経済的な破綻の物語であり、それを運命づけたのは、グローバルな資本主義に他ならない。平成史は詰まるところ、グローバル資本主義の現在史となる。
 おそらくもう一つの「平成」についてのすでに馴染み深い語りは、阪神淡路大震災と東日本大震災によって縁どられるものとなる。地球という有限な環境体が地殻活動の沈静期(偶然にも戦後日本の半世紀と重なっていた)から活動期に移行していくなかで起きた二つの震災。その震災のなかで、あるいはそれと共振するかのように生じた一方のオウム真理教事件と他方の福島第一原発事故―。これらのショックとそこから立ち直る、あるいはその後遺症を引きずり続ける「災後」のプロセスが、平成史を貫いていく。
 以上の二つの「平成史」に対し、本書が提起していくのは、グローバル資本主義や自然災害といった巨大な外部的力が働くなかで、平成における歴史の主体とは誰で、それらの人々や組織はどのような状況に置かれ、またいかなる営みを重ねていったのかという、より政治学的とも社会学的ともいえる問いである。この問いから発し、本書は天皇、政府と政治家、官僚と行政機構、企業と従業員、若者たち、対抗的勢力、メディアとジャーナリズム、中間層といった諸集団が平成という時代をどう経験し、そこでいかなる時代への介入を試みていたのかを検証してみようとする。それらの様々な歴史の主体を通して見える「平成」という時代の、その変容の複合的な姿を浮かび上がらせようとしている。
 もちろん、第1講で「平成」の端緒、つまり「昭和の終わり」を振り返りつつ論じるように、総じて平成は失敗の三〇年であった。この三〇年の間のバブル崩壊や一連の企業破綻、震災対応や原発政策の誤りが生んだ甚大な損失を振り返れば、絶頂から奈落の底へとここまで失敗を重ねた時代は過去の日本にそう多くはない。強いて比較すれば、一九三〇年代から四〇年代にかけて、つまり中国大陸への侵略を泥沼化させ、あろうことか日米開戦に踏み切り、さらに敗戦が明白になっても無条件降伏の機会をずるずると先延ばしにしたあの時代に匹敵する無念さを平成の三〇年には感じざるを得ない。だから平成を「第二の敗戦」として語る人々がいるのも頷ける面もあるが、しかしこれを「対米敗戦」という理解にとどめるならば、この時代が内包する困難の根源を見据えたことにはならない。
 かつての日本の敗戦は、一九四一年一二月八日の日米開戦に始まるわけではなく、少なくとも一九三〇年代初頭、中国大陸で愚かな戦争に突入してしまった頃から始まっていた。同じように、平成日本の「失敗」は、その原点を少なくとも一九七〇年代から八〇年代にかけて、日本が高度成長を遂げ、ポスト成長期の自らのかたちを模索していた頃にまで遡らなければ見えてこない。もちろん、ここでは二つの「失敗」の時代における天皇自身の歴史に対するふるまいの、対照的ともいえる違いにも言及しておく必要がある。
 もっとも平成が「失敗」と「挫折」の時代であったのは、裏を返せば「改革」と「挑戦」の時代でもあったからだ。第2講では、平成政治の「改革」が、いずれも「五五年体制」として確立した昭和政治からの「屈折」であったことが示される。すなわち、昭和政治が安定的で軍事的な負担の少ない国際環境と持続的な経済成長、それに確立された官僚機構によって条件づけられていたとするならば、そのすべての条件が平成の三〇年で崩れていったのである。アメリカ経済の陰りと冷戦体制の終焉によって日米関係が変質していき、バブル崩壊とともに持続的な経済成長という前提は無惨にも崩れ去り、一方ではグローバル化が進み、他方では官邸のリーダーシップ機能が強化されることで官僚機構の空洞化が進んだ。選挙制度改革に始まる平成の政治改革とは、ある面ではこの昭和政治の前提を自ら粉砕する試みであったわけだし、橋本政権の行政改革以降の政官の関係変化は、小泉政権、民主党政権から安倍政権まで、その政治的な方向性の違いを貫いて進行した。
 他方、平成を通じて官僚機構は空洞化し、様々なレベルで機能不全を起こしてきた。昭和期には政治家がだめでも日本の官僚は「優秀」と信じられてきた。しかし平成に入り、バブル崩壊に行政が適切に対処できず、格差や社会不安も増大し続け、官僚機構への不信は拡大した。同時に人口減少により「消滅可能」な地域が広がるなかで、地方自治体もかつての活力や信頼感を失った。第3講で論じるように、様々な改革が試みられつつも、全体として平成には国と地方で官僚の弱体化が進み、閉塞と弱肉強食状況が広がった。
 一方で、行政が空洞化と閉塞に向かっていったのだとすると、他方で企業、すなわち会社はどう変化していったのだろうか。第4講は、この企業の変化を、とりわけ労使関係に焦点を当てて論じている。これに加えて言えば、企業のマネジメントも、平成を通じて大きく変化した。ソフトバンクや楽天といったIT系の巨大新興企業が擡頭し、無数の若者たちによるベンチャー企業も登場し、それまでの日本の企業文化を一変させた。しかし他方で、旧来の日本の大企業のマネジメントは、今なお変化の途上にある。一九九〇年代末に生じた大手証券や大手銀行の倒産は、バブル時代の投資の過熱とそこでの諸々の不正がマイナスに転じた結果だった。他方、二〇一〇年代に生じた巨大企業の崩壊、とりわけ米国のウェスティングハウス社を買収して以降に東芝がたどった解体過程と、逆にフランスのルノー社に救済されて以降の日産で、カルロス・ゴーン独裁体制が確立していった過程には、平成の大企業で深刻化してきたマネジメント上の根深い困難が露呈している。
 さて、政府と行政、企業という政財官の三領域で平成に何が起きたのかを確認した後、本書は若者や対抗的勢力、ジャーナリズム、中間層一般の平成史を考えることに向かっていく。第5講では、男性が企業の長期雇用と年功賃金により家計を支え、家族は子どもの教育に多大な投資をし、やがて子たちは新規学卒一括採用で間断なく企業に包摂されていくという戦後日本型の人の循環モデルが、前述の昭和政治の崩壊と対応するかのように一九九〇年代に破綻していったことが検証される。このことは、この時代の若者たちの社会のなかでの位置づけや自己意識を決定的に変容させた。総じて言えば、生活の困窮度が増大し、収入格差も拡大したのである。第5講が鋭く強調するように、平成経済の低迷の原因を若者の「劣化」に帰す言説は、若者の雇用状況への政策的対処を遅らせ、人々の人生を支える新たな社会システム構築への取り組みを不十分なものにとどまらせた。若者の成功失敗を自己責任に帰す社会風潮は、「「勝ったもん勝ち」とでも表現されうるような残酷さと、諦念や同調とないまぜになった現実主義を若者の間に浸透」させてきた。
 教育と並んで日々の生活の基盤をなすのはメディアである。第6講では、そのメディアの変化を、平成前期は多メディア化・多チャンネル化の波、後期はデジタル化・グローバル化の波として整理している。平成のメディア史は、私たちの生活にインターネットが広く深く浸透していった過程として総括できる。マスメディアの時代からインターネットの時代への転換は、マスコミを情報の独占的なゲートキーパーの地位から引きずり降ろし、誰もが発信者という意識を広めた。そして、この情報発信の「民主化」は、それまでジャーナリズムが前提としてきた「事実」観を根底から突き崩した。匿名で誰もが発信者になれるネット空間に増殖したのは、「巷の噂」というレベルのニュースであり、真偽の確認よりも、自分の興味や感情に適合する情報を「ニュース」として受発信することが優先される世界だった。その結果、本当に事実かどうか曖昧な情報が、あたかもニュースとしてネット社会に氾濫した。広告収入に依存するインターネットのサイトではアクセス数が勝
負で、それを集めるには真偽はともかく目立てばいいという発想が蔓延するのだ。
 このような平成を通じた雇用と教育、メディアの環境的変化のなかで、私たちの主体のあり方はすでに大きく変容している。第7講と第8講では、平成時代を通じ、社会的主体の編成が、それらの主体についての言説と表裏をなして矛盾に満ちた仕方で変容し、混乱していった様子が論じられる。たとえば第7講では、「リベラル」というカテゴリーがそれまでの「革新」に取って代わり、「保守」に対する主体を名指す極をなしていくに従い、社会的=ソーシャルなものの何が忘却ないし排除されたのか、そこでどのような混乱が生じていったのか、その入り組んだ様相が非断定的な口調で描き出されている。そして第8講が論じるように、一九九〇年代以降の主体をめぐるカテゴリーの混乱は、中間層や中流、およそ「中」のつくあらゆるカテゴリーにも及んだわけで、そのような混乱を通じ、平成のポピュリズムはナショナリズムや新自由主義的効率主義と再結合していった。
 最後に第9講と第10講では、最初に触れたグローバル化の問題に立ち返る。第9講で、冷戦終結が日本に何をもたらしたのかが、国際秩序と日米安保体制、世界観の変化の三側面から論じられる。私たちは、第2講で考えた「五五年体制」の崩壊の意味を、今度はグローバルな視座から考えることになる。重要なのは、ポスト冷戦期になって、日米の軍事同盟が強化され、同時並行的に自衛隊をめぐる国民意識も変化してきたことだ。そして最後の第10講では、こうして冷戦終結後、再び世界の支配者としての暴力的な貌を露わにしてきたアメリカという他者について、それが戦後日本の自己をいかに方向づけ、また今、その位置がどう変化しようとしているのかに注目しながら論じている。
 総じて本書の企画は、一方では「平成」をア・プリオリに一つの時代区分とすることとは一線を画しながらも、この名に名指される時代が世界史の大きな転換期に当たり、グローバルな歴史の奔流とナショナルな時代意識の変化や諸制度改革、そしてその挫折や失敗の間の交差局面にあったことを示す。「平成」は、グローバルな帝国主義の潮流に日本が追いつき、アジアの覇権国家になった「大正」から「昭和」前期にかけてとも、冷戦体制のなかで「アメリカの傘」の下にいることに安住できた「昭和」後期とも異なる位相にあった。本書ではその位相を、その内外で蠢いた主体の側から捉え返している。

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