闇の日本美術

『闇の日本美術』刊行記念対談(前編)
山本聡美×橋本麻里
古代・中世の「恐怖」マニア列伝

なぜ古代・中世日本でこのような残酷な怖い絵が描かれたのか? かつての日本人がおそれたものは何だったのか? ――ライター・エディターの橋本麻里さんをナビゲーターとして、 著者の山本聡美さんとともに「闇」の深淵をさぐる対談。代官山 蔦屋書店において、2018年11月12日に開かれたトークイベントの〈前編〉をお届けします。

――仏教が「闇」をつくった

橋本    いよいよ本書の内容のほうに踏み込んでいきたいと思います。プロローグは、東大寺の修二会(しゅにえ)から始まります。二月堂の大火、つまり火事の話が出てきます。江戸時代の前期、寛文7年(1667年)の2月13日、まさに修二会の満行を目前に起こった大火災です。
山本    修二会とは本尊十一面観音の前で一年の罪を懺悔(ざんげ)するための仏事で、大きな松明(たいまつ)を使用します。
橋本    これで火事にならないほうがおかしい(笑)。最近はさすがに消防体制も整ってあまり危ないことにはなっていませんが、江戸時代には大火が起こり、二月堂をはじめ東大寺にあった経典が随分失われてしまいました。その時に被害を受けた紺紙金字の大般若経は、経典の下のほうに、めらめらと焼けたあとが残っています。
 先ほど、仏教という光が入ってきたことで闇が生まれたという話をしましたが、この焼け残った経典を見ると、まさに、青い闇の中から光──仏の言葉、真理の言葉──が、浮かび上がってきている。そしてそれが炎の中に消えていくという、何ともいえない象徴的なイメージなのです。なので私は、このプロローグを読みながら、本当に焼経が浮かび上がってくるような思いでいました(笑)。
山本    炎の中の経典、怖いけどとても美しい。江戸の大火で焼けた本尊の光背が、現在は奈良国立博物館の常設展示室で、表と裏から見られるようになっています。焼け出されたがゆえに、今、私たちは間近に見ることができる。
 この裏面を見ていただくと、上方に仏菩薩の世界が描かれています。まさに、光によって照らし出されたところに、いかなるよい世界が、清浄なる世界があるかということを仏教は教えてくれました。同時に、下半分は暗闇の世界が描かれているのです。私たちが住む暗闇の世界、迷いの世界、恐れの世界です。
 仏教の経典をひもといていくと、かなりの文字量を割いて、いかに闇が深いか、そこにはいかなる恐ろしいことが待ち受けているのかについて、しつこくしつこく説いていく。こういった暗黒の思想を内包しているのが実は仏教であって、きらきら光る仏の世界だけではない。そこがまた仏教の魅力であり、古代の日本人が仏教という外来の思想にふれたときに、しかも外国語としての漢文を通じてふれたときに見いだしたものがそれであった。仏の世界での救済ももちろんありますが、もっと重要であったのは、われわれの生きている世界が、いかに闇に満ち溢れているかということ。
 人間の住む世界って、この中のこの辺なんです。それで、地獄はここ。

 
 

橋本    地獄にかなり近いですね(笑)。
山本    上のほうに仏とか菩薩がいるのに、人間は、地獄にかなり近いところに居るのだ、という距離感がこの図から把握できます。そうすると、自分たちの身の回りで起こる、痛いとか、苦しいとか、お腹がすくとか、さみしいとか、恨めしいとか、そういったことに理由が与えられる。それによって、恐れから少しは解放されるというような仕組みを仏教は持っていたのではないか。本書のテーマである、光によって映し出された闇とは、そういうことを言いたかったわけです。
橋本    仏教が日本に入ってくるのは段階的でしたが、その光と闇の構造が明確になってくるのは、極楽と地獄が構造化されて、どうすれば極楽に行けるのか、どういうことをしてしまうと地獄に堕ちるのか、ということがはっきりした後ですね。
 そこには、源信というキーになる方が登場するわけですが。
山本    地獄の思想を考えるときに、源信という、平安中期に活動した天台僧の役割がとても重要になってきます。彼が著したのが、『往生要集』です。
橋本    何というか、「地球の歩き方 極楽編、地獄編」みたいな書物ですね。
山本    まさにそう、いわば生き方マニュアルです。どう生きれば極楽へ行けるのか。どう生きると地獄へ堕ちてしまうのかが書いてある、岩波文庫で上下2巻に収まるほどの、非常にコンパクトな手引書です。全編がたくさんの経典の中からの引用文で構成されています。つまり、膨大な経典の海を自分の力で泳ぐことのできない者のために、ここと、ここと、ここだけは押さえておきなさいという、とても親切な書物です。その手軽さゆえに非常に影響力が強く、『往生要集』成立以降の日本人にとって、これが人生の手引きとなっていったといっても過言ではありません。
 全10章構成の中の第1章が「厭離穢土」という章で、「汚れたこの世界を心の底から厭いなさい、嫌いなさい」と六道輪廻の恐ろしさについて説いています。第2章で「欣求(ごんぐ)浄土」、浄土を心の底から願いなさい。第3章から10章で、じゃあどうやったら浄土へ行けるのか、ということが書いてあります。
橋本    マニュアル的な内容ですね。
山本    それを図式化すると、こんな階層になっていくわけです。

 

橋本    このシステムは、平安まではなかった。奈良仏教では、もう少し形而上の、宇宙の話をしているじゃないですか。ここでいきなり、人間に直結した話になってくるのはなぜなのでしょう。
山本    奈良時代の仏教の理解というのは、まだ外来の思想を、体系的にいかに自分たちのものにするのかという受容の段階、お勉強の段階だったのですよね。外国語としての経典、外国の思想としての仏教を、いかに全体として知るか、という。それが100年、200年と経ってくると、わが国の中に、わがものとして知識が蓄積されてくる。そのストックを使って、今度は自分たちの生活、自分たちの日常、自分たちの現世、自分たちの来世というものを等身大で考える余裕ができてきたのではないでしょうか。それが平安時代だった。
橋本    とはいえ、受容しているのは貴族が中心ですね。
山本    そうですね。仏典や書物を読んで理解できる、僧侶の説教を聞いて理解できる層に限られたことではありますが、一つの明確な地獄、極楽の思想が生まれてくるという時代です。
橋本    そういったものが絵画的に、あるいは、絵画でなくても視覚的に表現され、残ったものを、われわれが今、見ることができるというわけですね。
 

後編は3月11日(月)更新予定です。

2019年3月4日更新

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山本 聡美(やまもと さとみ)

山本 聡美

1970年、宮崎県生まれ。早稲田大学文学学術院教授。専門は日本中世絵画史。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。大分県立芸術文化短期大学専任講師、金城学院大学准教授、共立女子大学准教授・同教授を経て、2019年より現職。著書に『闇の日本美術』(ちくま新書)、『九相図をよむ 朽ちてゆく死体の美術史』(KADOKAWA、平成27年芸術選奨文部科学大臣新人賞・第14回角川財団学芸賞を受賞)、共編著に『国宝 六道絵』(中央公論美術出版)、『九相図資料集成 死体の美術と文学』(岩田書院)などがある。

橋本 麻里(はしもと まり)

橋本 麻里

日本美術を主な領域とするライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。新聞、雑誌への寄稿のほか、NHKの美術番組を中心に、日本美術を楽しく、わかりやすく解説。著書に『美術でたどる日本の歴史』全3巻(汐文社)、『京都で日本美術をみる[京都国立博物館]』(集英社クリエイティブ)、『変り兜 戦国のCOOL DESIGN』(新潮社)、共著に『SHUNGART』『北斎原寸美術館 100%Hokusai!』(共に小学館)、編著に『日本美術全集』第20巻(小学館)。ほか多数。

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