闇の日本美術

『闇の日本美術』刊行記念対談(前編)
山本聡美×橋本麻里

古代・中世の「恐怖」マニア列伝

なぜ古代・中世日本でこのような残酷な怖い絵が描かれたのか? かつての日本人がおそれたものは何だったのか? ――ライター・エディターの橋本麻里さんをナビゲーターとして、 著者の山本聡美さんとともに「闇」の深淵をさぐる対談。代官山 蔦屋書店において、2018年11月12日に開かれたトークイベントの〈前編〉をお届けします。

――いったい誰がどうやって描いていたのか

橋本    当時は絵画をどのように制作していたのか、意外と皆さんご存じないかもしれません。これから見ていく絵は、いったい誰がどうやって描いていたのか、という話です。
山本    古代や中世の絵画、特に仏教絵画の場合は、制作の動機として「発願」(ほつがん)という仕組みがあります。願をたてる。誰かが自分自身のライフイベントであるとか、あるいは、何らかの政権闘争であるとか、そういう目の前の困難、あるいは、来世に予測される困難に対処するために、絵画を作る、仏像を作る、お寺を建てる、盛大な法要をするというようなことを発願します。要するに、何かを神や仏に願い、その代わりに自分は神仏に対する作善を行う。そこで絵が作られたり、仏像が作られたりします。
 では発願主、その主体は誰か。それを経済的に支えることのできる、天皇なり、高位の貴族なり、時代がもうちょっと下ると武家なりが登場してきます。もっと時代が下ると、庶民が集まってある作善行為を集団で発願するということも出てきますが、平安、鎌倉の前半ぐらいまでは、基本的にそれができる強大な力を持った権力者が発願する。
 次の段階として、それを実現するために協力をする、学者としての中級クラスの貴族であるとか、監修者としてお坊さんも関わってきます。
橋本    宗教考証をやる役ですね。大河ドラマの時代考証のような。
山本    発願主としての権力者、それを実現するための貴族、そして、ときには僧侶たち。それらの知識を集めてテキストの部分、つまり、経典からどのようなテキストを抽出するかを考えていきます。それが決まると、そのテキストから絵をどう構築していくかという段階で、プロフェッショナルとしての画工、絵師が登場します。
 平安・鎌倉時代の、本書の中で取り上げたような、歴史の中で残ってきたオフィシャルな絵画を描いている画工たちというのは、宮廷に直属の絵所(えどころ)という作画機構に所属しています。要は、国家公務員として絵を描いている人たちです。絵所に所属している絵描きたちが注文主の意向を受けて、あるいは、オブザーバーとしての学者や僧侶の意見を受けて絵を描いていく。ですから中世の絵画には、誰が描いたかという絵描きの名前はほとんど残りません。絵描きが誰であったかということが問題にされない時代です。そういう制作背景の中で作られてきた作品なのです。
橋本    仏教彫刻では、平安でも鎌倉でも、実制作を担った仏師たちの名前が残りますけれども、絵画のほうで残らないのはなぜでしょう。
山本    仏像と仏画に期待された役割の違いでしょう。仏画ももちろん礼拝対象ではありますが、あくまで仏を暗示する媒体として存在します。一方で、仏像は仏そのものというか、像そのものが霊性を備えることが不可欠です。仏像そのものが何らかのかたちで霊性を、つまり、聖なる要素を担保されていなくてはなりません。霊木を使って作りましたよとか、仏像の中に仏舎利が込められていますよとか。
 世界で最初の仏像を、毘首羯磨という超人的な(神仏に近い)仏師が作ったという説話があります。それまでは、人間の誰も、あまりにも崇高すぎて仏の姿を彫ることができなかった。唯一、毘首羯磨天(びしゅかつまてん)という天部が腕を振るって木を彫ったところ、釈迦の姿がそこに立ち現れたという。この説話を広げて考えてみると、仏師の名前が仏像の胎内に記されるということは、仏師自身がそこに結縁するという側面もあれば、仏師その人が持っている霊性を掘り出す力、あたかも毘首羯磨の再来のごとくというような点が、絵画よりは重視されていたのかなと思うのです。
橋本    仏師や絵仏師は本来、僧侶ではなくて職人としての仕事をしているわけですが、いわゆる僧綱位(そうごうい)、今で言う芸術家に僧侶としての位を与えるシステムによって位階を与えられるのは、絵仏師より仏師のほうが早いですね。
山本    圧倒的に仏師のほうが早いです。絵描きが僧綱位をもらうようになるのは、一番早くて誰でしょう。*
橋本    室町末の土佐派ぐらいですか。
山本    ですから、社会における仏師のありようと、絵師のありようっていうのは、ものすごく違っていたはずです。たまに名前の残る絵描きがいますが、たとえば、その絵師の描いた絵の仏様から、描かれた地獄絵の中からすすり泣きが聞こえたであるとか、絵画そのものに、ある種の霊験譚がついて回ったりします。そういうタイプの絵描きがたまに伝説の中に出てきますけれども、仏師と比べると圧倒的に少ないですね。
橋本    そうですね。不思議なシステムです。

【*注:「絵描きの僧綱位」について、治暦4年(1068)3月28日、絵仏師教禅が法成寺御仏図絵の賞として法橋に叙された。絵仏師僧綱の初例(『初例抄 上』)。木仏師定朝が法橋に叙されてから46年後である旨、山本勉氏(仏教彫刻史、清泉女子大教授)よりご指摘いただきました。】

後編は3月11日(月)更新予定です。

2019年3月4日更新

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山本 聡美(やまもと さとみ)

山本 聡美

1970年、宮崎県生まれ。早稲田大学文学学術院教授。専門は日本中世絵画史。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。大分県立芸術文化短期大学専任講師、金城学院大学准教授、共立女子大学准教授・同教授を経て、2019年より現職。著書に『闇の日本美術』(ちくま新書)、『九相図をよむ 朽ちてゆく死体の美術史』(KADOKAWA、平成27年芸術選奨文部科学大臣新人賞・第14回角川財団学芸賞を受賞)、共編著に『国宝 六道絵』(中央公論美術出版)、『九相図資料集成 死体の美術と文学』(岩田書院)などがある。

橋本 麻里(はしもと まり)

橋本 麻里

日本美術を主な領域とするライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。新聞、雑誌への寄稿のほか、NHKの美術番組を中心に、日本美術を楽しく、わかりやすく解説。著書に『美術でたどる日本の歴史』全3巻(汐文社)、『京都で日本美術をみる[京都国立博物館]』(集英社クリエイティブ)、『変り兜 戦国のCOOL DESIGN』(新潮社)、共著に『SHUNGART』『北斎原寸美術館 100%Hokusai!』(共に小学館)、編著に『日本美術全集』第20巻(小学館)。ほか多数。

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