高橋 久美子

第8回
翻訳ほにゃらら

エッセイ集『いっぴき』(ちくま文庫)も絶好調の作家・作詞家の高橋久美子さんの連載です! 彼女にしか紡ぐことのできない言葉たちで、日々の生活を鮮やかに描きます。〈作家・高橋久美子〉の新しいスタートを告げる連載は、毎月第4水曜日の更新になります。


 作家、作詞家と名乗りはじめて七年が経っていた。
 当時のマネージャーたちと「名刺になんて書く?」と話した日が懐かしい。私は「詩人」がいいと思った。中学生から詩を書いてきたのだし、なにせ「詩人」という響きへの憧れが強かった。
「くみこん、でもそれはなんか仕事こなさそうじゃない?」
 とマネージャーが言った。ビートニクにはまって学生時代、高田馬場で詩の朗読をしていたと盛り上がったくせに。
「んー、確かに、かっこいいけど難しそうだね」
 と、チーフマネージャーも首をかしげる。
「確かに、谷川俊太郎と肩並べるのは無理かも」
 私も弱気になった。
「作詞家がいいんじゃないの? 歌詞書いてきたわけだし、わかりやすいよね」
「え、まだ他の誰にも書いてないけど作詞家?」
 そんなもん最初はみんなそうだろうけど、いきなり「家」がつくと創業五十年感が漂うから恐ろしい。
「作家・作詞家は?」
 とチーフマネージャーがハンバーグを注文するみたいに言う。
「ついでに『歴史、ドラム、落語もできます』と下に書いとけばいいんじゃない?」
 ギンズバーグを朗読していた男の発言とは思えん、むちゃくちゃな提案。名刺を何だと思っとる、と今なら言うけど、当時の私は、
「うん、じゃあ、ま、とりあえずそれで!」
 と言っていた。
「はい!じゃあこれで名刺作っておきます!」

 十五分で私の新たな肩書は完成された。作家がどんなことをするのか、作詞家がどんなもんなのか具体的には知らないが、名乗っていけばなんとかなるだろうと思った。
 そうして、とりあえずの肩書のまんま七年の歳月が流れた。しかも、なんとかなっていた。流石に「歴史、ドラム、落語もできます」のくだりは途中で変だなと気づいて三十枚くらいしか使わなかったけど。それなりにやれているのは「詩人」をやめて「作家・作詞家」にしたからだろうか。「詩人」を名乗る勇気があれば、また私の人生は変わっていただろうか。
 イベントなどで主催者が私を紹介するとき、「エッセイスト」と紹介されることもあるし、「詩人」と紹介してくれる人もいる。「絵本作家」とか「もの書き」とか、なるほど今私はそんな感じに見えてるんだなあと思う。「元チャットモンチーで現在は作家、作詞家の高橋久美子さん」と今のほうが後付けみたいに言われることも多いが、これはこれで、客観的に自分を見て身につまされる思いがするのだった。

 二〇一九年一月に『ディアガール おんなのこたちへ』と『パパといっしょ』という二冊の翻訳絵本が出版された。私が翻訳したものだ。しかも三冊目。
 私が名乗り始めた「作家・作詞家」の中に「翻訳家」というニュアンスは微塵も入っていなかった。バックパッカー旅は好きだが、英語が得意というわけではない。海外では主張せねば埒が明かんことばかりなので、喋る。通じたらそれでええわと思っているから、多分、むちゃくちゃな英語で喋っている。
 なので、依頼メールで初めて「翻訳」の二文字を見た時は何かの間違いだろうと思った。高橋久美子と検索したら、「歴史、ドラム、落語」という言葉は出てきそうだが、「翻訳」がヒットすることは絶対になかったはずだ。
 夫にも相談して、私はすぐさま「申し訳ありません」という返事を完成させた。だけどなぜか送信できなかった。依頼文の最初に「詩人である高橋久美子さんに訳してもらいたい。あなたが書いてきた歌詞が好きだから依頼した」と書かれていたからだ。一日寝かしてみようと、ひとまず寝た。困ったらとりあえず眠る、これが大事だ。翌日、会って話だけでも聞いてみよう、断るならそれからでも遅くはあるまい、そう思うようになっていた。
 近所の喫茶店で待っていた男性編集者は絵本に携わってきただけあり、すごく物腰やわらかな、なんだか保育士さんみたいな人だった。翻訳は、英語を直訳するだけでないこと。同じrainでも日本語に置き換えたら、大雨、しとしと、ポツリポツリ、涙のような雨……いろんな表現があり訳者によって全然違うものになることは、海外の詩集などに触れるなかで知ってはいたことだったが、実際に話を聞くとすごく魅力的な世界に思えた。おまけに、詩を書いてきたあなたの色をのせて自由に翻訳してくれていいと。いやあ、殺し文句だった。

 二〇一六年の秋のことであった。こうして私は初めて絵本の翻訳にとりかかった。
「I Wish You More」というその絵本は、作家で絵本作家として名高いエイミー・クラウス・ローゼンタールさんの作で、世界十カ国で翻訳された大ベストセラー絵本であった。全ページI Wish~で始まる文は、親たちの細やかな願いが込められていた。ローゼンタールさんが自分の子どもたちにあてたラブレターのような気がして、なるだけそのままの思いを届けたいと思った。でも、日本語に直訳すると、あまりにストレートで淡々とした雰囲気になる。言葉は伝わるが心が伝わらなかった。語尾の言い回しを変えたり、書かれていない一文を想像で足してみたり、試行錯誤が続いた。
 原文通り「あなたが○○でありますように」を全ページで繰り返すと、愛情が重くなりすぎる。愛情表現がストレートなアメリカの作品を日本の親子に定着させるには、この、“こっ恥ずかしさ”を和らげることが大事なんじゃないかと考え、関西弁でも作ってみたが、もちろん却下になった。
 保育士のように優しかった編集者さんは、相方になるとなかなか手厳しく一筋縄には進まなかった。これだ! と思ったものも「うーん、もうちょっといける気がするんですよねえ」と。二十回は書き直しただろう。私はリズム楽器を担当していたからか、どうしても声に出したときのリズムが気になった。書いては朗読してを繰り返して心地よいリズムを探った。

 まるで、会ったことのないローゼンタールさんと共作しているようだった。このあいだ宇多丸さんのラジオ番組に出演させてもらったとき「訳詞の作業に似ているよね?」と仰っていて、正にその通りだなと思った。絵本の翻訳は詩の翻訳に近いのだ。書かれた英文が殆ど形容のない、究極にシンプルな中学1年生レベルだからこそいかようにも訳せるのだ。作者の根底の思いを汲み取って私が家を新しく建てていくような、そんな時間だった。
 例えば、「I Wish you more stories than stars」というページがあり、窓の外の満点の星には目もくれず、ベッドでシーツをかぶって本を読む女の子が描かれている。直訳すると、「あなたが星よりも物語を大切にできますように」となるが、はて、これでは意味がわからない。というか読書よりも星が好きでもいいはずだから、ローゼンタールさんはもっと他のことを言おうとしているに違いない。
 星=空の星? もしくは手の届かないものという喩えか?
 物語=本を読むこと? それとも子どもの人生を指しているのか?
 私は詩を紡いでいるような気持ちでいることを心がけた。なるだけ自然に読めること。文で書けないことは絵で表現している、それが絵本なのだから全てを言わなくたっていいはずだ。
 そして「ものがたりのなかに あなただけのほしを みつけられますように」と訳した。
 四カ月かかってやっと全てが整った。学校のテストなら0点の訳だろう。最後の難題は「I Wish You More」というタイトルをどうするか。普通なら、「もっと幸せでありますように」とか「願っているよ」とかになるだろう。ふと、人類はみんな母のお腹から生まれてきていることに気がついた。今は遠く離れて暮らしている人も、母が天国へいってしまった人も、八十歳になっても、善人も悪人も、私たち人類の共通点は皆母のお腹から誕生してきたということではないか。Matherという単語は一度も出てこないが私はタイトルを「おかあさんはね」とした。お父さんから反感を買うことは承知で、だけど生命を世に送り出し続けた母たちに敬意を込めて。
 闘病中だったローゼンタールさんが天国へ旅立った三カ月後の二〇一七年六月『おかあさんはね』が出版された。「おかあさんはね どこにいても あなたをみまもっているよ いつまでも いつまでも」。最後の一ページの言葉がどんなに染みたことか。

 ローゼンタールさんの遺作となる『ディアガール おんなのこたちへ』の訳の依頼がきたのは二〇一八年の夏のことだった。卵巣癌を告知された頃、娘のパリスさんと一緒に制作した絵本だそうだ。逞しく生きていってほしいという娘さんへの思いが溢れていた。仕事は立て込んでいたけれど私の使命のように感じて引き受けることにした。目を通して全世界の女子に届く絵本だと思った。絵本は子どもだけのものではないのだ。落ち込んだ日、疲れた日、私は自分で訳したローゼンタールさんの言葉に支えられるのだろう。
『ディアガール』の依頼から一週間後、今度はパパだ。ウクライナのイラストレーターさんの作品『パパといっしょ』の翻訳。えー! また翻訳!! 『おかあさんはね』が現在八刷りと日本でもベストセラーになり、それを知った出版社が次々に依頼してくれたのだった。
 こちらは、自分の夫と娘の日々を描きSNSでアップし続け世界中で話題になった作品だ。水彩画で描かれたその絵の可愛らしいこと。大きな大きなパパと小さな娘のまるで親友みたいな日々。ミシンで服を縫ったり、髪をくくるのも料理もパパ。お母さんは一切登場してこない。お父さんの絵本が圧倒的に少ない日本で、これは革命的だ。こういう家族の姿が普通になってほしいなあという気持ちと、なんせスーシーさんの絵に一目惚れした私は二冊同時に引き受けることに。格闘の末、無事今年の一月に二冊とも発表された。どちらも、とても素敵な絵本になったと思う。

 私は名刺に「翻訳家」とは書かない。長文の翻訳は到底できっこないし、私のやっていることは翻訳というよりは新しい形の「絵本作り」に他ならないからだ。それは一見静かな脇役であるが、言葉の海に潜り込み未知の領域に旗を立て続ける探検家のようだと感じる。そこには詩を紡ぐときと同じ、世界の眩さが、ときめきがあるのだ。

関連書籍

こちらあみ子

エイミー・クラウス・ローゼンタール

ディア ガール おんなのこたちへ

主婦の友社

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入
こちらあみ子

スーシー

パパといっしょ

トゥーヴァージンズ

¥ 1,650

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入
こちらあみ子

エイミー・クラウス・ローゼンタール

おかあさんはね

マイクロマガジン社

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入