ちくま新書

『闇の日本美術』刊行記念対談(後編)
山本聡美×橋本麻里

古代・中世の「恐怖」マニア列伝

なぜ古代・中世日本でこのような残酷な怖い絵が描かれたのか? かつての日本人がおそれたものは何だったのか? ――ライター・エディターの橋本麻里さんをナビゲーターとして、 著者の山本聡美さんとともに「闇」の深淵をさぐる対談。代官山 蔦屋書店において、2018年11月12日に開かれたトークイベントの〈後編〉をお届けします。

――恐怖の対象としての「女性」

橋本    そうですね。実は時間的にもう押してきていますが、最後に九相図の話をせずに終わるわけにはいきませんので、取り上げたいと思います。
 源氏も平家もそのあとの男たちもみな平等に怖がった、女性という存在です。女性の絵師というのは、実際はなかなか歴史の中には登場しません。室町末期の土佐派にちらりと現れ、狩野派にはいなかった。それなりの数が現れてくるのは江戸時代に入ってからでしょうか。先ほどお話にありましたけれども、ほとんどの場合、受容者として登場する。中には素人の、女房が筆を執ったかもしれない白描の絵巻なども描かれますが、プロフェッショナルの画工として、公式の絵画制作の世界には出てこない。その女性というものを男たちはどう捉えてきたか、です。
山本    そもそも仏教は、女性を救済の対象としていません。紀元前5世紀ぐらいのインドで生まれた宗教なので、その当時の価値観を、今の私たちが現代の感覚でうんぬんする必要は全くないのですが、それを受容した日本、特に中世日本は、結構そこの扱いに困ったんです。つまり日本の中世は、女性も、時として経済力や政治的な力を持てた時代です。女性の信仰というのをいかにして獲得していくのかということが、中世日本仏教にとっては重要な課題であった。
 九相図というものは、そもそもは非常に女性に否定的な、女性の肉体を穢れたものとして捉える考え方に基づく図像です。ところが九相図を受容する歴史の中では時に逆転して、女人教化の文脈でとらえられるようになります。つまり信仰心の高い女性は自分の身体の穢れというものを自覚し、かつ他者に対してそれを教え諭すことによって救済するのだというような思想が同時に育まれていきます。九相図とは、そういう男性と女性の視線の交差するようなところに存在するものであったのです。
(編集部注:『闇の日本美術』口絵・本文第四章に図版掲載)
 九相図とは、徹底的に見て考える、ある思想を獲得するために見る絵なのです。仏教ではこのような行為を観想と言います。観想とはイメージトレーニングのことで、瞑想して座禅をしてこの世の真理に到達すること。観想する対象は仏のきらきら光る世界だけではなく、現世であるとか、あるいは地獄のような不浄な世界、恐ろしい世界、それも観想の対象となる。つまり、見ることによって徹底的に理解をするという仕組みが仏教の中にはあります。それを不浄観と呼びます。身体とか死体の汚れたありさまをしっかりとイメージして、執着に値しないものであることを知るための修行です。男性は、他者としての女性の肉体が執着に値しないものであることを知る。
橋本    もともと男女の違いはないはずなんですが。
山本    そう、ないのです。教典の中には、男性出家者である僧侶もまた自分の肉体が執着に値しないものであることを知らねばならない、とあります。
橋本    つまり、本来は自分の話。
山本    それが巧妙に女性にすり替えられていき、さらにもう一段階、女人教化のイメージにすり替えられていくという面白さがある。一つのイメージが二重三重、いろんな読まれ方をする。
 不浄観の一種としての九相図に対して、一方で、清浄なる世界を観想するための輝く仏画が存在するのです。この対談の冒頭で、東大寺二月堂の世界図が、下に地獄があって上に仏様が描かれていて、セットになって世界だという話をしましたが、それと同じことなんですね。
 この九相図では、肉体が穢れたものであるということを徹底的に視覚を通じて知るために、執拗に不浄な対象を表現していきます。何を描かなくてはいけないかについては、教典の中に書いてあります。九つの相があって、それぞれの相はこうした特徴があって、皮膚の色もこれこれこういうふうにと書かれていて、それを絵描きが絵描きの領分として絵画化していく。
橋本    本の中では内臓、あるいは骨格の様子が解剖学的に割としっかり描かれているとされていましたが、これは生身仏、生身信仰と関係があるのでしょうか。
山本    この九相図が描かれたのは13世紀の後半から14世紀の頭ぐらいですが、ちょうどその頃の日本で生身仏、生きている仏様、仏像がご飯も食べるし、寒くもなるし、私たちのところに歩いて来てくれる生きた仏がいる、という信仰が盛んになる時期でもあります。肉体そのものに対する関心、つまり外から見ただけではなく、中身がどうなっているのかという関心が、宋時代の中国で発展しましたが、そういうものの影響が確かにここに入ってきているように思います。
橋本    日本の絵画は、ある時期まで写実ではない、あるいは解剖学的な関心がないと言われます。でも同じ時代に運慶のような仏師が登場し、あるいはこういう絵が描かれる。人間の身体に対する関心が、この時代は結構リアルなものとしてあったのかな、という感じもします。
山本    リアルなもの、肉の中にある筋肉とか骨、内臓に対する意識が高まる時期ですよね、鎌倉時代は。確かに仏像でもそれが起こるし、絵画のほうでもこういう作品の中で見えてくる。この辺の骨の感じ、肉の断面をこんなふうに描いた日本絵画って近世以前にはほぼないですよね。点描みたいな技法を使って、暗めの濃い赤からオレンジ色へと、筆をポンポンと点描のように使って、断面の立体感を出している。
 こういう発想、感覚というのはそれ以前にもそれ以降にもない。同じ九相図でも時代は室町に下ってくると、平面的な表現に変わっていく。鎌倉のこの一瞬だけこの精度で描かれる九相図というのは何だったんだ、それが起こった原動力として何があったんだろうということを、いつも考えています。
橋本    それがまた人間の腐り、獣にむさぼり食われ、最後は白骨になっていくプロセスを、あえて美女の身体を対象に見せている。
山本    最初のシーンに、生きている若くて高貴な女性がまずぽんと置かれる。これ自体は観想の対象ではなく、しかも中国やインドの服装をしているわけでもなく、日本の女性で貴族、若いという点をしっかりと表現している。さあ、あなたの横にいる、あるいは私の目の前にいるこの女性がこうなっていくんですよ、というような絵の外と中をつないでいくような役割を、この最初の場面が担っているわけです。絵空事ではないあなた、あるいは私のこととして九相観を捉える感覚が鎌倉時代にはあったということです。
橋本    男性からの恐ろしいもの、忌まわしいものとしての女性という眼差しの下で、こういった九相図が描かれていくわけですが、女性の側はそんな状況をどう見ていたのでしょう。女性にとって、何らかの福音はあるのでしょうか。
山本    同時代に、物語を通じて仏教の教えを広く伝えていく仏教説話が数多く成立して編集されていきます。そうした仏教説話集の中に、九相観にかかわる話がとても多い。その中に、もちろん男性に対してあなたの妻もこんな感じになるんですよっていうお話もたくさんありますが、女性に対して、身分の高い女性があえてけがれた姿をさらすことによって他人を教化したというような、気高い究極の作善として九相観を捉えていくような物語が語り継がれていくのです。
 女性が身体の不浄を自覚し他者を導くことで、自分自身も救済されるという回路がそこにある。現代の女性としては、なかなか理解しがたいロジックですが、女性が救済される道が極めて限定されているこの時代においては、こういう方法が提示されることそのものが救いになっているのですよね。
 九相観にまつわる女人教化を含んだ物語というのは数多く喧伝されていきますけれども、それを聞いて心の支えとする女性たちというのも確実にいたのだと思います。近世になってくるといろいろ記録が残るのでわかるのですが、女性への絵解きとしてこの九相図を使うような場面が増えてきます。中世に遡ってそれをやっていたかどうかはわかりませんが、江戸時代には、むしろ女性を教え導くための絵として、この九相図は広く使われていくようになります。

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