ちくま学芸文庫

探求にいざなう神話語り

『神話学入門』解説

東北大学で宗教学・神話学を講じている山田仁史先生が、ちくま学芸文庫『神話学入門』に解説をお寄せくださいました。山田先生は学部生であった若き日に本書の著者・大林太良先生に出会い、薫陶を受け、学者になった後にご自身でも『新・神話学入門』(朝倉書店)をお書きになっています。恩師の思い出と本書の内容について、必読です。

 その日私は、一通の手紙を握りしめて東京へ向かった。「一度自宅へいらっしゃい」という大林先生からの、直筆の書状。日が陰りはじめた夕刻の阿佐ケ谷駅で下車し、緊張した面持ちの学部三年生は、指示された道のりを歩きだした。
 きっかけのひとつが、本書であった。手もとにある中公新書版『神話学入門』は、一九九一年三月二〇日二一版という奥付だ。初版から四半世紀のあいだ、ひろく読まれていたことがうかがえる。私も一読して熱狂し、周囲にその魅力を吹聴していた。当時、東北大学教養部で文化人類学を講じていた瀬川昌久先生がそれを耳にされ、「じゃあ僕の先生だから、紹介状を書いてあげよう」という──何ともありがたいお申し出。Eメールもなかった頃のことだ。少し時間はかかったが、ほどなく冒頭の書簡が届いた。一九九三年一二月だった。
 すぐ書斎に通されてからの二時間ばかりは、あっというまに過ぎた。卒業論文のテーマにしようと思っていた盟神探湯(くかたち)のこと、入るべき大学院の選択肢、などを相談したと記憶する。途中で奥様がお茶と和菓子を出されたが、興奮していた私は上の空だった気がする。
 こうして私の阿佐谷詣でがはじまった。京都の大学院進学後も、上京するたびに前もって連絡し、あの書斎へと伺うのが常だった。そのうち一定のパターンができた。午前九時半ころに訪問、二時間ほどお話しして、少し早めの昼食に出る。美食家だった先生は、毎回ちがったものをご馳走してくださった。とんかつ、イタリアン、中華……。中華のときは奥様とお嬢様も同席された。大林先生と私はあの時、瓶ビールで乾杯したのをおぼえている。
 食後はきまって近所の古本屋に寄った。私が棚を見ていると、「これはいい本だよ」などと声をかけてこられることが多かった。先生自身は、文庫本などちょっとしたものを購入されるのがほとんどで、そのあと阿佐ケ谷駅まで見送っていただいた。なんとも贅沢な時間をすごしたものだと、今さらながら思う。

 おもわず個人的な神話語りをしてしまった。本書の著者をめぐっては、こうした思い出が分かちがたく結びついているからだ。しかし以下では、私的な感情はすこし横において、より客観的に解説を試みたいと思う。その際、中立的記述を心がけるためにもあえて敬称は略してゆく。大林太良という人は、自分の師にあたる立場の学者たちをもむやみに神格化せず、批判的に対峙することを旨としていた。私もそうした姿勢を多分に共有しているからである。

 大林神話学における最大の特徴は、と問われれば、それは民族学に基礎をおいていることだ、と答えよう。それもドイツ語圏の、歴史や宗教につよい関心を寄せる民族学だ。少しくわしく言うと、二〇世紀前半の独澳(どくおう)民族学には二つの大きな学派があった。フランクフルトの文化形態学派と、ウィーンの文化圏学派とである。若き日の大林は両方に留学して訓練を受けたが、本書には前者の影響が色濃い。
 文化形態学では、ある人類集団における世界の見方を表現したものとして、神話をとらえる。この世界の見方のことを、当学派の創始者だったレオ・フロベニウスは〈世界観〉(Weltanschauung)と呼び、その弟子アードルフ・イェンゼンは〈世界像〉(Weltbild)と称した。イェンゼンのもとで学んだ大林が第Ⅶ章で「世界像の諸類型」を扱っているのは、そうした背景による。
 この世界像、つまり人々が自分たちをとりまく環境や世界をどう把握するか、という物の見方は、生活様式とりわけ生業のあり方と大きくかかわっている。狩猟民の間では彼らの生殺与奪をにぎる動物の存在がクローズアップされていたが(アニマリズム)、農耕民においては日々の糧を提供してくれる植物とくに作物へと、興味の対象が移る。さらには生長した作物の命を我々が食べている、という認識から、人間の生と死に対する洞察も深まり、月の満ち欠けといったサイクルとも重ね合わされて、死者崇拝・先祖崇拝が発達する(マニズム)。さらに高文化(文明)社会に至ると、大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)の対応というような、壮大なコスモロジーがくり広げられる。言われてみれば当然と思うかもしれないが、そうした人類史の大枠をつかんだ上で、その枠内における人間の思考を表現した物語として、神話を理解するという態度が、本書をつらぬくライトモチーフとなっている。
 一方の文化圏学派からも、著者は多くを吸収している。しかしこの学派は、人類文化史を再構成しようと急いだあまり、やや固定的な図式化に陥ってしまった。そのためリーダーだったヴィルヘルム・シュミットはその晩年、弟子たちからの批判にさらされ、一九五四年に彼が死去した際には、学派自体が崩壊していた。そうした余燼ののこるウィーンで学んだ大林としては、本学派に距離をおいた記述になっているのも、じゅうぶんに理解できる。
 なおまたイェンゼンとならんで高く評価されているのは、ミュンヘン大学で教えたヘルマン・バウマンである。初期農耕民に焦点をあてたイェンゼンとは異なり、バウマンの著書『二重の性』(『双性』)は、古代高文化の流れが無文字社会(「未開社会」)におよぼした莫大なインパクトに注目した。さらにバウマンは民族学という立場からの神話研究にかんして、理論化も試みていた。ここから大林は多くのヒントを得て、本書でも随所にそれを活かしている。
 ただし神話理論について大林が参照しているのは、ドイツやオーストリアの学者だけにとどまらない。スウェーデンで独自の宗教民族学をきずいたオーケ・フルトクランツ、イタリアの宗教史学派を牽引したラッファエーレ・ペッタッツォーニ、ルーマニアに生まれ米国で活躍した宗教学者ミルチャ・エリアーデといった、すぐれた学者たちの見解をしっかりと咀嚼したうえで、バランスよく目配りしている点には、今読んでも賛嘆を禁じえない。また当時の日本ではまだあまり知られていなかった、フランスのジョルジュ・デュメジルやクロード・レヴィ=ストロースの紹介をおこなっているのも、見逃せない先見の明である。
 第Ⅰ章「神話研究の歩み」で述べられているように、一九・二〇世紀になって無文字社会の資料が大量にもたらされたことで、それまでの神話研究は一新された。そこで、無文字社会を相手として研究する民族学の立場から神話をどう扱えばよいのか、大林は先行研究をていねいに説明しているのである。

 さて、本書の叙述における基本的な態度とスタイルについて、長所と思われることを二点、そして読者によっては物足らなく感じられるかもしれない側面も二点、指摘しておきたい。
 長所の第一は、古い学説をただちに切りすてるのではなく、いったん流行遅れになったかに見える学説の中にも、何か採用すべき観点を見出そうとする姿勢である。たとえばマックス・ミュラーらの自然神話学派、つまり神話の内に自然現象を見出そうとする学派については四つの批判を挙げた上で「しかし、われわれは、自然神話学派が当時果たした大きい貢献も評価しなくては片手落ちであると思う」(三二頁)と三つのポイントを述べている。そのうち「インドゲルマン語族」すなわちインド=ヨーロッパ(印欧)語族に共通の神話を復原しようと試みた、という点については、その後デュメジルをはじめとして今日まで多くの研究者が追究しているテーマである。そもそもギリシャ時代の諸仮説が現代にいたるまで、くりかえし現れてきたという(一八頁)大局に立つならば、細部における学説の盛衰などは取るに足らない。学界の些末な動向に右顧左眄(うこさべん)しない泰然自若、といった趣が本書の大きな魅力のひとつである。
 第二にこれともかかわるが、理論は材料によって規定される、ということを大林はくりかえし述べている。ことにマリノフスキーの神話論に対しては「彼はニューギニア東南のトロブリアンド島という一地域の神話の特徴を一般化したため、神話における説明的な性格を否定したり、呪術的な性格を過大評価するという誤りを犯している」(五三頁)と手厳しい。すなわち「民族学は生きた神話を研究するという強味があるが、一地域の神話の調査は、いかにすぐれたものであっても、神話の一般理論を形成するにあたっては、大きな限界をもつことを銘記する必要がある。深い局地研究と広い比較の視野とがあい伴ってこそ、神話一般の理論の形成は可能なのである」(五四頁)。こう断言する著者の「広い比較の視野」は、他書の追随をゆるさないものがある。
 他方で読者のなかには、ところどころ記述について行けないと感じる人もいるのではなかろうか。とくに著者にとっては自明でも、そうした文化史的背景を知識として持たない場合には、理解が相当にむずかしいと思われる箇所もある。たとえば一二〇頁では、宇宙や人類が卵から生じたという、いわゆる卵生神話の分布と伝播が論じられている。まず、この神話が「南方」に広がっているという三品彰英の議論を紹介したのち、「竜蛇の要素がこれにしばしば結びついていることは重要だ」と指摘し、さらに、

ユーラシア大陸では、その他にはエストニア人、フィンランド、ロシアと北ヨーロッパにのみこのモチーフの神話が分布していることなどを考えあわせると、南方系とはいっても、北欧との結びつきを考えざるを得なくなる。

と、一転して北方へも注意を向ける。そして「北欧とオセアニア、ことにポリネシアの神話とのあいだには、島釣り神話などの大きい類似があることはフロベニウスやグレープナー以来よく知られていることであり」と言うが、一般読者はこの辺りから、わけが分からなくなるのではあるまいか。続けて大林は「東南アジアの竜蛇の神話とヨーロッパの竜蛇の伝承とのあいだ」の関係に説き及び、こう結論する。

 結局、アジアとオセアニアの卵生神話も、東南アジアのドンソン文化(紀元前八〇〇年から紀元前後)と呼ばれる青銅器文化や、それに親縁関係のある諸文化に結びつくものらしく、ヨーロッパの東部から内陸アジアを経て東南アジアに達し、さらに東アジア、オセアニアに広がったものであろう。

もはや相当の専門家でも、これだけでは首をひねるかもしれない。明らかに説明が不足しているからである。実は大林の念頭にあるのは、ウィーンの民族学者・先史学者ハイネ=ゲルデルンが出した「ポントゥスからの移動」という、ユーラシア大陸の西北から東南への青銅器文化の移動・伝播にかかわる仮説なのだ(Heine-Geldern, Robert, Das Tocharerproblem und die Pontische Wanderung, Saeculum, 2(2): 225–255, 1951)。しかしこれはその後も仮説にとどまっており、大林説も魅力的な見通しではあるが、今後の検証をまたねばならぬ段階である。
 もう一つだけ読者の不満を予想するなら、心理学的な立場からの神話研究に対する顧慮が本書ではほとんどなされていないこと、が挙げられよう。フロイトやユングの流れをくむ神話観が、多くの人々をひきつけているのは事実なのに、である。ただしこの点については、後にかかげる『世界神話事典』に大林が寄せた「総説」(一九九四年)には補足がされている。本書初版が出た一九六六年以後における神話学の展開もふくめ、興味のある方はこちらを参照されるとよいだろう。

 最後に、中公新書版『神話学入門』が有した意義について、若干国内でこれが広く読まれたのは言うまでもないが、国外にも反響があった。すなわち中国語訳が一九八九年、同題で北京の中国民間文芸出版社から刊行され、中国語圏の研究者たちから支持をうけてい るのだ。
 たとえば台湾・東呉大学の鹿憶鹿教授はその著『粟種與(と)火種──臺灣原住民族的(の)神話與(と)傳説』(台北:秀威經典、二〇一七年)でこの中訳書をあちこちに引用しているし、中国・北京師範大学の楊利慧教授に至っては『神話与(と)神話学』(北京:北京 師範大学出版集団、二〇〇九年)のあとがきにおいて、自分が大学で神話を教えるようになって、もっとも参考にしたのは本書であると告白し、明解な体系と鋭利な論述、簡明で風雅な文体を賞賛して、「大家の著した小書」と評している。これはもとより、楊女史の師が中国民俗学の父と呼ばれる鍾敬文という、大林のよき友人だったことと無縁ではあるまい。いずれにせよ、東アジアの神話研究に一定の影響力をもつ著作であることは疑いない。
 ひるがえって日本では、二〇一〇年代になって神話関連の書物が続々と出版されており、多かれ少なかれ大林からの影響も見てとれる。本書を読んだのみではあきたらず、さらなる探究を志す読者のために、それらを紹介して解説を閉じることにしよう。
・植朗子(編)阿部海太(絵)『はじまりが見える世界の神話』創元社、二〇一八  世界の各地域・各時代から二〇の創造神話を紹介しつつ、背景となる文化や研究史にも言及。
・後藤明『世界神話学入門』(講談社現代新書 二四五七)講談社、二〇一七  現生人類が地球上に拡散したのに伴って神話がどう伝播したのか。最新の成果。
・篠田知和基『世界神話入門』勉誠出版、二〇一七  フランス文学を専門とする博識の著者が神話の諸テーマを語り明かす。
・松村一男『神話学入門』(講談社学術文庫 二五三七)講談社、二〇一九  初版一九九九年の『神話学講義』の文庫化。一九・二〇世紀の主要な神話学者六人と思想背景をさぐる。
・山田仁史『新・神話学入門』朝倉書店、二〇一七  ヨーロッパの知識人たちが世界各地の神話をどう「発見」し翻訳・解釈してきたのかを辿る。
・大林太良/伊藤清司/吉田敦彦/松村一男(編)『世界神話事典』全二冊(角川ソフィ ア文庫)角川学芸出版、二〇一二  初版一九九四年の文庫化。大林の「総説」は本書のアップデートとしても読める。
・篠田知和基/丸山顕徳(編)『世界神話伝説大事典』勉誠出版、二〇一六  多くの専門家が結集し、地域ごとの概説と小項目から成る大事典。
・松村一男/平藤喜久子/山田仁史(編)『神の文化史事典』白水社、二〇一三  世界の神々の属性をキーワード索引として一覧にしたユニークな事典。

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