荒内佑

第29回
コンロンナンカロウと言ってみた

今、もっとも注目されるバンドceroのメンバーとして多くの楽曲で作曲、作詞を手がける荒内佑が、〈日常〉とそこに流れる音楽の話を綴る大好評の連載。 更新は毎月1回、第4水曜日になります。

 

 ある夜、麦茶のお湯が沸くのを待ちながら「コンロンナンカロウ」と言ってみた。
「コンロンナンカロウ」を知ったのは今から15年前だ。友達から借りパクしたCDのライナーノーツでその名を初めて見たのである。正確には「素数と倍数のリズム、時間軸のズレ、コンロンナンカロウのプレイヤーピアノ」と書かれていた。何ソレ、意味分かんないけどなんか頭良さそう! おそらく人生で一番聴いているこのアルバムは、サブスクにもiTunesにもない。検索してもそれにまつわる情報はほぼ皆無だ。あるのは音とライナーノーツだけ。よって何回も聴き、できそうな曲はコピーをし、そして何度もライナーを読んだ。「コンロンナンカロウ」とは。それは公衆トイレの落書き「この女ヤレる→090-xxxx-xxxx」のように、ある種のインパクトを持った暗号として自分の記憶に沈殿することになる。


 ヤカンを火にかけながらバッハの平均律を聴いていた。サブスクで。正確にはブラッド・メルドーの『After Bach』というアルバムである。それは公衆トイレの落書き「500円でxx公園でヤラせてあげる←マジで←バカじゃね」のように、ある種の歴史の連なりと解体の音楽である。本当に凄い。もちろん僕はその後「コンロンナンカロウ」とは何か突き止めていた。『After Bach』は連想ゲーム的にその名を思い出させた。
 しかし、沸騰し始めたヤカンを見ていたら、ふと気がついた。人生においてただの一度もその名を口にしたことがない。脳の記憶より、口の記憶が確かである。コンロンナ……そんな動きをしたことがない。やるなら今しかねえ。

「コンロンナンカロウコンロンナンカロウコンロンナンカロウコンロンナンカロウコンロンナンカロウコンロンナンカロウコンロンナンカロウコンロンナンカロウコンロンナンカロウコンロンナンカロウコンロンナンカロウ」

 15年間沈殿していた暗号が二酸化炭素になる。お湯は気化して水蒸気になる。換気扇から外へ吐き出される。アディオス。コンロン・ナンカロウは自動演奏ピアノ曲で有名なアメリカの作曲家である。
 妙な感慨があった。自分は「ヤンデック」とか「ストローブユイレ」とか「ロブグリエ」とか「ジデカアクーニーリ」とか口にすることはあったけれど「コンロンナンカロウ」はなかったんだな、という感慨である。ただ頭の中に蓄積されただけの情報とは違う。口にしなかったとは、そういう友達がいなかった、ということでもある。もちろん自分の友達が無知だという意味ではなくて、極端にいえばパトワ語を話す奴が周りにいないから「ビゴップ!」と口にしたことがないのと同じである。
 考えてみれば「知っているが口にしたことがない固有名詞」なんて星を砕いてミキサーにかけた数ほどある。しかし「コンロンナンカロウ」を暗号ではなく、ただの一作曲家として発音する人生もあったのやも知れん。そうかも知れんが、まぁよかばいよかばい、そんなもんたいね。


 言霊というのが存在するか分からないが、ある固有名詞を初めて発語する時の感覚がある。口から産声をあげる少しの緊張と言い澱み。箱入り娘を世に出すような喪失感はこんな感じだろうか。
 ひとしきり台所で独り言を連発してから、僕は記憶をリワインドしてみた。「レッドツェッペリン」と初めて口にした時、「T.REX」と言った時、「ピンクフロイド」「グランドファンクレイルロード」どんなだったっけ。もちろん覚えていない。ただ確かなのはこれらのバンド名は耳ではなく雑誌と本から知った。なので正しいというか世間一般での発音が判然としなかった。周囲にそれを指摘する人がいなかったのである。僕はしばらくの間「ッ」が抜けた「レッドツェペリン」、「グランドファンクレーロイルド」と言っていた。


 この世にMichael Jacksonが好きで好きで堪らないが、一度もその名を発したことがないファンというのがいるかも知れない。もし敬虔なキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、それかゲーマーなら「ミカエル・ジャクソン」と心の中で呼んでいるかも知れない。彼、彼女がその名を口にするのは、誰に向かって、どんな状況においてだろうか。共感とサムズアップを送るしかない。

 

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