82年生まれ、キム・ジヨン

『82年生まれ、キム・ジヨン』、『ヒョンナムオッパへ――韓国フェミニズム小説集』刊行・著者来日記念トークイベント
チョ・ナムジュ×川上未映子×斎藤真理子×すんみ 

『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者チョ・ナムジュ氏来日を記念して、チョ・ナムジュ氏×川上未映子氏の対談が、斎藤真理子氏、すんみ氏を交えて、2019年2月19日(火)、新宿・紀伊國屋ホールで行われた(筑摩書房・白水社・紀伊國屋書店・韓国文学翻訳院 共催)。  韓国文学と日本文学における社会問題の影響、「正しさ」についてという話題から「オッパ」「主人」という恋人や夫の呼称についてまで、大変刺激的なトークイベントとなった。(通訳:宣善花(ソン・ソナ)、延智美(ヨン・ジミ))

『ヒョンナムオッパへ』の「オッパ」とは?

斎藤 そろそろ、もう一冊のご紹介に入りたいと思います。『ヒョンナムオッパへ――韓国フェミニズム小説集』は、『キム・ジヨン』人気を受けて新しく企画されたフェミニズム短編集です。担当者に聞いたら、この短篇集の企画は男性編集者から出たそうで、「おお!」と思いました。
表題になっている「ヒョンナムオッパへ」という作品をご紹介します。ヒョンナムが、ある男性の下の名前で「オッパ」は、K-POPファンの方ならよく知っていらっしゃる言葉ですが、女性から自分のお兄さん、または年上男性を呼ぶときの言葉です。すんみさん、「オッパ」は日本語の「お兄さん」とは少しニュアンスが違いますよね。

すんみ そうですね。韓国でオッパというのは、もともと親族の中で自分より目上の男性に使う呼称ですが、最近は彼氏に対しても「オッパ」と言うようになりました。

斎藤 結婚しても、オッパと言いますよね。

すんみ はい。そういう人もいます。私が調べた限りでは、1993年に放映された『母の海』という、コ・ヒョンジュン主演のドラマで、彼氏をオッパと言ったのがきっかけで広まったという説があるそうです。かなり新しい用法ですね。

斎藤 昔はそんなに「オッパ、オッパ」言っていなかったと思いますが、いまは完全に定着していますよね。

すんみ 昔は「チャギア」や「シ」と呼んでいたと思います。60年代を背景にしたドラマで、これから付き合うから、オッパじゃなくて「〇〇シ」と呼んでくださいという台詞があったので。90年代以降は彼氏のことをオッパと言う人が多くなりましたね。

斎藤 オッパと言われると、男性は嬉しいんですよね?

チョ 私の知る限り、男性は女性からオッパと呼ばれることを喜ぶと聞いています。
 オッパというのは本来、家族の中で序列を表していて、年下の女性が自分より年上の男性に対してオッパと呼びます。しかし、いつの間にか、恋愛関係や社会の中でも使われるようになりました。本来は、社会に出てから出会った関係であれば、年齢に関係なく対等であるはずだと思いますが、やはり「オッパ」という呼び方には、年下が年上を呼ぶ、ある種のリスペクトも込められているし、女性が一歩下がって、謙遜して「お兄さん」と呼ぶ意味も込められているので、男性にとっては「〇〇さん」「〇〇氏」と呼ばれると対等になりますが、女性から「オッパ」と呼ばれたほうが、女性の序列が低い意味合いも込められているので、それを喜ぶ傾向があるのかもしれません。
 起源は私もよくわかりませんが、ここには間違いなく、女性がかわいく「オッパ」と呼ぶことによって、ロマンチックなイメージを漂わせる単語になりました。
 この「オッパ」という言葉は、男性が持っている権威や力を、ある種ロマンチックに包んでいるような呼び名ではないかと思われます。この「ヒョンナムオッパへ」という作品の中では、主人公が彼氏をずっと「オッパ」と呼んでいますが、実際、私の場合は、これまで生きてきた中で「オッパ」と呼んだ相手はそれほど多くなかったです。というのも、私はずっと女子校に通っていたので、この呼び方にはずっと違和感を覚えていました。違和感を持たない人であっても、小説の中の文字として見たときには、やはりおかしいと感じるのではないかと思いました。
 この小説を読んだときに、やはり違和感を持つ方もいるわけですが、韓国では日常的に使われている言葉で、この小説のレビューの中には、「なぜ、これほどまでにオッパという言葉をたくさん使っているのだ」というご意見もありました。日常的に使われている言葉ではありますが、自分の彼氏、または夫をオッパと呼ぶのは、実は少しおかしいことではないかという意味も込めて、この作品を書きました。

斎藤 『キム・ジヨン』も、ラストの医者のひとことがひどいのですが、『ヒョンナムオッパへ』も最後のひとことがひどいので、ぜひ、この本を買われたら、それを実際に確認していただきたいです。

川上 『キム・ジヨン』の医者の奥さんの返しも素晴らしかったですよね。ふだん子育てにろくにコミットしてないくせに、子どものことについて適当なマンスプをしてきた夫に、「なぜわかるの? 神が降臨してるの、あなたには?」って言うところ。笑いました。
「オッパ」は、もし日本語で訳すとしたら、近いのは「うちの主人」とかになるんでしょうか。でも、彼氏に「主人」は言わないですよね。

斎藤 言わないですね。もう少しロマンチックな感じでしょうか。

川上 「あなた〜」みたいな?

斎藤 「あなた」よりもロマンチックで、なんか独特の色なんですよ。だから、あえて日本語にせず、そのまま「オッパ」としたんです。
 初めは、タイトルは「ヒョンナムさんへ」だったし、文中でヒロインが「オッパは〇〇でしたね」と語るところは「あなたは~」と訳していたんです。でも、途中で「ヒョンナムさん」「あなた」では絶対ニュアンスが違うと思って、誰に聞いても、「あなた」と「オッパ」は全然違うと言われたので、もう、いっそオッパという言葉を定着させてしまえばよいと思って。
 実を言うと、『キム・ジヨン』でも、夫のチョン・デヒョンさんのことをオッパと言っているんです。そのときも悩んで結局諦めたんですが、『ヒョンナムオッパへ』はもう白旗を揚げるしかなくて、オッパでいくことにしました。

夫を「主人」と呼ぶ問題

川上 面白いですね。韓国ではオッパとしか言い表せない関係があって、日本語には「オッパ」にぴったり当てはまる言葉がない。日本には、「オッパ」的な関係がないということなんでしょうか。ある種の庇護関係をベースにしたロマンチックな感じということだと、やっぱり「主人」が一番近いのかなという気もしますけれども……。

斎藤 呼称の問題はすごく面白いですね。主人、夫、旦那、連れ合い……。

川上 「夫」と「妻」というのは一応まあフェアであると思うんです。それで以前、私は朝日新聞で、「主人」という言葉はもう使うのをやめようぜと言ったんです。そうしたら、わりと反響がありまして。9割がそうだよなという意見だったんですが。

斎藤 えっ、いまの時代に?

川上 1、2年前ですね。みんな、ふつうに「うちの主人が」って言うんですけど、「主人」ってすごい言葉ですよ。主従関係ですから。そういう言葉を使うところから、内面がつくられていくのだということを朝日新聞で言ったんです。まあ、9割がたのひとは「私も主人と言うのは違和感がありました」と賛同してくれたのですが、中には伝統だとか、言論統制だとか、的外れな批判もあった。あとは可哀想な女だとか。
 でも、やっぱり「主人」と言いたい女性もいるんですよね。だから、よくは知りませんが、韓国でも彼氏を「オッパ」と呼びたい女性もいるんだろうなと思います。

斎藤 「マスオさん」みたいに、単に名前や名字で呼べばいいですよね。

川上 そうそう。他に呼び方がないからしょうがないって人も多かったけれど、色々あるよ、と。名前を知っていれば名前でいいし、子どもがいればおとうさんとかパパとか。他には、お連れあい、ご家族、そもそも「夫さん」でいいじゃないですか。慣れの問題でしょう。使っていけばそれが普通になるんですよ。日常でどんな言葉を使うかということで、意識や生活はかなりコントロールされますから、フェアであるということは大事なことだと思います。

斎藤 呼称の話だけでも、あと100年ぐらい話したいぐらい面白いですけど、時間が押してきたので、ヒョンナムさんがどんなにひどい目に遭うかは、ぜひ本をお読みください。

2019年4月1日更新

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チョ・ナムジュ(趙 南柱)

チョ・ナムジュ

1978年ソウル生まれ、梨花女子大学社会学科を卒業。卒業後は放送作家として社会派番組のトップ「PD手帳」や「生放送・今日の朝」などで時事・教養プログラムを10年間担当。2011年、長編小説『耳をすませば』で文学トンネ小説賞に入賞して文壇デビュー。2016年『コマネチのために』でファンサンボル青年文学賞受賞。フェミニズムをテーマにした短篇集『ヒョンナムオッパへ』(タサンチェッパン、日本版は白水社)に「ヒョンナムオッパへ」が収録されている。 『82年生まれ、キム・ジヨン』で第41回今日の作家賞を受賞(2017年8月)。大ベストセラーとなる。2018年『彼女の名前は』(タサンチェッパン)刊行。photo©MINUMSA

川上 未映子(かわかみ みえこ)

川上 未映子

1976年8月29日、大阪府生まれ。2007年、デビュー小説『わたくし率イン 歯ー、または世界』が第137回芥川賞候補に。同年、第1回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。2008年、『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞。2009年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞受賞。2010年、『ヘヴン』で平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第20回紫式部文学賞受賞。2013年、詩集『水瓶』で第43回高見順賞受賞。短編集『愛の夢とか』で第49回谷崎潤一郎賞受賞。2016年、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞受賞。「マリーの愛の証明」にてGranta Best of Young Japanese Novelists 2016に選出。他に『すべて真夜中の恋人たち』や村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』など著書多数。『早稲田文学増刊 女性号』では責任編集を務めた。最新刊は短編集『ウィステリアと三人の女たち』。

斎藤 真理子(さいとう まりこ)

斎藤 真理子

翻訳家。訳書に、パク・ミンギュ『カステラ』(共訳、クレイン)、『ピンポン』(白水社)、チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社)、ファン・ジョンウン『誰でもない』(晶文社)、ハン・ガン『ギリシャ語の時間』(晶文社)、チョン・ミョングァン『鯨』(晶文社)、『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)、チョン・スチャン『羞恥』(みすず書房)、チョン・セラン『フィフティ・ピープル』(亜紀書房)などがある。『カステラ』で第一回日本翻訳大賞を受賞した。
photo:©Yuriko Ochiai

 

すんみ(すんみ)

すんみ

翻訳家。早稲田大学大学院文学研究科修了。訳書にキム・グミ『あまりにも真昼の恋愛』(晶文社)、共訳書にリュ・ジョンフン他『北朝鮮 おどろきの大転換』(河出書房新社)、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(タバブックス)など。

 

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